2007-01-27

この情報化社会にあって

競争は、質の良い物を生み出すためには確かに必要だけど、既存の物に有利で、新しい物には不利。新しい物を認めさせるには膨大なエネルギーが必要なのである。

新しい物をより効率よく生み出すために、いったん競争というものを忘れなければならない。

ブレストと似てるかもしれない。

しかし徹頭徹尾、受け入れを無視するわけでなく、最終的に食べやすくデフォルメアレンジをしたものを、つまり入門を用意するのがコツである。

世の市民権を獲得してるか否かは単純に、入門があるか無しかの差である。

メジャーな物ほど、いくつかの入門が用意されているものだ。

狭き門は、ノイズや歪曲者、破壊者などを呼び入れないためには確かに必要であるが、今の情報ネットワーク化時勢では門を開け放すことを選ぶ覚悟がいる。

ただここで重要なのは門を開け放すタイミングであって、それを誤ると、用意した構造物を揺さぶられ、破壊され、無価値な物へと変質させられてしまう。

だから今、最も求められる(俺が重視する)力は、門を開け放したときに入ってくるノイズをいかにして制御するかということである。これは詰まるところリーダーシップを発揮することや、マネジメント力である。

この世界の人材は玉も瓦も一緒くたになっている。ものすごく能力が高い人間もいれば、本当に使いようがない人間もいるわけで、狭き門はこれらをふるいにかけるフィルターの役割をする。

ただ、このフィルターは完全ではなく、有能な人間も多くはじいてしまうし、無能な人間も多く引き入れてしまう。

全くフィルターしないよりかは随分マシという程度、ファイアウォールを有効にしたら少しはウィルスの被害に遭わなくなるだろうといった程度の物である。

かつての時代は、隠れた才能は完全に切り捨て、志願してきたある程度の質を持つ人間だけで聖域(コミュニティ)を作り、そこで自分らの技術・学術を発達・洗練させていけば良かった。そしてそれは必然的に専門性を生成する構造であり、専門外のことについては深く対応できないし、求められることもなかった。だが、時代は変わりつつある。

現在、人々にはマルチの(複数の)分野での活躍が求められてつつある。それと同時に、今までフィルターされて弾かれてきた隠れた才能に着目・それを発掘することも行われるようになった。どっちが先でどっちが後か分からないが、この2つの兆候は密接に関係しているように思う。

インターネットが専門外の有能な人間を多の分野に引き込むようになってますますこの兆候は加速しているが、インターネットがここまで普及する以前から、この兆候の前兆となるものはあったように思う(というのも、俺が高校生だった90年代頃にすでに専門を問わず複数の分野で深く活動していた人がいたからである)。

情報の分野では、インターネットの普及により、専門外の有能な人間の参加が増えたことにより、ノイズも多く増えたがそれを補ってあまりある有益な情報も引き込まれるようになったのは今更言うまでもないだろう。

全ての分野は情報を持つ。そして情報は価値を持つ。いわば情報は一つの通貨である。そして多くの人がそれらを扱う環境が整えられたため、多くの人により扱いやすくなるように情報フォーマットされることとなった。こうしてフォーマットされ扱いやすくなった情報は、より多くの人々に普及し、価値が高められていくようになる(ただし、ここで言う価値は有用性であり、希少性ではない。このことは後述する)。

だから、逆に言えば、情報にある程度の魅力(価値)があり、それがフォーマットされていたらそれは流通するのである。

こうして、今まではコミュニティだけで流通していた通貨が、一気に世界へと広がったのである。だがこのことによる弊害もある。

それはコミュニティだけで共有されていた情報が誰でも簡単に入手できることによって、その情報の神聖性(希少性)がなくなることである。

情報の価値には2つのパラメータがあって、一つは有用性、もう一つはレアリティである。これはトレカに喩えると分かり易い。コモンカードだけどめちゃくちゃ使えるカードもあれば、レアカードだが全く役立たずなカードもある。

