Thank you, but .... 的な言葉があったら便利だなあと思うところは100%同意するけど、Thank you, but .... も万能じゃないというか、これって言葉の問題じゃない気がする。「人に何かをして貰った。しかし意にそぐわない内容だった。」という場面自体に対する態度の問題というか。そこで肩をすくめてなるほどねで済ませる文化がないんじゃないかと感じる。仮に趣旨がすんなり伝わったところで、butを言い出すってことはそもそも感謝してないんじゃないかと責めるような文化があるよね。そっちをなんとかしたいと思うよ。
や、期待した方向の話じゃなくてごめん。
ちなみに自分は、今回の件については100%感謝だけにして、次もありそうな場合はそれを予防するのに注力することにしてる。例えば、使えないモノをもらった→もらった分は有難く受け取っておいて決してケチをつけないようにして、次も似たようなものをくれそうな動きだけは絶対阻止する。有難くないわけじゃないんだけどね、こっちも辛いんだよ。置いておくのも場所が要るし、捨てるのも心が痛むしね。。。。
受験勉強してたとき、やっぱ不安だから色々勉強法の本とかこっそり読んでたんだけどさ。
「勉強が得意になるにはまず、勉強を好きになることだ!」的な主張が書いてある本達、
「勉強なんて本来好きじゃなくて当たり前。そこに罪悪感を持たなくていい。勉強が好きであるはずがないのだ!好きな奴なんているはずない!だから割り切ってやるのだ!」的主張が書いてある本達、二つのグループがあったことを思い出した。
別にどっちの本もいいこと言ってるんだけどこの主張だけ食い違ってて、まあそりゃ人間それぞれ意見は違うんだから違ってて当たり前なんだけど、こうもパッキリ二つに分かれてるのは何なのだろう……一度この人たちを対話させてみたいものだ……と思ってた
自分はどっちかっつーと好きな方だったから、おそらく受験生を安心させるために書かれた「勉強なんて嫌いでいい、てか、嫌いなのが当然!好きであるわけがない!」という文句は寧ろ「あれ?俺ってダメなの?勉強好きとか思っちゃってるってことは、ダメな奴ってことなのか?成績上がらないのか?」とか微妙に悩んだりもした。でも別にとりあえず成功した
まあ多分、好きでも嫌いでも、どっちでもいいんだろうけど
嫌いな人は、無理して好きにならなくても、別に成績が上がる道はあるし
好きな人は好きゆえに受験の目的から外れがちにならず(たとえば古文が手付かずなのに大学への数学とかやり出しちゃうとか、あまりに完璧主義になりすぎるとか)というところに気をつければいいんじゃないかなあ
その辺が俺的には真実かなと言う気がする
一万円??三万円ぐらいはなんとか払ってもらえばいいと思う。
それ以上は酷っぽいな。定職についてるバンドマンって少なそうだしwww
人に何かをして貰った。しかし意にそぐわない内容だった。
こういうときに、素直に"Thank you,but…"が使えれば、人と人との当たりも随分柔らかくなるだろうと思うけど、現代日本語でこれをスマートに表現するにはどうしたらいいんだろう。いや、もちろん「ありがとう、でも…」と直訳したのではダメだ。だって日本語は後方に重点のある言語だから、人は最初の「ありがとう」を忘れてしまう。
では「……だけど、ありがとう」がベストなのか。ツンデレだな、それは。相手がこちらに最初から圧倒的な好意を持っており、こちらの言動を全て「ツンデレ」と解釈してくれるような幸福な状況においてはそれは有効だろうが、普通にはそれは沢尻エリカにしかならない。だから語順では上手に"Thank you,but…"のニュアンスを日本語で表現しきれない。
一語で、一撃でこのニュアンスを伝える旨い言葉がないものか。とりあえず現在のところ、「最初と最後につけてみる」ぐらいしか対応策がない気がしている。
「おう、○○美、これプレゼント」
「嬉しいけど、私これの赤が欲しいって言ってたやんか…でも嬉しいけど」
どうだろうか。
へびさんがやってたかぎょぴ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://slashdot.jp/articles/07/12/23/1521211.shtml より
id:smichoさんの「お金なんかいりまへん みんなホントにタダ働き大好きだな。」id:junkMAさんの「これなー、進みすぎると『個人的に応援フィーを頂く』という方法の取り方が、村八分な方向にしか流れなくなりかねないのが怖いんだよなぁ」と言うブクマコメントが結構スターを集めている様子に少し懸念。
こう言うのはやはり何だかミスリードなんじゃないかなと思う。後でid:glcs さんが「クリエイティブコモンズ≠ただ働き」であるとブクマコメントで指摘しているけど、クリエイティブコモンズ自体は対価を取ることと何ら矛盾しないはずだ。このこと自体はもっと広くちゃんと理解されていい。スラドの元の記事で詳しく解説・議論している人たちがいるから、それにしっかり目を通すと参考になるのだけれども。
ライセンスの種類にもよるが、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの重要な意義は被ライセンス者の独占・排除を予め封じることにあるのだと思う。JASRACのライセンスは全か無で権限委譲を伴う排他的なものであり、その融通の効かなさが二次創作物への利用を困難にしている。クリエイティブコモンズは共有を部分的にコントロールして許可する宣言であり、JASRACのライセンスとは相容れないものだが、対価を取るシステム=唯一JASRACではないように、対価を取る可能性を排除したものではない。作者に対価を還元するシステムと言うのはクリエイティブ・コモンズのライセンスとは別に構築しなければならない性質のものであり、それこそ世界各地で様々な実験的試みが手探りで行われているものである。確かにすべての収束解になるような対価還元システムが見出されるにはまだ至っていないのかも知れないが、それでも現行システムの崩壊は止められない趨勢であり、そこに乗っかっているわけには行かないとネットではさんざん言われ続けて来たのはご承知の通りである。
あと、
http://d.hatena.ne.jp/colorred/20071223/miku2
ここでひろゆき氏がCCに対してネガティヴな発現を繰り返しているけど、そりゃCCはユーザーの作ったコンテンツを商品を売りさばく会社のビジネスモデルにとってはもちろん目障りでしょうって(ただしその可能性を排除するものですらないよ)。でもそのことに触れずに、利用者の立場を装って「著作人格権の放棄の概念がないから」信用できないと言う理由で否定するのは不誠実だなと思った。「賠償金を支払う強制力がない」と言う人の目から見たらまあ確かにそうなんだろうけど。
残った半分で勝ち負け競争をもう一度やってまた半分…というニュアンスは言外に伝わると期待したつもりだった。
アンタの言いたいことは無論分かる。
この質問って男性向け?
