男女問わず撮影時の常套手段だよ。
それって結局、オタクがされてきた(と感じている)事を真逆にやり返してるんだよな
オタクを迫害するな的なこと言っておいて、自分も相手(スイーツとかまあ有体に言えばリア充)に同じ事をしている。
自分がそういうこと(この趣味はいいけどこの趣味はダメ的なこと)されて辛かったはずなのにどうしてそれをまた他人にやっているのか。こんなことじゃ一生リア充には勝てない気がする
よくわかんないけど、次の日出かける予定が組める程度の体調の悪さ(胃がだめなだけか?)で
衰弱しきったと言う表現は…なんか大げさ過ぎね?
記事で問題になっているのは著作権だが、それには触れない。
但し、プロレタリア革命はブルジョワ革命が完遂した後に起こる、或いは現在の自由主義が歴史の終焉であると言った話題は、手に余る。
同じ20世紀で、しかも大衆芸能について、一定レベル以上の成熟と大衆性を獲得した(だから、純文学や前衛藝術を除く)ジャンルでは似たような進化を辿るのではないか、という話。
>>最後に取り上げる例は、ジョージ・スティーブンスの古典的西部劇『シェーン』である。周知のごとく、西部劇というジャンルは四〇年代の終わりに最初の深刻な危機を迎えた。純粋で単純な西部劇は、いかにも作り物で単純な繰り返しだ、という印象を与えるようになった。西部劇の公式は使い尽くされたようにみえた。作家たちは、他のジャンルの要素を西部劇に盛り込むことによって、この危機に対処した。かくして出来上がったのが、フィルム・ノワール的西部劇(ラオール・ウォルシュ『追跡』。この映画は、フィルム・ノワールの暗い世界を西部劇に移植するというほとんど不可能な仕事をなしとげた)、ミュージカル・コメディ的西部劇(『略奪された七人の花嫁』)、心理的西部劇(グレゴリー・ペックの『ガン・ファイター』)、歴史叙事的西部劇(『シマロン』のリメイク)などである。一九五〇年代に、アンドレ・バザンはこの新しい「反省的」ジャンルをメタ西部劇と命名した。
この「メタ西部劇」は『西部劇』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/西部劇そのもの/である。いいかえると、この映画は、西部劇の世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだ西部劇である。『シェーン』が生み出す効果を説明するには、ふたたび視界の機能に言及しなければならない。つまり、常識的なレベルに留まっているかぎり、すなわち視線という次元を導入しないかぎり、単純で理解できる問いが生じる──もしこの西部劇の「メタ」の次元が西部劇だとしたら、二つのレベルの間の距離はどう説明されるのか。どうしてメタ西部劇は西部劇そのものとぴったり重ならないのか。どうして純粋で単純な西部劇はできないのか。答えはこうだ──構造的必然性によって、『シェーン』はメタ西部劇のコンテクストに属している。<<
(スラヴォイ・ジジェク著 鈴木晶訳 斜めから見る。青土社 P121
猫も杓子もジジュクを使いまわしている昨近、またか!と思われる方も多いだろう。またか、である。
アンドレ・バザンの≪超西部劇≫(sur-western)は、時間=歴史的な対象、一九四〇年前後の古典主義に対する一九四四年以後の「進化した」西部劇を指し示す。対して、ジジュク≪メタ西部劇≫は、空間=図式的な観念である。それは「メタ」の次元とそれ以外の次元からなる「二段の棚」であり、話を進める上で好都合だったので、持ってきた。
日本の場合、過去の例で思い当たるのは、時代劇だが、最近では、何といっても、ロボット・アニメかな、と。(時代劇については、ここでは触れない)
名前はいちいち挙げないが、歴史叙事的ロボット・アニメ(西部劇では実際の過去の出来事だが、ロボットがポピュラーな時代は未だ来ないので、未来、或いは仮想世界が舞台になる戦記物)、コメディ的ロボット・アニメ、(破綻も含む)教養小説的ロボット・アニメ、ファンタジー的ロボット・アニメ、ラブストリー的ロボット・アニメ、その他、いろいろ。
では、”その「ロボット・アニメ」は『ロボット・アニメ』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/ロボット・アニメそのもの/であるような作品、ロボット・アニメの世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだロボット・アニメ”、西部劇で言えば「シェーン」に該当するロボット・アニメは存在するだろうか?
