2023-10-17

から攻めの自殺時代にしていこうぜ

先日、あることで死にたくなりながらフラフラと街を歩いていた。自分でもこんな気持ちになるもんだなと驚き、さてどんな風にやったろかい!と考えたがやっぱりさっき原因となることが起きたときに、その場で「てめえのせいじゃあ!」と勢いよく死んでやればよかったなと思い、もう機を逸してしまたことに気づいたのだった。

それからどうせだったら世の中のために死んでやるかと思い、消費税を5%にしてくれい!と叫んで死んだろかと思い、首相官邸に行こうか国会に行こうか悩んだが、そもそもゲバラ切った直訴は届くもんかねと悩み、家に帰って酒を飲んで寝た。

思えば、前の職場はよくよく人が死んだ。新人研修自殺業務中、よくある研修自殺熱中症で寝たきりになったり、最近でも同じ週に3人死んだ。自殺を止めたこともある。そしてうちうちになかったことになった。

そして何も変わらなかった。全ては個人精神的な問題によるものとされ、イレギュラー扱いになり、変化の要因とはならなかった。

人の死に関わった組織の人々がみな薄情だったとは思わない。ただ組織は人の死を受け入れ、その意味を汲む方法論を持っていなかったと今は思う。

どうしちまったんだよ!日本ハラキリで意地を通すサムライの国だろうが!ジメジメと樹海なんぞで死んでるから、人の死が遠く希薄ものなっちまったぞ!テロなんて責任取れないことしてないで切腹してけや!

というわけで自殺をするとき社会かましていってほしい。自分の死で社会を変えられないときもあるだろう。悔しいがしかし後進の力にはなるはずだ。がんばれ。

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