2016-03-24

知らなかったんだ

私は若いころ、友人と遊ぶことや、リア充を装うことがマストだと思っていた。

それができない人間落ちこぼれで、取るに足らない人間だと思っていた。

学校コミュニティの中で自然とそういう考え方になっていった。

友人と一緒にいることは楽しくなかった。

自分の功績、ステータス、友人関係恋人ポケモン扱いして、見せびらかすような自慢合戦にも辟易としていた。

楽しいフリはしてたし、いろんなコミュニティに顔を出したり、いろんなことに手を出した。

自分もそんなポケモンバトルに参加しないとダメだと思ってた。

本当は家でまったりしていたかったし、好きな本をずっと読んでいたかった。

だけど、そう感じてしまうことは悪いこと、ダメなこと、かっこ悪いことで、

リア充じゃない人は逃げているだけだってずっと思っていた。

もちろん逃げているだけの人もいるだろうけどさ、

リア充になろうとしない人たちのことはすべて怠け者、変な人、悪い人、取るに足らない人。

ずっとそう思っていた。

でも気づいたんだ。

逃げているのは自分だった。

本当の自分気質に向き合うのが怖かったんだ。

学校的な価値観テレビリア充至上主義価値観自分気質が相反していることを認めたくなかった。

ただそれだけなんだ。

努力だと思っていたことは、自分自分を認められないゆえの逃げだったのかもしれない。

自分が一番かっこ悪かった。

知らなかったんだ。

そういう気質の人は受け入れるしかないし、

そういう気質の人たちでも生きていてもいいんだということに。

私の青春時代からっぽだ。

たからみたらリア充だと思うかもしれないが、からっぽなんだ。

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