2021-11-06

anond:20211106123927

結局、ルパン三世ってルパン声優山田さんが亡くなったときに終わってしまっていたんだと思う。

これは私とか私と同世代のかたにとっては真実ではないかなあと思う。

 

ルパンというのはかなりいい加減な話が多くて、

ちょっとたまにhuluとかで昔のやつを見たりすると

お話的にはどうしようもないものがおおい。

 

なのに、なぜルパンというと一定クオリティハードルの高さがイメージされるかというと

それはルパンというキャラクターの緊張感が醸し出していたものなのだと思う。

もちろん次元や五右衛門、銭形、不二子などのキャラクターもそのルパンという作品テンションの中に含まれているのだが

そのルパンという作品テンションの源泉はやはりルパンというキャラクターが成立させており

そのルパンというキャラクターの肝要の部分として山田さんの演技というものが大きな部分を成していたのだ。

 

別にあとを継いだ人がいいとか悪いとかいう話ではなくて

ルパンというキャラクター山田さんの演技がなくては成立し得ないものだったのだ。

ルパンというキャラクターなしには成立し得ないルパン三世という作品

ルパン無しでやろうとする、

山田さん不在以降のルパンはそんな不可能を追求する物語だったのだ。

ゆえにどんなルパンを見ても我々は満足することはなかったのだ。

そのなかで例外である不二子スピンオフさせてルパンとは別物語を構築した場合のみに納得の域に達したのはそれはルパン三世という作品とは別作品になったが故だろう。

わたしルパンというものをこのように捉えている。

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