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1070627.htmlをみて思ったが、女性が自分勝手という男って女性に何をしてるんだろうか?「趣味を認めないのはけしからん」とかいってるけど、自分自身はどうなんだろう?「スイーツ(笑)」なんていって、女性の趣味を馬鹿にするのかな?
よくわからんからとにかくやってみるよ。やりながらわかるかも。ありがとう。
ノーマルボスは倒したよ、っていうか倒してからじゃないと裏ステージいけないけど。
攻略サイト見て必死こいて探したよ。今までどれ取ってどれ取り逃したかとか覚えてないからね。
それでもどうしても99枚しか見つからないで別世界巡りかと途方に暮れていたところ移民の町を最高レベルまで上げることが出来てラスト1枚が手に入った。
移民の町は昨日頑張って人集めしたんだけどそれもどうしても34人までしか人が集まらなくて神様倒して住人にするかと考えてもう諦めてた。
だから移民の町のメンバーリストと出現場所リストを照らし合わせていったらいそうな所があったからそこで1人発見。
小さなメダルを裏ステージとは言え本編に組み込むのってどうなんだろう。あれは本編と別のお遊びであってほしいんだが。
100枚集めるのすげーだるかった。ギリギリ100枚。最後の1枚が見つからなかったら別世界片っぱしから捜索しなきゃいかんかった。
>twitterユーザは数ヶ月後にはそのことをすっかり忘れてしまう。
覚えているのだろう。
合間に馬鹿なことをするから頭が悪いのだろうけども。
twitterで印象深かった出来事を10個取り上げてみました。順不同です。
就職活動中に面接先の社長とtwitterのイベントで偶然対面し就職が決定。twitterで得られた人脈を頼りに転職など。
就職できたユーザのアイコンが鼻血を出していた事から、「鼻血を出せば就職できる」という都市伝説が発生、一夜にして鼻血アイコンでtwitter中が染まってしまった。
DMすると代わりにしゃべってくれる。
一見すると匿名性が高いので卑猥な言葉を多く話すが、中の人たちからはバッチリ見られているので注意。
404や500などのエラーが発生したときに出現していた猫画像、通称メンテ猫がリニューアル時に消滅。
当時はメンテ猫を惜しむ声が上がったが、twitterユーザは数ヶ月後にはそのことをすっかり忘れてしまう。
基本的にtwitterユーザは物忘れが激しい。1ヶ月前の事をまるで数年前の出来事のように懐かしんだりする。
あれ?そういえばついったんって何で猫をモチーフにしてるんだっけ?