特に一部の人しか知り得ない情報はいわばプレミアカードと言うことができる。

情報を門戸を広げてネットという大海原に放出することは、情報の有用性を高める代わりに、希少性を失うことを意味する。

かつてはプレミアカードを持っていた人間は賞賛された。それがたとえ使えないくずカードだったとしても。

そしてそのことによってそのカードの持ち主は自身の価値を高めることができた。

いまやプレミアもコモンもネットに流出される時代。

人々は、カードのシナジー(組み合わせることで効果が倍増する組み合わせ)やコンボを重視し始めた。

つまり自分のデッキに組み入れられるかどうか、そのカードをどうやって使うか、に価値を置き始めたのである。

こうなるとプレミアカードコレクターの人的価値が下がってしまう。彼らが取る行動は大きく3つ。

一つは何もせず、成り行きに任せる(あるいは問題意識を持たない)。

もう一つ漏洩を徹底防止してカードの希少性を維持すること。

三つめはそのままでは使えないカードを使える形に加工してから、それらを開放すること。つまり誰も考えつかなかった意外なコンボを提示したり、できる限り汎用性の高いカードを何とか発行することである。

お堅いと思っていた団体が急にフランクになった例を最近よく見る気がするが、こういうことが一つの理由だろう。

しかし将来的には遅かれ早かれ、多くの団体が三つめの手段を取らざるを得なくなると思う。

このような情報流通を制限することで価値が高められているが、本来的な価値は少ない。そして価値の低い情報は駆逐されていく時代の兆候なので、団体には新たな価値を作り出し、社会に発信することが求められてくるからである。

そうなってくると、まやかしの希少性は徐々に意味を失い、経験に基づいた情報や、洗練の要る情報といった、よりその人の血肉となっている(オリジナリティがある)情報こそが希少性ある情報となるだろう。

インターネットというのは価値判断を大衆に委ね、まやかしの希少性を暴くという点でこれから役立っていくと思う。

しかしそうなると、今まで手に入れるのが困難だった情報を収集していた専門家はどうなるのか?

いったい何をもって情報収集をしている一般人と差別化を図ればいいのか?

複数の範囲を渡り歩く人々が増えてきた原因はここにあると思う。

苦労して新しい論や分析を発表しても、少しすると自分と同じ考えを言ったりしたりする素人がいる。

何も発表しないままだと時間とともにその人とその専門家との価値の差異が縮む。

だから専門家は、常に社会の流れを追って新しい論や考察を生み出し続けなければならない。新しい情報を常に発しなければならない。

みんなみんなそんな発想力とバイタリティを持ち合わせているだろうか?

もしそこに不安がある専門家は何をすればよいだろうか?

そこで複数の分野をカバーするわけである。

専門の分野を知ってる人がいる。

αの情報を知ってる人がいる。

でも専門の分野+αの取り合わせの情報を知ってる人はなかなかいない。

こうすることで自分の価値を高めているのではないだろうか。

また、社会現象がより複数の多岐の分野に渡ってきたお陰で、それを一つだけの専門性で切りにくくなってきたというのも考えられる。

最前線で価値を生み出し続けることはできないけど、その人達と違って私はレパートリーが広いから庶民の要求に幅広く応えることができます」、といったところか。

自分の本来の分野では新しい価値を生むのは難しいけど、違う分野にて本来の分野のやり方で切るという方法で、新しい価値を生み出すというのも考えられる。新たな組み合わせ。シナジーを期待するのである。

あるいは価値観が多様になったため求められそうな情報は何でも漁るドラフト者もいることだろう。

ここは、多分野に渡るといえ、コンセプトを持ってコレクトをしないと情報の海に溺れてしまうだろうから注意が必要だ。

今までは専門がはっきりしない人は浮ついてると見なされ正当な評価をされにくかったが、これからの時代は複数の分野に渡って活動しているマルチ専門家がますます増えていくのではないかと私は考えている。みんなみんな興味関心を一つに絞りきれるとは思わないし、そんな人たちの複数の分野で活動できる環境が整いつつあるからだ。あるいは、この高度情報化による副産的な効果として、成り行きで専門外の領域に踏み込む機会も、より多くなっていくのでは、と感じている。

だからノイズ(=厨)は多かれど、有用な人を引き込もうとするならば、もっと入門を設けるべきなのだ。

そうすればマルチ専門家がその分野を発展させてくれるだろう。

一部では腐るほど入門を設けてる分野があるのに、他方で全くそれが整備されていないのはおかしなことだと思う。

※推敲途中です。

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