2007-12-28

ミミズの観察日記

小学4年のときだったと思う。夏休みに、虫を捕まえて最低1週間の観察日記を書く、という宿題が出された。僕はミミズを”飼ったことにして”、1週間分の日記を2,3時間で書きあげたのだった。「今日は雨でした。ミミズは土から出てきて、なんだかうれしそうでした。」といったように。

虫としてミミズを選択したのは、我ながらなかなかに狡猾であったように思う。ミミズを観察する生徒が他にいるとは考えにくい。大半がカブトムシなりクワガタなりキリギリスなりバッタなりを飼うだろうし、教師もそれらの虫と比較すればミミズに関する知識量は少ないだろう。科学的に誤った記述をしても見過ごされる可能性は高いのである。

事実、雨の日にミミズが地表に出て喜んでいるように見えたことが科学的に正しいのかはよくわからないが、「お前ウソを書いてるだろ」と指摘されることもなく、宿題は当時の担任に、無事、受理されたのだった。まぁ、注意深い科学的観察能力を養うことよりもまず、そのようなわずらわしい作業でも不平を言わずに遂行するという社会化こそが、この観察日記の第一義の目的であったのだろう。

日記は提出後1週間ほどで、担任のコメントが付記されて生徒に返されたと記憶しているが、でっちあげの日記へのコメントなど見たくもなかったので、返された日記を開くことは一度もなかった。

小学4年の僕はミミズの観察日記を平然とでっち上げることができたのに、どうしたことか、26歳の僕は、そのようなウソをつくことに堪えられない体質になってしまった。

いや、今でもウソをつくことはできる。毎日終電近くまでの残業に追われる友人の仕事に対する愚痴を聞けば、「それは決して無駄な行為ではないはずだよ」と諭す。あるいは、彼の真っ当な指摘に同調し、より適切な作業方法、またその改善に向けたプロセスについて話し合う。思いを寄せる人と結ばれた女性に対して、一度ゆっくりと瞬きしながらやや大きく息を吸い、その後に、おめでとうと言う。

このような場合は、3割、いや、2割は本心であると自分でも思う。非合理な仕事方法は改善すべきだと思うし、知り合いの幸せはなんとなく嬉しいような気がする。しかしながら、残りの8割は、どうでもいいと思っている。返答が苦痛で仕方がない。

「あ、そう。」

彼/彼女から話を聴いた瞬間には、これしか言うべき言葉が見つからないのだが、励まし、同調、祝福、これらが社会儀礼として必要であるということにかろうじて気付いているので、無意識のうちに義務としての言葉が口に出てしまう。もしかすると、そのような儀礼言葉は自らへの言い聞かせでもあって、2割の本心というのは事後的に作り出されたのかもしれないとさえ思う。

無論、鋭い嗅覚の持ち主は僕の言葉の欺瞞にすぐに気付いてしまうのだろう、そのような非人間的な僕との関係は薄っぺらなままに保持されるのである。社会儀礼として、僕との関係を切るのではなく、薄っぺらなまま保持する彼らに、僕は感嘆を覚える。

しかしより厄介なのは、決して少なくない人が、僕の恋愛なり人生なりに関する悩みについて誠実に答えようとし、僕の現在の状況なりについて真摯に憂うのである。

僕はこのような少なくない人達の寛大で優しい言動に、端的に胸が苦しくなる。涙が出そうになるときもある。そして、誠実に返答・行動しなければならないと思う。

間違いの始まりである。

誠実に返答・行動しなければならないと思うほどに、僕は、「この世界の全てがくだらない」という本心を口にしてしまいそうになるのである。もちろんそのような――僕にとっての誠実な感想、しかし腐りきった――言葉は、少なくない心優しい語りかけを台無しにしてしまうことがわかっているので、言えるはずもない。まして、心優しい人達ゆえに、僕の馬鹿げた言葉を真摯に受け止めようとしてしまうかもしれないという恐怖も、それを口にすることを遮る。

結果として僕の口から出る言葉は、「そうですね」「いろいろと心配してくれてありがとう」などといった、なんの内容もない不誠実極まりない返答なのである。これらの返答は、社会儀礼すら十分に満たすことはない。心優しい人達は真剣に語りかけているのに、まさに今話題の対象となっているはずの僕の返答は、他人事のように空々しいものでしかないのだから。

それでもなお心優しい人達は寛大に振舞い続ける。「言いたくないならそれでいい。でも、いつでも相談に乗るよ」といった具合だ。僕は誠実に彼らに応対したいと一層強く思うのだが、この世界が、何より僕自身がくだらないことを精緻に描き出すことこそが、誠実であると信じてやまない僕は、ますますもって軽薄な人間にならざるを得ないのである。

このような僕を捨て去りたいのだが、他者との関係性の中に生まれる僕という存在を捨てるということは、すなわち他者との関係を断ち切るということである。心優しい人達は心優しいゆえに、そんな僕に語りかける。

  • http://anond.hatelabo.jp/20071228025433 なんでお前みたいなのに話しかけるのに寂しがりの俺には誰も話しかけてくれないんだ

  • あなたは自分のことを非人間的と言っているけれど、あなたのような葛藤を抱えているからこそ人間的とも言えるのでは?少なくとも、「周囲の人間の人生や恋愛に気を配り、その悩みに...

  • http://anond.hatelabo.jp/20071228025433 ・・・ていうのがボクの誠実な感想

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