はてなキーワード: 情報化社会とは
『街場の読書論』ゲラチェック95%ほど終了。年内に「あとがき」書いて、戻せそうです。
今日は「メタ・メッセージ」論を20枚ほど書き足しました。メタ・メッセージというのは「これは嘘です」とか「後ろの方、聞こえますか?」とかいう言明のことです。これは誤解の余地のないメッセージなんです。メタ・メッセージというのは「メッセージの解釈にかかわるメッセージ」のことです。不思議なのは、「後ろの方、聞こえますか?」という問いかけには二種類の回答しかないことです。それは「はい、聞こえます」と「いいえ、聞こえません」です。不思議でしょ?「聞こえません」て、お前聞こえてるやんか!そうなんです。メタ・メッセージは「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」なんです。すごいですね。
こんな話があります。ある工員がどうも工場からものを盗み出しているらしいという嫌疑がかかりました。警備員たちはこの工員が手押し車を押しながら工場から出るとき、彼をとめて、手押し車の中をすみずみまで探しました。でも、何も出てこない。毎日、止めては手押し車の中を点検するのですが、何も見つからない。さて、この工員は何を盗んでいたのでしょう?もうおわかりですね。彼は手押し車を毎日盗んでいたのです。いかにもラカンが好きそうな話ですが、「手押し車」を「メタ・メッセージ」と書き換えると、コミュニケーションについての恐るべき真理が明らかになります。メタ・メッセージは「情報についての情報」ですので、誰もその真偽や理非については問わない。警備員はこれを組織的に見逃すのです。
だからもっとも賢いメッセージ発信者はパーソナルなメッセージを「手押し車」のかたちにして発信するはずなんです。これは誰にも咎められず、どこまでも、誰にでも届くから。
情報化社会における「情報強者」とは良質な情報をたくさん所有している人間のことではありません。そうではなくて、自分の個人的なメッセージを「手押し車」に載せてやりとりできる術を知っている人間のことです。パーソナルなメッセージをあたかも価値中立的で、真偽の判定になじまず、「警備員たち」の検査の眼をを逃れるものであるかのように発信できる人間が、情報社会における情報強者だと僕は思います。つねに「自分がいま発信している情報についての情報」を繰り込むことのできる言語能力が情報社会における階層差の形成要因であるというのが僕の仮説です。自分の言明に含まれる真実含有量についての検査値を公開しながら話すんです。楽しそうなんだけどなあ。
サンデル教授ってインチキでしょ?って言ったのはウチダの個人的な感想でありまして、理由は二つ。ひとつは、「正しい決断をしなければならない」という状況設定そのものが間違っている可能性を吟味していないこと。「正しい決断をしなければえらいことになる」という状況に立ち至る前に、「そんな決断をしなくてもいい方向」に向かう分岐点がいくつもあったはずなのに、それを見落とした自分の知性の不調についてはなぜか主題化されていない。これはアメリカ的知性の特徴なんだと僕は思っています。事が起きたあとの「対症マニュアル」の整備には熱心だけれど、そもそも「事を起こさない」ための「予防的配慮」については驚くほど関心が低い。そういう国民性格の内側から出てきた「ナショナルな弁証法」だということについて、あまり自覚がないみたいだったので・・・というのがひとつ。もうひとつの理由はホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」に出てくる伝道者たちに相貌が似ていたから。サンデルファンのみなさん、ごめんね。
えーと。
Jobsやめたった。びっくり。
http://www.engadget.com/2011/08/24/steve-jobs-resigns-as-ceo-of-apple/
"Steve's extraordinary vision and leadership saved Apple and guided it to its position as the world's most innovative and valuable technology company," said Art Levinson, Chairman of Genentech, on behalf of Apple's Board. "Steve has made countless contributions to Apple's success, and he has attracted and inspired Apple's immensely creative employees and world class executive team. In his new role as Chairman of the Board, Steve will continue to serve Apple with his unique insights, creativity and inspiration."
Googleが情報とその受け取り手の合間、インフラを仕事するならば、Jobs率いたAppleは受け取り手に寄り添うようなプロダクトを出してきたように思う。思えばあの日、Bill Gatesを背中にしながら、彼はある種の手触り、これから起きる超高度情報化社会と、そこでの自分たちの役割を確固として見据えていたのではないか。IBMが消え、また今HPも去ろうという時、消費者一人一人、個人の存在と生き方に視点を持ち続ける、そんな会社を残してくれたJobsに感謝したい。
As grandpa used to say "the cemeteries are full of people who couldn't be replaced".
