ある種のヒューリスティックとして機能しているうちは(機能させる必要があるうちは)、その観念から脱却するのは無理だと思うな。
思考とその主体を切り分けて考えると、本来は拾い上げられた含意を無視しかねない。これは、自閉症スペクトラムに見られる字義通りの解釈に近い。言外の情報や文脈を考慮できない場合は障碍があると見做されうる。
テクストは全てを語れないからな。もし語ることができたのなら、完全に切り離しても全てを正確に取り上げられるのだが、それができない以上は極端にはなれないだろう。
このアノニマスダイアリーは、そういう思考とその主体を別個にしやすい場所でもあると思うが、話していて(あるいは会話を見ていて)、細かい意義づけの違いなど、通じてるんだけど微妙に通じてない感覚があることがないか?
そういうのを避ける仕組みなんだと思うぞ。自覚して修正できるなら差別をするリスクは低いし、あなたにその意図がないなら誤解だったと謝ればいい。
思考と思考者を切り離して考えることはできる? その人の考えることをフラットに聞きたいし知りたいと思うのだけど、 俺はどうしてもその人の背景に意識が行ってしまう。 こういう...
ある種のヒューリスティックとして機能しているうちは(機能させる必要があるうちは)、その観念から脱却するのは無理だと思うな。 思考とその主体を切り分けて考えると、本来は拾い...
原理的にはできるだろうが現実的には難しいし、切り離す意味もそれほど無いような気がするが。 『他人の思考の表面を知っても背景を知るまで安心できない』というのが、その内容如...
夜半に集う精神を病んだおばさんの顔を思い浮かべた