三大なのに四つあるのは釣りなんですね分かります
メンタル面を患っていたが今は別の部署に配属され、元気でやっているとのことだ。元々嫌みなぐらい低姿勢な人ではあったが、「増田さんには迷惑かけたからね・・・」「いちど食事でもしましょう」と、エレベーターなどで会うたびに言われ、社交辞令ってものもあるし、自分の部署は常に忙しいこともあるので「まぁそのうち」程度にお茶を濁し続けている。
実は、病気になる前から自分はその上司にあまりよい感情を抱いてはおらず、おまけに休職により自分に降り掛かって来た上司の業務を引きつぐにあたり「なんで部下や後輩ならともかく、上司の失敗のせいで部下の私が社外からここまで叱責されねばならないのだ」と苦しむ日々が続いたこともあり(もしかしたら疾患のせいもあったのかもしれないが、「上司」とは思えぬ程の仕事の遅さなどが原因で、休職後に引き継いだ自分が対外的に謝罪しまくるはめになった)、現在、元気になった元上司の顔を見るだけで憎悪の感情がわいてしまう。
ある日、勤務後にお茶でもと喫茶店に入ったところ元上司に遭遇、一緒にお茶を飲むことになった。帰りの路線まで一緒なので1時間近くぎこちない会話が続いたが、「ま、これで『一緒に食事でも』のお茶も濁せるだろう」と考えたのだ。
ところがその帰りの電車で、「食べに行くならどこがいいですか、何料理がいいですかね」「いいお店、考えてくださいね、なーんてw」とのたまうではないか! 今日の茶店ではダメなのか?
理性的に断っても(ましてや感情的に断っても)それがきっかけで傷ついてまた疾患が・・・なんてことになってはいけないので、気を遣ってしまう。
どうしたらいいのか?
ノリが良いなら仕事や勉強する俺。基本的に真面目というか、自分の夢に一途。
しかし、ノリが良くない時は、作業効率が悪いから、仕事や勉強をする意義を感じない。
疲れる割には成果が出ないので、そしたら遊んだほうが気分転換になっていいやと考える。
で、ネットしたりして遊んでたらいつのまにか二時。
まだ眠くない。むしろギンギンに覚醒中。
でも、何か面白いことがあるでもなし、暇。
寝ないといけないけど、何かやりたい、でも暇、じゃあ寝よう、でも眠れない、やっぱ何かやろう、でも何も面白いことがない、寝たほうがいいんじゃないか、しかし眠くない。
この繰り返し。
俺の友達にさ、舞城の「煙か土か食い物」にでも出てきそうな奴がいるんだよ。あるいは「ノルウェイの森」の永沢みたいな。
スタイルもルックスも学歴も運動神経もいいし、当然のようにモテる。
なのになぜか女性のストライクゾーンが広いからどうしようもない状態。
で、英語とフランス語がペラペラで、ピアノもかなりの腕前。岩波は全部読んだとかいうのもあながち嘘とは思えない。
芸人の世界でいう上手い話とはまた別の種類の、上手い話し方をする。物事の捉え方が違うっていうか。まぁ、要は頭もいい。
それで持って何か芯がブレない、人とは違う雰囲気を持った奴。
で、この前久しぶりに飲みに行ったときに訊いたんだよ。
「まぁルックスは諦めるが、どうしたらお前みたいになれるんだろうか、その考え方みたいなものを教えてくれよ」って。
だけど、自分独自の感覚だし人には簡単には説明できないっていう訳だ。
まぁそりゃそうだろなと。それに、そういうところで得意気に語りだすような奴じゃないしね。
それで他の話題に移ったりした。というか、その日は俺がだいたいしゃべってた。
だけど、俺も奴も飲みが進んだところでまた俺がグダグダになりながら話題を掘り返して聞いてたんだ。
そうすると、ある一定の見方からだけどな、って断りを入れて奴が少しだけ語った。
「大抵の人は今の自分の状態を守りたがるだろ。今現在の自分についての考え方とか外部の世界に対する考え方とか関係性をあまり揺さぶられたくない。
成長はもちろん望んでるだろうけど、ノイズは嫌悪する。だけど、俺は今の自分が揺さぶられるようなノイズを受け入れる。
そのためにも今の自分と外部の世界に対する感じ方と関係性を把握しておかないといけないんだけどな。
"今の自分"を大事にしたまま、欲しいものを手に入れる方法なんてないよ」
こうすれば奴みたいになれるのかといえば全然そうとは思えないし、
実は一般論に見せかけて俺に向けての説教だったのかもしれない。
ただその時の表情も含めて何となく俺の胸に残っている。
人と比べることはなるべく避けたほうがいいけど、どうしてもやっちゃうよね。
上を見て凹んだり、横(周り)みて凹んだり(最低だけど)、下見てまだ俺はマシだとか安心する。
でも上も下もキリはないし、そもそも人に上下をつくることが最低。
上を見すぎず今の自分を幸せだと思い込むというのは、希望を捨てろって意味じゃないよ。
身の丈にあった希望を持ちましょうってことで。
変に焦りすぎると空回りするよ。
上を見ないようにしているけれど、どうしても横(周り)と比べてしまう。
この一言にあなたの言いたいことが要約されていると思いました。
もしかしたらジョーゼフ・キャンベルが同じようなことを言っていることかもしれません、どうでしょうか?