Q33.自分の目つきが異性にいやらしく思われることをおそれる
Q35.自分の視線が相手の性器にいくことをおそれる
この辺あてはまる女性っているのかなと思って。
100歩譲って、「好き嫌い」という感情が必要だと仮定してみる。
でも、「好き」だけじゃ難関大学には入れないよね?
そのとき、「良質」を特徴づけるものはいったいなんだろうか?
うん。
メーカーとか販売店の保障がきくかどうか、ダメ元で問い合わせてみたら?あと、カードで買ってたらカード会社の保障とかもあるはず。
良い台詞を呉れてやる。
いいか。
俺たちは生まれ落ちた時点で既に「負けてる」んだ。
「ゼロからのスタートで…」とか、「心機一転、生まれ変わったつもりで…」とかよく言うだろう。
あんなのは全部、甘甘ジュースだ。
生まれ変わったらゼロになる? そんな甘いもんじゃない。人生というのは
負けたところから俺たちの人生はいつでも始まってるんだ。
だから
負けたところから立ち上がらなければ、俺たちの人生はいつでも糞だ。
かんたんに糞になっちまう。
かつて栄光の日々があった?そんなのは幻想に過ぎん。
彼らが心からの栄光に包まれていると、お前になぜ分かる?
彼らが明日転落しないと、なぜお前に分かるんだ。
だから
めげるな
くさるな
もうだめだと思ったときがスタートラインだ
世界はいつでもお前の敵だ
いつでもお前の足を止めさせようとしている
だから
振り向くな
いつでも
明日を目指せ。
……と、昔猿飛という親父が言ったそうな。
「テストで良い点を取るための勉強ができる」能力がある、ってのは、「説明された用語を記憶し、内容を理解し、それを応用できるようになるために努力する」能力がある、ということ。
そうするよ、僕もお金ないけど、その人の方が遥かに無さそうだし。
まず餅付け。釣られるな。
三回深呼吸してから読んで、反論するなり黙殺するなり好きに。
http://anond.hatelabo.jp/20071224193910
ただ増田を荒れさせないように気を遣うことを忘れず。
もう首吊りたい
自我ぶっ壊れて俺の中に残っているものは何もない
勝ちだった
勉強なんかできなくてもかっこよく生きれば
幸せだもんね、などとほざいたこともあったな
あああ
スポーツなんかもそうだけど、「できるけど嫌い」という奴は余りいない。
勉強も同じ。
小さい頃に周囲より「少しできた」ことは、正のフィードバックとして働いて、周囲からそれで賞められたりした日にゃ「勉強の出来る良い子」いっちょあがり。「勉強嫌い」な人は、勉強が嫌いなんじゃなくて周囲と比較して味合わされた「劣等感の記憶」が嫌なんじゃね?
「勉強全然ダメ」「うちの子は勉強嫌いで…」って奴でも、たとえば何か知らないことを知ったり、身近な疑問に気づかされてハッとしたり、物覚えがいいねと賞められたりすると、満更でない顔をする。そういう連中は決して「勉強が嫌い」なんではないだろうな、と思う。努力の報われそうな社会的なニッチにうまく巡り会えれば、それなりに社会の中で生きていったりする。
…と、元「偏差値無茶苦茶低い学校」の教師だった増田が呟いてみるよ。
ちなみにいまは進学校に転勤した。
そりゃまあ、自分に都合がいいように偽装したときのメリットがムチャクチャ大きいからな。
このキーワード、もうお白州マターにするしかないって。ルールを守らない人間を、一ユーザーがルールを守りながら止めるのは限界があるって。
それにしてもだ。
原理主義的視野狭窄の実例を、原理主義についてのキーワードで見ることができるってのは相当笑える事態だと思うのだが、本人はそのことについてどう考えているのか。ぜひ知りたいもんだ。
ってことで、それを当てられた側がどう理解すべきかとか、本人じゃないんだからわかりやすい「納得」に至らないこともあると思うのだ。
レベルから深く潜っていっても、「なぜ」方面で増田がきちんと得心できる状況にはなかなかならないんじゃないかなあ。
酒飲んで車を運転しちゃう人もいるし、昔ヨーロッパで作られた空気望遠鏡に興味を持って、それを再現製作しちゃう人もいる(さっきNHKでやってた)。献血する人もいる。社会鍋に寄付する人もいる。人を刺す人もいる。そして、いやがらせをしたくなったらする人もいる。
そういうことをするなんて考えたこともないって人もいる一方で、それをしたくなってしちゃう人もしっかりいるわけだ。
みんな自分に正直で、したくなったら理屈をつけてでもしちゃうんだなあと思った。
で、そういう前提で周囲をとらえるようにすれば、増田も少しは気が楽になったり、あるいは現実的な対策を立てたりする方向に思考が進むかもしれないです。
(なんか外しまくりのような内容ですが、ここまで書いたのでアップしちゃう)