2019-06-04

上野千鶴子東大祝辞と「殺されて当然」

東大には外的環境のおかげで入れた(という側面もある)」

ということを伝えた上野千鶴子氏による東大スピーチ共感できた人は多いと思う。

一方で、昨今の報道の中で、

「人に迷惑をかける可能性があるなら死んで(殺されて)も仕方ない」

という主張が散見される。

この2つの意見自分の中で両立させられる人って、想像力が足りないんじゃないかと思ってしまう。

「単に自分は、環境のおかげで経済的生産性がある」状態を維持できてるだけであり、5分後に、何かの拍子で気が狂ってしまい、この世の全てと自分を壊したいほどの怒りを持ってしま可能だってある。

正直自分はめちゃくちゃ不安で、「一人で死ね」や「よくぞ殺した」なんて言えない。

同情心で思うのではなく、自分がいつその立場になってしまうかわからいから、どんな人でも許容できる社会ルールになってほしい。

最近特にルールを破ったら炎上する傾向が強くなっている気がする。たまたま自分がその立場にいないだけ、ということを忘れないようにしたいですね。

  • 流石に無差別大量殺人やらかす人を許容するのは無理

  • 「共感」は感情であって論理ではないから、相互に矛盾することの両方に共感することなど何の問題もなくできるんだよ。

    • 共感ならいいんだけど、論理じゃないのに論理まで気取ろうとするから矛盾をつつかれるわけだしな

    • それをダブスタ、蝙蝠野郎という。 信頼に足らない

記事への反応(ブックマークコメント)

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