http://video.nifty.com/cs/catalog/video_metadata/catalog_071223050310_1.htm
ネット上の情報が何かの目的達成のためだけの情報になっているようにみえる。
そうじゃなくて、人生は過程そのものに意味があるんじゃないかと。
ネット社会を誰かが定義できるものでも、する必要もないけれど、
こういうことは個人的な感想ですが注意するべきだと思いました。
では、情報とは何なのか・・?
というよりも、自分の欲の持ちようによって
何がって、安全カミソリの刃の枚数。
小さい時、安全カミソリといえば1枚刃だった。
流通していたよね。
3枚刃が出たときは、へーーーそんなに変わるもんかなって思って、
4枚刃が出たときは、失笑した。必死すぎwww
ところが、今は5枚刃まであるんだよね。
必死すぎどころか、なんか得体のしれない恐怖を覚えるよ。
切れ味悪い日記だな。ほんと。
Ferrari SP1って、一台しかないのに販売用カタログあるってのも凄いな。
http://blog.livedoor.jp/lucenagoya/archives/913439.html
え、買わないとダメなの?同じ値段で良いからそっちだけ欲しい。。。
自分がそういう状況に置かれたら、多分親から逃げちゃうなぁ。
とっとと金稼げるようになって1人暮らししようとするだろうなぁ。
幸い成績が良いのであれば、学校の先生に大学行きたいので奨学金制度を利用したいからどうにかならないか、
聞いてみるのもいいんじゃないかなぁ。
俺の友人は裕福だったが、そいつの父親が転落死してから父親の財産相続でピラニアのように親族が全て持っていってしまって、
そいつの境遇が一変してしまったことがあった。
荒れたり、不安定になったりしたけど、今の状態を悲観するより未来に何するかを考えてそれを目標にする、
参考になれば。
もう我慢ならん。
「気持ち悪い」
何が気持ち悪いか、まず活版印刷の行き過ぎた情報集中管理が気持ち悪い。
聖書のどの節でもすぐに把握できるようにする、確かに便利だよ
でもさ、面白くネーの。「信仰」が。ミサに行く前に、分かった気になっちゃうから。
あ、話それるけど、リアルで「聖書みればわかることを聞くな」とかほざく情報強者(笑)がいたら直ちに首を吊ってほしいなぁ。
んなこと分かってら。書いてあることを知りたいんじゃねぇよ、おまえとイエス様の話がしたいからお前に聞いてんだよ。
空気嫁よ。信仰心の通ってない情報強者(笑)乙。とうとう信仰心まで印刷文字にされたんだな
親「ミサに行こう」
子「じゃ、聖書で神父様が今日話す内容をくわしく調べてくる!」
こんな会話がもうリアルにありえるわけ。「印刷された聖書でも一緒だろ?」と思う人もいるだろうが、全然違う。
説教なら、聖書の解釈とか結構アバウトだったから、漏れのエピソード語ると、夏のある日、朝早く起きてとーちゃんとミサ行って、朗読された一節を忘れたことがよくあった。
福音書が特に稀少だった。だから、やっと覚えた一節は本当に大事にしたよ。なかなか覚えられないことで、いろんな工夫を考える。
それだから暗唱できたときの喜びはひとしおだし、苦労して覚えた言葉は余計に愛しかった。
一方グーテンベルグ聖書は福音書、章、節、文章まで明らかにする。このページをに見れば「確実に」読めるという情報が手に入る。
グーテンベルグ聖書は「自分で考える」ことを妨害している。聖書の普及(笑)のために、話を聞く喜び、信仰を大切にする心を奪い取っている。これでいいの?
