私は若いころ、友人と遊ぶことや、リア充を装うことがマストだと思っていた。
それができない人間は落ちこぼれで、取るに足らない人間だと思っていた。
友人と一緒にいることは楽しくなかった。
自分の功績、ステータス、友人関係、恋人をポケモン扱いして、見せびらかすような自慢合戦にも辟易としていた。
楽しいフリはしてたし、いろんなコミュニティに顔を出したり、いろんなことに手を出した。
本当は家でまったりしていたかったし、好きな本をずっと読んでいたかった。
だけど、そう感じてしまうことは悪いこと、ダメなこと、かっこ悪いことで、
もちろん逃げているだけの人もいるだろうけどさ、
リア充になろうとしない人たちのことはすべて怠け者、変な人、悪い人、取るに足らない人。
ずっとそう思っていた。
でも気づいたんだ。
逃げているのは自分だった。
学校的な価値観、テレビのリア充至上主義の価値観と自分の気質が相反していることを認めたくなかった。
ただそれだけなんだ。
努力だと思っていたことは、自分で自分を認められないゆえの逃げだったのかもしれない。
自分が一番かっこ悪かった。
知らなかったんだ。
そういう気質の人たちでも生きていてもいいんだということに。
ギャグマンガ日和のオープニングみたいだな