2019-01-24

認知症になったおばあちゃんの話

最初に言っておきたいのは、これから語るすべてのことはつくりばなしであるということ。人間が泣いたり笑ったりするのに、それが本当のことかどうかなんて関係がないと思うんだ。

おばあちゃんは常々「死んだらすべて終わり。生きているもの大事。」と言っていた。空襲で死んだ友達最期言葉が「お前の人生大事しろ」だったからだという。死んだ友達のぶんまで生きようと戦後必死に生きてきた。

それが認知症になったら「私は天国にいるけれど死んでいない」と言い始めた。正直、何を言っているのか分からなかった。わけのわからないことを言うようになったおばあちゃんに苛立つこともたくさんあった。ご飯しましょうと言ってウンコを食べ始めたこともあった。

ある日、おばあちゃん荻窪に行きたいと言った。荻窪のどこに行きたいかと聞くとアメ横だという。おばあちゃんそれは荻窪じゃなくて上野でしょうというと「ああ、そうかい」と言ったので上野に連れていった。上野は思い出の場所だと常々言っていた。

ところが、上野駅に着いて駅舎を見せると狂ったように「浮浪児がいる、浮浪児がいる」と叫び始めた。それは単に戦争の嫌な体験を思い出したというより、目の前に本当に浮浪児がいるような振る舞い方だった。おばあちゃん幻覚を見ているのだろうかと思った。

かつておばあちゃん闇市の話なども楽しげに語ってくれていた。それらも若い頃の思い出として語るぶんには楽しかっただけで、そのときには物凄く不愉快なことだったのではないかと思った。

私には本当のおばあちゃんがどんな姿をしていたのか分からなくなってしまったけれど、おばあちゃんと一緒に遊んだとき写真は大切にとってある。

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