「聖書読めば分かることだから」と考えない子供が大人になって、いざ未知の問題に直面したときが怖い。
むしろ読んでも分かんないことだらけということに気づけない、「聖書読めばば何でも分かる」と考える子供を「グーテンベルグ聖書」とかは増やしている。
確かに活版印刷は道具で使い方次第だよ、でもその使い方を親たちが知らない、教えない。神父様の話など素直に聞くのは田舎の小学生低学年までだ。
少なくともこの印刷物が溢れるの現状を子供には見せられない、というか見せたらイカン。
漏れに今何ができるか、活版をたたき壊して今日ミサに出かけることぐらいか。
それでいい。それでいいんだと思い込むしか今はできない。いまの活版印刷がわからない
さて、国政選挙編。
http://anond.hatelabo.jp/20090725024708
http://anond.hatelabo.jp/20090726002306
このエントリ↑の続きです。
俺は、上記のエントリからも予想がつくと思うが、国政選挙では、小泉流の構造改革路線を支持した。公共事業をガンガン削れ。既得権益を完全に打破すべきだ。自民党をぶっ壊す。この言葉を俺は、断然支持した。これで日本が良くなる。脂ぎったオヤジたちは、消滅はしないが、間違いなく勢力は弱くなる。日本の赤字状況も改善されるはずだ。公共事業に依存するのは、一種のパターナリズムだ。それよりも、自発的起業体制を整えるべきだ。労働者派遣など、行き過ぎた面もあると思ったが、痛みを伴う改革である以上、一時的にはやむを得ないと思った。
安倍首相の下で参議院選挙が行われたとき、俺は、悩んだ。小泉流を継承する経済政策については、安倍晋三を支持できる。しかし、「美しい国」のフレーズの下、前面に提示してくる保守的価値観には合わない。価値を国家という装置によって押し付けようとする姿勢に嫌気がさした。価値は家族や地域、コミュニケーションなどの空間で形成されるべきであって、国家が押し付けるべきではない。価値の多様性、多元性を認めるべきだ、というのが俺の立場だ。
この時の選挙で、民主党は、公共事業の拡大による景気対策を主張した。これは昔の自民党と変わらない。脂っこいオヤジたちの世界だ。民主党案では、国の財政状況を改善できるのか、と。
昔からの自分の政治信念を優先させるならば、自民党。しかし、価値の押し付けには反発がある。悩んだ末、俺は、批判票として、共産党候補に入れた。結果は、自民党の大敗、民主躍進。民主党の政策には、賛意を示す点もあるが、構造改革路線を批判した点には賛成できなかった。
結局、自民党も、構造改革路線からの後退を始めた。このとき、自分が支持する政党がなくなった。精神的、価値的な次元では、多様性、自由を容認すべき。経済については、選挙の足を引っ張り、既得権益をむさぼる利権団体をぶち壊し、財政再建に取り組む。自分の立場は、ここなのに。決して異常な立場ではない、と思っているのに。
このエントリ(→http://anond.hatelabo.jp/20090726011213)にも多少関係のある話ですが、自分の立場は、保守、リベラルという枠組みで自己規定することができない、という自覚はある。上記のエントリは、おそらくアメリカの共和党と民主党の対比をモデルとした保守、リベラルの対比だと思う。特徴的な人物と言えば、共和党がレーガンで、民主党がリンドン・ジョンソン、かな。
このような枠組みに、自分は当てはまらない。政治理論に関する文献は、大学の時にかじっただけであんまり詳しいわけではないが、自分は、典型的な保守でもないし、典型的なリベラルでもない。自分の立ち位置がわからない。こういうのは、変なのかな。
自分の考え方の奥にある話。なぜ公共事業が無駄、と思われるのか。
一言で言うと、役に立ったと実感できないから、だと思う。橋を造る、道路を整備する、としても、すでに現状に特に不満がないならば、役に立つ実感を得ることができない。
例えば、3年ほど前、とある県のとある県庁所在地に住んでいる20代後半男性の「俺」の実家から徒歩10分ほどのところに、新しい橋が建設されました。橋を渡ったところに大型の買い物施設があるわけではありません。近隣住民は、通常の生活をしている限りではあんまり使いません。自動車を利用する人たちも確かに以前よりは便利になったと思いますが、以前も不便で不満だらけだった、というわけではありません。もちろん、トラック運送業者の方々など、自動車運転を専門としている方はどう思っているのかはわかりません。だけど、日常生活で自動車を使うレベルの人間では、過去の状態に不満があったわけではない。
つまり、20世紀後半に自民党が色々開発してくれたおかげで、ある程度、生活基盤が整備されているわけです。新たに道路や橋を造っても、確かに便利になったといえばそうだけど、別に以前の状態に不満があったわけでもないのです。公共事業の成果を実感できない。だから道路、箱モノを造る公共事業が無駄、と思われるのです。
裏を返すと、役に立つ、と実感できる公共事業を実施すれば、支持を集めることができる。
例えば、名古屋の天守閣工事。詳しくは、このエントリを参照→http://anond.hatelabo.jp/20090726163635
名古屋在住ではないのでわかりませんが、名古屋市民が役に立ったと実感できるならば、有益な公共事業だと思います。
そして、今、現在。
自民党の政策は、箱モノ行政から脱却できていない。生活者レベルで役に立ったという実感がないのに、公共事業の投下。だから、利益を与える代わりに票を得るという構造だ、既得権益だ、と批判の対象となる。麻生首相は大型公共事業を実行したが、あくまで目的は景気対策。生活者の利便性の向上、ではない。だから、特定集団の支持(=業界団体の票)しか集められない。公共事業を遂行しようとするならば、生活利便性の向上以上の正当化根拠が必要だと思う。
では、民主党はどうか。箱モノ行政を支持する人たちは、相対的には自民党よりも少ないが、民主党内部にも、存在している。あくまで私が書いた最初のエントリは、とある県のとある県庁所在地の話なのです。とある県のとある県庁所在地の民主党系の市長は、箱モノ行政体質を改善して、赤字財政をなんとか立て直している、というだけ。
だから、民主党政権になったら箱モノ行政を改善する、という期待感はあるが、実際のところは不明。予算の組み替えは、現実路線なんかに走らずに突っ切れるならば、凄い。高速道路の凍結も断固として実現できるならば、凄い。だが、実施できるのかという面は不安。
道路や箱モノよりも、医療や教育にお金を回すべきだという民主党の方向性自体には賛成できる。民主党政権が誕生した場合、戦後の日本が形成してきた社会システムをどれだけぶちこわすことができるのか、は個人的に注目している。また、民主党案では、財政赤字の解消ができるか不安。ま、これは自民党案でも同じだけど。プライマリーバランスの問題はどこに消えたの?
今の自民党の迷走を招いたのは、おそらく、安倍晋三がバカだったからだと思う。
小泉さんは「痛みを伴う改革」と言った。ある程度の「痛み」は織り込み済みなんだ、と。小泉が選挙で圧勝した以上は、国民は「痛み」を共有すべきだ、と思った。だから、安倍が惨敗した参院選の結果に、俺は、国民のわがままさを感じた。かく言う俺も、安倍晋三を支持しなかったんだけど。
小泉改革への批判と受け止められているが、俺は、安倍晋三の選挙対策がバカだったから、と思う。小沢さんが「国民の生活が第一」と、生活者レベルの問題、さっきの自分の言葉でいえば、役に立ったかどうかという実感を改善すると訴えたのに対し、安倍ちゃんは、「美しい国」。イデオロギーには、やはり信者しかついていけない。イデオロギーを前面に出せば、神々の争い、世界観闘争を生み易く、反発も招く。しかも、安倍ちゃんの場合、バカ右翼と同レベルで、歴史的検証を欠いている。こういうこと書くと、お前はサヨクか、と思われるけど、俺は福島瑞穂の憲法観もカスだと思っているからね。私はやや特殊な立場です。
憲法改正よりも、生活レベルの改善。イデオロギーよりも、景気や、雇用を争点化した方が支持が集まる。これに着眼した小沢さんは、参院選で大勝利。自分は支持しなかったけど、選挙対策能力の高さはさすが、と思った。
イデオロギーを前面に出さず、小泉さんの後継者として政治改革、経済政策を実行していればよかったんですよ。結局、それがわからなかった安倍ちゃんは、保守観丸出しのイデオロギーを表明し、反発を招いた。その後の自民党の顛末は見ての通り。福田、麻生と続き、小泉改革を揺り戻す。昔の自民党に戻ったといわれても仕方がない。
選挙というのは単一の争点で戦うものではないが、経済政策に関しては自民党は行き詰まりを示しているんじゃないかなーと思う。自民党政権で恩恵を受ける人が特定化、特権化され過ぎていて、国民の一部にしか恩恵が受けられない。恩恵を受けない人にとっては、なぜ恩恵を受ける特別な業界があるのか、という理由が欲しい。なのに、その理由は、もうすでに賞味期限切れ。
他人の問題を自分が解決してあげられるなどと思うのがまずおこがましい。
自分がどれだけ上から目線の嫌な奴だか、おまえは知ったほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20090802233508
頑張ってるね。すごいと思う。
私は、両親健在、きょうだいもいるけど、まあ、両親が機能していないのでw
でも大学行きたい気持ちは変わらなかったので、通信制高校に編入して・・・とかまぁ色々あって、
結局夜間の大学に通った。学費半額!やすいやすい
最近は夜間大学減ってきてるし分野によっては全然ないので参考にならないかも知れないけど。
高校もそうだけど、大学は奨学金の種類がいっぱいあるよ。お父さんの収入がすんごいならまた別だけど。
今までの選択は間違ってないと思う。よく頑張ってきたね。
このままの状態を維持できるならいいと思うけど。
私も、フツーの家族をみると、いいなぁって思う。
両親そろってるはずなのになー、なんでだろう??って思う。
けど、しょーがないのよね。
ともに生き抜こう!
違うよ。全然違うよ。
ひょっとしてボッチの自演ツリー?
一文に助詞「が」が三回登場する悪文。これは見事な釣りだ。