振り切ったとは言わないよ、まぁ、けどよそに目を向けることでそれなりに折り合いつけてたつもりだったんだけど
やっぱりなぁ…今彼との間で何々があってそれが辛い、とかいう話なんかされるとなぁ…。
これがなんか復縁フラグなら喜びも…て喜ぶのもおかしいけど、するんだが
明らかにその気はないからなぁ…。
あれかな、俺が今のあいつの状況を知りたがってるオーラ、やっぱ出てるのかなぁ…。
やだなぁ…。
彼女欲しいなぁ……。
>相手が思い通りの結果を出さないことを不満に思っていたわけで、
そういうことはあるかもしれない。自分の場合は、叱咤激励をしなかったことはよくなかったんじゃないかとずっと後悔になっていた。それとも他の理由かもしれない。どちらかわからないでいるのだけれど、最後に決めるのは本人なのだろう。
著者は宮台真司の弟子だから、宮台と思えば分かるんじゃね?
http://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/4/0/404a603f.jpg
一応スレ内に証拠画像あがってるけど、これも捏造なのか、ブッダニュースが問題の文言を後で削ったのか。まだ微妙なところじゃない?
厳密に言えば「所有権を否定」してるんではなく、「財産権」としての「所有権」、あるいは「私的所有権」を否定してるだけだと思う。
それは共産主義ではないかと言われればその通り。ただ、非常に原始的なソレ。
インターネット黎明期にある種の原始共産制社会がそこに存在したことは事実。そして人口が増え社会が複雑化してそれが失われたことも事実だし、今なお旧時代にノスタルジックな思いを抱く者や自分の縄張り周辺では原始共産制を主張する人間が数多くいることも事実。
それにねー、21世紀の地球でも原始共産制を取っている社会が無いわけではないし、そもそも現在の我々の社会の所有権や著作権の概念が絶対なのかと言えば、必ずしもそんなこともない。著作権を主張する人は「コンテンツ制作者のモチベーションが云々」というけど、たとえば原始共産制社会で「創造的な活動」が行われなかったかというとそんなことないだろう。
まあそんなわけで、オレも「現世の掟をネットに持ち込むしか解決方法がないとしたら、それはまた随分詰まらない話だ」とは思うわけで、できればネットを契機に現世の方が変わってくれたりしてほしいなーと思う今日この頃なんですけどね。
「既にコンテンツは飽和した」という説。考えてみたら、コンテンツ産業系の人にとってこれほど恐ろしい結論は無いかもしれないが、当たっているとしたらどうすべきか。
一人のユーザーが一生の間に消費し尽くせるコンテンツの総量は、寿命が劇的に伸びかつ記憶力が劇的にアップでもしない限りは、実はそれほど多くない。私たちは、小さな区立図書館の蔵書程度であっても、多分一生かかっても読み尽くせない。本だけに限っても、そうだ。まして映像、音楽まで含み、かつ発信もする現在において、我々が一生かかって消費するコンテンツの総量はむしろ(それぞれのジャンルで)加速度的に減っており、しかしコンテンツ自体は果てしなく供給し続けられる。かつては「時代の変化(社会、政治、文化やときには言語そのものの変化)」が緩やかに古いコンテンツを消滅させたり無効化させたりすることで、新しいコンテンツの生きる道を生み出していたが、もはやそれも追いつかなくなるほどに「生涯消費コンテンツ総量」の低下曲線は、「コンテンツ在庫量」を下回ってしまった。
で、どうすべきか。通常考え得る解は、たとえば「新メディアの創出」。たとえば全身感覚を使ったゲームが芸術になり文学になり映画に成り代わるイメージ。そうすればあらたなメディアを使いこなす新たなアーチストが誕生しあらたなコンテンツの需要が爆発的に生まれるだろう。だが、それを生み出す過程が「個人の作業能力」を越えた複雑さを持てば、ジャンルとして衰退していかざるを得ない(現代のゲーム業界に起こっているのは、だいたいそんな感じのことだ)。だから、ある程度以上複雑化しすぎたジャンルでは、逆に高度な技術を使って驚くほど単純な個人作業を実現する欲求が生まれてくることになる。RPGツクールなんかの試みがそうであり、はてなロクロなんかもそうだ。結局のところどんな高度な技術を使っていても、作り手は「自分が全てをコントロールしている感覚」を手放したくないものなのだ。セコンドライフなんかも本当はそういう方向を目指したかったのだろう。
そこで、全く違う方向に目を向けてみたい。
新たなメディアといっても、既存の感覚(視覚と聴覚、あとはせいぜい振動などを利用した体性感覚)に訴えかけてくるものがほとんどであった。だから、もっと異なる感覚にアクセスするメディアを考えれば、爆発的なコンテンツ需要を見込むことは可能ではないだろうか。それも、既に一種の娯楽として定着したジャンルの存在する感覚(たとえば味覚→料理とか、嗅覚→アロマ・香など)ではなく、もっとマニアックな感覚に訴えるもの。これまでに無い感覚を娯楽の対象として開拓した例としてはたとえばWiiがそうだろう。家庭用ゲーム機に本格的に運動覚を取り入れた。ただ、これはコンテンツの開発自体が難しいという意味で難点がある。だからいっそ新しい感覚を創出してしまうのだ。空間認識力や第六感というような感覚を増幅させる薬を開発すれば、それらの感覚に訴えるメディアが誕生し、あらなたコンテンツ需要が見込めることとなる。
というわけで、21世紀のコンテンツ産業はまず製薬方面の技術開発に熱い目を注ぐべきではあるまいか。
いや、正直「あるまい」と思うけど増田だから書いてみた。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1091340.html
の最後のところに
『また、今回の崇礼門全焼で全国民が衝撃に陥る中、2月11日が日本の建国記念日である
と知られて、一層大きい衝撃を与えている。』
と書かれてるんだけど、ソースのブッダニュースを見てみると、そんなことは書かれてないぞ。
2「移民が来た」…「から」…「俺たちは職を失った」
3「格差是正の保護政策を取る」…「から」…「工業界は競争力を失った」
4「ミクムーブメントは叩かれた」…「から」…「しぼんだ」
上の1から4、どれもそれなりには正当にも見えるが、どれもそれなりに同じ発想から生まれた兄弟だとも感じるなあ。なんというか基本的に『人任せ』なところが特に。
http://anond.hatelabo.jp/20080207152801
(3)じゃなく、今まで相手してきたものです。
http://anond.hatelabo.jp/20080204003722が増田なら、完全に話の筋を見失ってます。
すみませんが「完全に」とか、断定的な割に何を指しているのか不明な言い方をされると、コメントすることがありません。「違うよ」という感想なら「違うと『感じる』わけですね。そうですか。」というだけです。
あくまで自分は(3)の指摘についての説明を軸に話をすすめてきたので。
そこに「(1)と(3)は別人」という仮定の下に、という前提が抜けていますよね。これまでの話を踏まえれば。そして私は(1)と(3)が別人だと考えていたから話が噛み合わなかった。私が「本題」と述べたのはお互いに「見えない前提」がありそれを確認し合う過程のことです。議論というのは往々にしてそのような点に帰着するわけで、私は一貫してあなたの「指摘」でなくあなたの「思考の基盤」を理解しようとして話を進めてきました。それが相互の応酬を経て最終的に
ちなみに、もし実際に(3)の増田が(1)の増田と違うのだとすれば、そもそも私はその人に何も言うべきことはありません(そう思っていたら(4)の発言はありませんでした)。(2)は(1)の人に向けて書かれたものなので、そういう文脈で読まれない限り分かりにくいのは当然のことです。……略……もし本当にそうなら、余計な横レスのせいでお互いに飛んだ無駄な時間を過ごしたということになるでしょうね。やれやれ。
と片づいたわけですから、私としては『一度たりとも本題は見失われてないし、一度も無駄なレスはなかった』わけです。
私としては、私が「元増田は感情と理性を排他的な物と考えている(元増田の文章からそれは読み取れる)」と述べたことに対し増田さんが「見当はずれと思っている」と言いながら(http://anond.hatelabo.jp/20080131154454)いまだ一度もそう述べる根拠を述べて頂けないことに非常に不満を感じているわけですが、随分間も空いているしまあこのまま話が流れたらそれはそれで。
どうしてもぞんざいに扱えない作者さんというのもいるわけで、、、
そんなの一人もいないって人が大多数なのかなあ
一口馬主みたいな一口パトロンみたいなしくみってできないものかね。
それじゃ今のほとんどの専業コンテンツ作者さんは食えないか
つまりジャイアン。
「自分の物は自分の物」
「貴方の物は自分の物」「他者のものは自分の物」
これでtumblr賛成の人のできあがり。
いやそれだけじゃtumblr賛成の人にならないんじゃない?
