自分がいまそこに居るんだってわかってて、まわりの世界がどういう風に動くようになっているか、なんとなく空気を感じられていて、まわりのものがその秩序の上で、どういう役割や意味をもってそこにあるのか、全身で感じられるような、時間の経過を感じているとき、
まわりのものが、自分の思い描ける秩序の上で、どうあるべきか「素直」に感じられるから、その場にいる自分が、しかるべきしてそこにいるんだと感じられるから。
まわりのものを見ないようにして、後ろ向きになって、1つのものに目を向けて、ほかのものを感じられないようにしてしまうと、
なにに囲まれているか、いつのまにかどうしてそこにいるのか見えなくなっていて、目の前のものだけに目を向けるようになってしまって抜け出せなくて、それでも行き所のない気持ちが、逃げの気持ちを加速させて、またさらに逃げていくから。
それでも行き場のない不安の感情が、自分の肉体から離れた脳内の精神に従って、どうしようもなくなって、もっとさみしくなる行為にどっぷり浸かっていくんだ。そのとき、さみしいな、どうしようもないな、だれも俺のことなんて目をむけていないわけだし、生きている意味がないんだなって、真に納得していって、さみしい。