を考えていったら多分その突き当たりには
「決断ができない」というのがあり、
更にその奥には
「ミスが怖い」というのがある
と思う
要するに根底にあるのは未来の失敗に対する恐怖だ。多分それが全ての元凶だ。
その失敗を、受け止められない弱さ。
自分で決断をしミスをしてしまったらそれは当然自分の責任であるわけだが、それを受け止める勇気がないのだ、おそらく
「自分の責任でこうなった。ミスをした」と認める勇気がないのだ。
ミスを飲み込む力がない
失敗はしてもいいのだ。
ただ失敗をしたらそれを飲み込んで前に進まないといけない。
僕はその「ミスを認めて飲み込む」力が弱い。
怖いのだ。
かといって常にそうなわけでもなくミスを認めることもある。そういう時にいつも思うのだが、ミスを認めるのは意外と怖くないことなのだ、その瞬間は確かに心が少し痛むけれども、飲み込んでしまえば案外、楽になったりする。熱いお茶が喉を通るときはキツいが、胃まで行ってしまえばもう何も感じず、さきほどの喉の熱さも忘れてしまうように。
ミスから逃げ続けるより、それ以前のミスを生み出すかもしれない状況の判断から逃げ続けるより、すっぱり決めて、ミスをして、「ああ、ミスしちまった」と認めた方が、結局何倍も楽なのだ。でも認める時は確かにチクリと痛い。僕はその痛さが怖くてつい逃げてしまう。逃げ続けても全然楽じゃないし、それどころかジワジワと常に嫌な気分が僕を纏うのだけど、それでも僕は一瞬の痛さよりそのぬるま湯をいつも選んでしまう。
でももう「覚悟」しなければならないと思う。
逃げるのはもうやめだ。
結局その方が楽なのだから。それは自分がよく分かっているはず。
覚悟、しよう。
立ち向かうよ。僕。