2014-07-22

小学生プールと私

私の通勤電車には、小学校の横を通る場所があって、窓から体育館横のプールが見える。

今年も梅雨入り前あたりから、そこで水泳の授業がはじまった。

はいつも、吊革にぶらさがりながら、それを凝視するでもなく凝視している。

そうしてつぶさに観察していると、小学生女子の身体が、えもいわれぬ不思議な魅力をもつように思えてくる。

プールサイドに立つ小学生の姿を遠く眺めると、ゆるやかな曲線を描くシルエットが、しなやかに波打つように見える。

その線の微妙さは、小学生の、さらにある時期にしかもちえないものだ。

中高生のように、皮膚の下の柔らかい肉が、重力にしたがって変形して身体を形作っているのではない。

しかし、骨格のうえに皮がはり付いただけの、石のような身体とは全く違う。

紺色の水着の下には、薄い層をなした脂肪が、机に落ちた一滴のミルクのような繊細さで漲っている。

それは触れば手に溶け出してくるが、しかし形を崩すことなく内側にある硬い骨を予感させる。

鎖骨の下のふくらみは、いまだ肋骨の上で静かにその場所を主張するのみである

しろ目立つのはおなかの丸さであるかもしれない。

それとは反対に、背中には、矢を放つ弓ように引き締まった筋道が頸から発して腰を経て、尻のところまで力を伝えていく。

広くはないがゆたか質量をもったその尻を、水着が、液体の入った風船のように圧力をもって押し包む。

少女が爪先に力を込めて小さく飛ぶとき、力の入った脚の表面に細かな陰影ができる。

そうして次の瞬間には、白い足の裏でざらざらした地面に着地する。

その活き活きした生の発散を見るとき、私も年をとったなあと思うのである

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん