同意。
「今好きな人とかいるの?」って普通に聞いてみて、いないって言ったら
「私とかどうよ?」って冗談半分で聞いてみるのはありかも。
いるって言われたら新しい情報で一歩前進だし。
http://anond.hatelabo.jp/20071226154520
049手目 1三白 987654321 ┏┯┯●○┯●┯┓一 黒アゲハマ 白*1 ┠●●┼○●┼●┨二 ┠○●○○○●●○三 ○┼○┼┼┼○○●四 ┠○┼○○○○┼┨五 ┠┼○┼○●○┼┨六 ┠┼○●●●●●┨七 ○○●●○●┼┼┨八 ┗●┷┷┷┷┷┷┛九 白アゲハマ 黒*4
あんな単調な作業で月100万単位を掻っ攫う奴もいるらしいぜ。一握りだけど。
http://namidame.2ch.net/poverty/
何で俺は嫌儲なんだろうなあ。
なぜだかアフィブログで2chのスレを転載して金を儲ける人間が許せないんだ。
別に嫉妬ではない。俺にも金をよこせとは思わない。転載ブログが便利であるのも認めるし、
アフィさえなければ転載されてもかまわない。。
しかしこの気持ちはなんだろう。
小学4年のときだったと思う。夏休みに、虫を捕まえて最低1週間の観察日記を書く、という宿題が出された。僕はミミズを”飼ったことにして”、1週間分の日記を2,3時間で書きあげたのだった。「今日は雨でした。ミミズは土から出てきて、なんだかうれしそうでした。」といったように。
虫としてミミズを選択したのは、我ながらなかなかに狡猾であったように思う。ミミズを観察する生徒が他にいるとは考えにくい。大半がカブトムシなりクワガタなりキリギリスなりバッタなりを飼うだろうし、教師もそれらの虫と比較すればミミズに関する知識量は少ないだろう。科学的に誤った記述をしても見過ごされる可能性は高いのである。
事実、雨の日にミミズが地表に出て喜んでいるように見えたことが科学的に正しいのかはよくわからないが、「お前ウソを書いてるだろ」と指摘されることもなく、宿題は当時の担任に、無事、受理されたのだった。まぁ、注意深い科学的観察能力を養うことよりもまず、そのようなわずらわしい作業でも不平を言わずに遂行するという社会化こそが、この観察日記の第一義の目的であったのだろう。
日記は提出後1週間ほどで、担任のコメントが付記されて生徒に返されたと記憶しているが、でっちあげの日記へのコメントなど見たくもなかったので、返された日記を開くことは一度もなかった。
小学4年の僕はミミズの観察日記を平然とでっち上げることができたのに、どうしたことか、26歳の僕は、そのようなウソをつくことに堪えられない体質になってしまった。
いや、今でもウソをつくことはできる。毎日終電近くまでの残業に追われる友人の仕事に対する愚痴を聞けば、「それは決して無駄な行為ではないはずだよ」と諭す。あるいは、彼の真っ当な指摘に同調し、より適切な作業方法、またその改善に向けたプロセスについて話し合う。思いを寄せる人と結ばれた女性に対して、一度ゆっくりと瞬きしながらやや大きく息を吸い、その後に、おめでとうと言う。
このような場合は、3割、いや、2割は本心であると自分でも思う。非合理な仕事方法は改善すべきだと思うし、知り合いの幸せはなんとなく嬉しいような気がする。しかしながら、残りの8割は、どうでもいいと思っている。返答が苦痛で仕方がない。
「あ、そう。」
彼/彼女から話を聴いた瞬間には、これしか言うべき言葉が見つからないのだが、励まし、同調、祝福、これらが社会的儀礼として必要であるということにかろうじて気付いているので、無意識のうちに義務としての言葉が口に出てしまう。もしかすると、そのような儀礼的言葉は自らへの言い聞かせでもあって、2割の本心というのは事後的に作り出されたのかもしれないとさえ思う。
無論、鋭い嗅覚の持ち主は僕の言葉の欺瞞にすぐに気付いてしまうのだろう、そのような非人間的な僕との関係は薄っぺらなままに保持されるのである。社会的儀礼として、僕との関係を切るのではなく、薄っぺらなまま保持する彼らに、僕は感嘆を覚える。
しかしより厄介なのは、決して少なくない人が、僕の恋愛なり人生なりに関する悩みについて誠実に答えようとし、僕の現在の状況なりについて真摯に憂うのである。
僕はこのような少なくない人達の寛大で優しい言動に、端的に胸が苦しくなる。涙が出そうになるときもある。そして、誠実に返答・行動しなければならないと思う。
間違いの始まりである。
誠実に返答・行動しなければならないと思うほどに、僕は、「この世界の全てがくだらない」という本心を口にしてしまいそうになるのである。もちろんそのような――僕にとっての誠実な感想、しかし腐りきった――言葉は、少なくない心優しい語りかけを台無しにしてしまうことがわかっているので、言えるはずもない。まして、心優しい人達ゆえに、僕の馬鹿げた言葉を真摯に受け止めようとしてしまうかもしれないという恐怖も、それを口にすることを遮る。
結果として僕の口から出る言葉は、「そうですね」「いろいろと心配してくれてありがとう」などといった、なんの内容もない不誠実極まりない返答なのである。これらの返答は、社会的儀礼すら十分に満たすことはない。心優しい人達は真剣に語りかけているのに、まさに今話題の対象となっているはずの僕の返答は、他人事のように空々しいものでしかないのだから。
それでもなお心優しい人達は寛大に振舞い続ける。「言いたくないならそれでいい。でも、いつでも相談に乗るよ」といった具合だ。僕は誠実に彼らに応対したいと一層強く思うのだが、この世界が、何より僕自身がくだらないことを精緻に描き出すことこそが、誠実であると信じてやまない僕は、ますますもって軽薄な人間にならざるを得ないのである。
このような僕を捨て去りたいのだが、他者との関係性の中に生まれる僕という存在を捨てるということは、すなわち他者との関係を断ち切るということである。心優しい人達は心優しいゆえに、そんな僕に語りかける。
エンジニアとして。
車を快適にするには?電車を安全にするには?携帯機器をもっと便利にするには?セキュリティを高めるには?どんなシステム、ハードウェア、ソフトウェアを作るべきか?
1ユーザとして。
DQNに免許与えんな。経験の浅い人間を運転士にするな。ガキに過剰な機能の携帯持たすな。情報リテラシ教育しろ。
ジレンマとしては対等なレベルにある話じゃないけど、時々思う。
http://anond.hatelabo.jp/20071211002418
もう飲み会で周りがばんばんすってても全然平気。
でもアイデア出しをしているときは吸いたくなるときがある。それは猛烈に。
きっと煙草が吸いたいというより脳にニコチンを打ち込みたいと言う方が正確なんだろう。
一時期、鬱が収まっていたが最近また出るように。
あまり関係なかったのかもしれないが喫煙時の鬱とは若干違う気がする。
攻撃的な鬱だ。自分に対しても他人に対しても。
を考えていったら多分その突き当たりには
「決断ができない」というのがあり、
更にその奥には
「ミスが怖い」というのがある
と思う
要するに根底にあるのは未来の失敗に対する恐怖だ。多分それが全ての元凶だ。
その失敗を、受け止められない弱さ。
自分で決断をしミスをしてしまったらそれは当然自分の責任であるわけだが、それを受け止める勇気がないのだ、おそらく
「自分の責任でこうなった。ミスをした」と認める勇気がないのだ。
ミスを飲み込む力がない
失敗はしてもいいのだ。
ただ失敗をしたらそれを飲み込んで前に進まないといけない。
僕はその「ミスを認めて飲み込む」力が弱い。
怖いのだ。
かといって常にそうなわけでもなくミスを認めることもある。そういう時にいつも思うのだが、ミスを認めるのは意外と怖くないことなのだ、その瞬間は確かに心が少し痛むけれども、飲み込んでしまえば案外、楽になったりする。熱いお茶が喉を通るときはキツいが、胃まで行ってしまえばもう何も感じず、さきほどの喉の熱さも忘れてしまうように。
ミスから逃げ続けるより、それ以前のミスを生み出すかもしれない状況の判断から逃げ続けるより、すっぱり決めて、ミスをして、「ああ、ミスしちまった」と認めた方が、結局何倍も楽なのだ。でも認める時は確かにチクリと痛い。僕はその痛さが怖くてつい逃げてしまう。逃げ続けても全然楽じゃないし、それどころかジワジワと常に嫌な気分が僕を纏うのだけど、それでも僕は一瞬の痛さよりそのぬるま湯をいつも選んでしまう。
でももう「覚悟」しなければならないと思う。
逃げるのはもうやめだ。
結局その方が楽なのだから。それは自分がよく分かっているはず。
覚悟、しよう。
立ち向かうよ。僕。
人に会いたくない。
彼女の番号だった気がする。
かけ直してはいない。もう別れて2年半。いまだにちゃんと吹っ切れていないけど
この電話に出ず、かけ直さないことで区切りを付けられるのだろうか。
後悔しない選択を思いつかない。
別れた相手の連絡先を削除とか、自分が振られた場合にもやるものなのだろうか。
同僚が必ずやると言っていたので、試しにやってみた。1年以上前に。
自分からは連絡とれなくなったけどたまに電話がかかってくる。
そんな状況だったから、友人の結婚式で久しぶりに会ったときも親しげに話をしてくるが
便利に使われているような気がして別れ際に「たまにはパソコン関係以外のことで連絡しなよ。」と
皮肉っぽく言ってしまった。どうせ言うなら皮肉ではなくちゃんと言えばよかった。
それでもぼくは今でもその人のことがものすごく好きで、でも表面上は忘れたい振りをしてる。
だからもう連絡はしないでほしい。それだけできっと終わる。でも今すごく寂しい。
2007年12月27日I11I11美しい国に石は落ちます→安倍晋三、国家の安全保障を考えながら石は落ちます→石破防衛相、まあねいつものことですから話し合いながら落ちます→福田首相、オタクのみなさんのところに落ちます→麻生太郎以下略
いや、つまらなすぎるだろう。さすがに。
そうやって女性に向かって尋ねるところがだめ。