2015-05-23

「人に話しかける」、ということ

僕は、人に話しかけることが苦手だ。

人に話しかけなければいけない時は、いつも胃がきりきりと痛む。相手が見知らぬ他人だろうと、そこそこ知っている友人だろうと同じだ。

昔は、人の話に応対するのも苦手だった。でも、それは最近克服できた。人と話をうまくするというのは、単純に技術問題からだ。

ちゃんと話が続くような受け答えをその場で考えることができるようになれば、このハードルは拍子抜けするほど簡単に超えることができた。

でも、人に話しかける時に必要なのは技術ではない。

「人に話しかけるのが得意な人」の素振りを見ていても、彼がしているのは単に「人に話しかけること」、それだけだ。

要するに、これは技術問題ではなくて度胸の問題なのだ

度胸の有無は、先天的ものなのだろうか。いや、そうではないだろうと、ずっと信じてきた。

ドキュメンタリー作家森達也が「今でも取材を申し込むときはとても緊張する」と話していたのをどこかで読んで、僕は救われた気分になった。人に話しかけるのが苦手な人が、国内有数のドキュメンタリー作家になれるのだ。度胸は頑張れば手に入ると思っていた。

度胸を身につけるために、人に話しかけなければいけないような状況に自分を追い込んだ。度胸のスパルタ教育だ。

結果は、良いとも悪いとも言えなかった。確かに、前なら話しかけられない状況でも話しかけることができた場面は増えた。

でも同時に、やはり話しかけることができない自分もそこにいた。胃痛に負けて、話しかけようとした意志をなかったことにしてしまう。話しかけた時より、そうしなかった時の方が気分が落ち着く。

度胸は、青天井に伸びるものではなかった。これ以上努力しても無駄だと感じるようになり始めた。

最近、僕は森達也とは違う人間なのだと気付いた。

彼も僕も、人に話しかける時は胃がきりきりと痛む。彼は、それでも人に話しかけることができる。僕には、それができない。

いつになったら、僕は人に話しかけることができるようになるのだろうか。

  • 話す前に会話のストーリーを想定してみる 何か答えを求められた場合に無理にその場で答えずに、考える時間をもらう などでしょうか?

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