泣く子も黙るスーパーハッカーdankogaiが、さらに上手を行くウルトラスーパーハッカーに脳をハックされ、最盛期のdankogaiなら設定するはずのない安直なパスワードをtwitterで使用させられてしまったため、そのパスワードを類推されてアカウントを乗っ取られた事件。
次々に顔(=アイコン)を変え、URL以外の文章を立て続けにPOSTするdankogaiに全Followersはガタガタと震え上がるしかなかった。
その後、dankogaiは対twitter恐怖症になりFollowingを減らしprotectをかけ、引きこもった。
Webカメラがあればブラウザだけで簡単に中継の出来るUstreamがtwitterユーザ間で大流行。
オフ会中継に活用され、オフ会をけまらしく思う地方ユーザに一体感を与える事に成功した。
しかし、どんなにオフ会が盛り上がっていても自室で一人モニタに向かっているという現実に気付いてはいけない。
また、自重を知らない者たちがUstream上で異常な行動を取る現象が多発。
イベントの控え室で叱られる大人や、性器を露出して他人のアカウントを剥奪させた者もいる。
twitterのFavorites機能を集約し、どの発言が注目を集めたのかを可視化したサイト。
心に響く発言、ためになる発言が集められる事が期待されたが、ふたを開けてみると変態が変態をさらし者にするという阿鼻叫喚の地獄絵図がそこにはあった。
☆を付けられるごとにエクスタシーを感じる露出狂系の変態の変態度が急加速し、twitter全体の変態度が3割ほど上昇した。
その後、機能強化が行われ、ユーザごとの「ふぁぼられ」ページが追加された。
ふぁぼられページのGoogle Adsenseは脳内メーカー以上にその人を分析してくれると、もっぱらの評判である。
6月の「春のban祭り」と、12月の「歳末大ban祭り」の2回開催された。
歳末大ban祭りでは勝手に待避先に設定したjaikuに、変態どもがわんさか押し寄せ、変態トークを開始、jaikuが爆発した。
その有様はまるでjaikuがレイプされているようだった。
enrakuがお題を出し、Followersが答えを返すtwitter大喜利がゲリラ的に行われるようになった。
大喜利タイムにはtimeline上が@enrakuで染まるが、enrakuをFollowしていない人たちのtimelineは急に静まりかえってしまう。
座布団運びのyamadakunはややさぼり気味である。うふふぐふ。
相手をアイコンでしか把握していないので、みんな胸にぶら下げたアイコン名札に向かって話しかけ、目を見ない。
当然ながら会った相手の顔など覚えていないので、「忘年会でお会いしたxxxです」と挨拶するのは禁物だ。
これは10大ニュースですか?
最近の出来事に偏っているのは、物忘れが激しいためです。
「あれだけ話題になったのに何でこれが入ってないんだ」という意見もあるでしょう。
それは観測範囲の違いによるもので、そのこと自体がtwitterの特徴の一つと言えます。
こんな出来事が印象に残る利用者もいるんだな、と思っていただければ幸いです。
この記事を参考に、自分なりの10大ニュースをまとめると楽しいのではないでしょうか。
この10の出来事よりも、印象に残ったこともいくつかありますが、特定個人に関わる一部の出来事は意図的に除外しています。
http://anond.hatelabo.jp/20071222053756と同じ人?
センスあるな。面白い。もっとやれー
常に燃えるように静かに 片隅で本を開いてる君に 言葉を尽くして語っても
それは平凡な僕のそれは ケータイ小説より稚拙な出来に いつもなぜかなっちゃうーんだ。
個性的な作家のリスト 並べて作りましょうか かくてできるのは あらどうしてか みんなとおなじラインナップ
あらなぜかしら 君は他のヒトとは違う特別なコのはずなのに
嗚呼ー文学少女ー
涙一つ流さず「感動した」と述べます
嗚呼ー文学少女ー
クスリともせずに「エンタメ」語ります
あー文学少女ー
批評家を批判するのが
あーぶんがくしょうじょー
ただ上半行をなぞるだけの本にゃ映らなー
いー文学少女
本を閉じてよ もう読む必要ないから
もう君は十分 特別なんだっ
なにそのブログの筆者、気持ち悪い。
他人に対する口の利き方って、そもそもお前が何様つもりなんだろうか。
それに、他人にメールを送るのに絶望書店主人と冗談のような名前を書くことは礼を失しているとは思わないのだろうか。
なに、マスかいてろとか、汚い言葉連発して。
実名云々には興味ないが気持ちが悪い人間だな。
まともな議論と勝手に話し合ってるのが混じってるときに侃々諤々喧々囂々両方だなと言うことで侃々囂々とわざと言うことがあるよ。
「いやはや、今日は侃々囂々だね」って感じで。