自分/貴方/他者の考えでいくと
「自分の物は自分と貴方と他者の物」
「他者の物は自分と貴方と他者の物」
「自分の物は皆の物」の中には登場人物が全員いるんだけど、(ちゃんと皆のことが考えられてる)
「自分の物は自分の物」の中にはいない人がいるよね。貴方とか他者とか。
「貴方の物は・・・」「他者のものは・・・」
増田さんのを頭の中で、後者を考えてるときに「貴方とか他者」がすっぽり抜けてる。
これちょっとだけでも考えたらなんかわかるかも。
・・・ちょっといじわるするよ。
つまりジャイアン。
「自分の物は自分の物」
「貴方の物は自分の物」「他者のものは自分の物」
これでtumblr賛成の人のできあがり。
もしルーマンの言うように、現代社会が機能分化した諸機能システムと、その内部におけるコミュニケーションによって特徴付けられるとするなら、私たちはもはや物象化と疎外についても、それを経済領域だけに留めておくことはできない(また、当然ながら、経済領域は「土台」なのではない)。したがって、疎外/物象化論はその他の機能システムへも敷衍される必要があり、それぞれの機能システムにおけるコミュニケーション・メディアにおいて疎外/物象化が論じられなければならない。たとえば、「愛」をめぐっては、そこからの疎外として「非モテ」が論じられているが、しかしこれは「愛」というメディアへと関係性の価値を物象化、物神化しているがゆえに生じる議論なのだ。多極化/疎外状況を捉え、象徴的メディアへ批判を加えること。それが今なお可能な「唯物論」だろう。
DVDを整理していたらスカパーで録画したソフトなAVがいくつか出てきた。
まぁ折角なのでメディアを破棄する前にお気に入りのシーンを抜き出してyourfilehostにでもアップロードしておこうと思ったのだけど、思っていたより苦労したので顛末を書いてみる。
はじめに多分"dvd avi"とかのキーワードで検索して、Gordian Knotが引っかかった。日本語のページをいくつか見てみると、個別の機能を持つツールをインストール&それらの動作をまとめるという役割のよう。リッピングやエンコードでそれなりにCPUやディスクの処理能力が必要なので仮想マシンで試しても意味がないし、普段使用しているPCにインストールするのもどうかという気がしたのでパス。
もう少しWebで調べてみてFairUse Wizardがよさそうに思えた(導入や操作が簡単そうだったり、今は必要ないけど市販のDVDもリップできそうだったり)から、とりあえずフリーなLightEditionをインストールしてみた。少し試してみた感じ、うちの環境ではインストール&アンインストールも問題がないし、エンコード速度&品質も自分の感覚では問題ないように思えた。ただ一点、「おいしいシーンのみ切り出し」がLightEditionではできないのが残念。
結局FullEditionをPayPal経由$19.95で買いました。使い勝手はいいと思うよ。
yourfilehostとかの動画共有サイトのライブラリ充実のために、参考にして少しでも楽をできる人がいればと思って書いてみた。
こんなことをやってしまったけど、そもそもDVDに書き込む前のm2p形式のファイルを残しておけばよかったと思う。あと「FairUse Wizardを売りたい業者乙」な内容なのはごめん