明らかに二極化は起こっている、それは分野普遍的で要するに限られた一部の選良とその他に分かれつつあるかもしれんということは毀誉褒貶激しくともしばしば指摘されつつあることではある。
ただこの情報化社会の適応の如何でこうもいわゆるQOL,人生の楽しみの度合いみたいなものが変わるのは如何なものなんだろうかなあ。
はてな村民ならわかると思うんだが、インターネットの海の泳ぎ方が分かるようになってからは、それはもうこれまでの行動様式なんてあまりに貧しいものに見えるはずだ。最近久しぶりにテレビを見ることが合ったんだが、なんだあの体たらくは。本当に心から面白く無いと言えるし、これがお茶の間に陣取って人々のアンテナの枢要な部分を占めているというのならそれにはもはや危機感すら感じる。
いや、いいんだけどね。別にさ。正直その多数に対して情報的な優位性が構築できて我々情強ッス、みたいな顔できるってのもあるからさ。ただ、なんだろう、いわゆる「分かってない奴」と話したときに感じるあの対話の断絶といった感じのものはやはり筆舌に尽くしがたいものがあるよ。なんでそんなことも知らないのだろう。疑問の深度が明らかに情報力において優れている型のそれとは異なっているんだよね。
正直まだ少数であって、虐げられる立場にあるかもしれん。以前香山リカが指摘したように、2ちゃんねらー的な過剰適応した人達が、いわゆるリア充たちのAKBのどの子がいいかなんて表層的な会話に合わせたくなくなるのはあまりに必然なんじゃないかな。そんな話をしている間に僕らはフジの免許制と今後の電波行政がどう向かうのだろうね、なんて夢想してたりするしね。いや別に貴賎を論じたいわけではないんだけどさ。
まあのんびり行こうよ。ただやっぱりこれからの時代が求めるものというのはあるし、自分がその潮流をキャッチしたのなら少数派に属するのなんて恐れちゃいけない。そういう時代は既に始まってるんじゃないかな、あらゆる側面において。
すごい時代になったでしょう、でもそれが、情報化社会なんだよね。
2010だけトップにない。あと知らんの多すぎ。
今回の大震災が教訓としてもたらした事は、まあ今回の大震災に限らないのだけど、『過去の経験から実際に物事を為すために行動を起こしていた人だけが生き残る』という当たり前の事実だったと思う。全員が全員生き残れたわけじゃないところが、未曾有の大災害と言われる所以とは思うけど。
防災を考えるいいきっかけ、とか、資源を考えるいいきっかけ、だのといった物事は、例えば阪神淡路大震災や他の震災、天災、などなど、結構日常茶飯事として起きている。そして、事あるごとに「とりあえず考えてみる」「なんとなく話し合ってみる」ことの敷居は、インターネットの普及を代表とした情報化社会(笑)の発展に伴い、どんどん低くなっていると言ってもいい。
でもなー、そこで終わってません?なんか。あるいは、それで行き着く先が「とりあえず水買い占める」「とりあえず原発から逃げる」とかじゃ只の笑い話だと思うんだけど。
復興=現状復帰、じゃない形で、向こう5~10年、本当に「結果を出す」ことがますます強く望まれる、問題解決力をより高めることが求められる日本になっていくんじゃないかなあ。
:::前説:::
ここ最近ネット界隈の著明な人の発言において「キュレーション」の重要性が語られるのをよく目にします。
それを読むたびに、とても共感していたのですがふと気がついたら、昔に自分がメモして考えていた事と同じだと気づきました。
以下の文章を書いたのは2009年11月23日。ふふふ、これって俺が前から考えてた事じゃん!って自己満足もきっと入っていると思いますが、
自分で読み返してもあらためて、考える所があったので、始めてはてな匿名ダイアリーに投下してみます。
みなさんの、考えるきっかけになりましたら幸いです。
■情報化社会(インターネット社会)における「学芸員」もしくは「DJ(ディスクジョッキー)」的存在の重要性について
近年のインターネットの普及に伴って、
個人が触れることの出来る情報の総量は指数関数的増加の一途を辿っている。
この事は「世界のフラット化」あるいは「情報格差の是正」という言葉で語られる事もあり、
基本的にはそれぞれの個人レベルの存在にとっては歓迎すべき事である。
しかしながら、現状のインターネットにおける
真の意味での情報化社会の完成された形態であるとは言えないのではないか。
潜在的なパフォーマンスを完全に活かしきれていないという事である。
インターネットを生かし切れない具体的な一例としては、
「情報過多」とい事が、まずあげられる。
■社会に存在する情報量が多すぎる為に、本来必要とする(ユーザーにとって価値のある)
情報を見分ける事が難しくなっている事。
この事柄の解決策として飛躍的な進歩を遂げたのが
いわゆる「検索システム」である。
現在の検索システムの主流といってよいGoogleの独自のアルゴリズムによる検索システムである。
特にGoogleによる検索システムの登場はインターネットの活用という面において
その優秀なアルゴリズムによって、ユーザーが求める情報に対する
検索の精度・効率は飛躍的に向上したのである。
インターネットの潜在的なパフォーマンスは完全に引き出されたのだろうか?
答えは『否』である。では現状で足りていない要素とは一体何であろうか?
まず検索システムが持っている基本的な特性として
「ユーザーの能動的な行動」を必要とする点があげられる。
能動的でないユーザーに対してより効率的に情報を提供する方法はないか?
(これまでのマスメディアによる一方的な手段でなく)
☆そこで必要になってくるのではないかと思われる新たな情報収集・提供システムの候補が、
『学芸員』あるいは『DJ』的位置づけの存在、あるいはシステムである。
「キュレーター」などとも呼ばれる。
学芸員に求められる役割は第一に、
各分野における専門知識をもって対象の管理・監督を行う事であり、
第二に持ちえた専門知識を元に普及・教育に努める事である。
情報化社会での役割として考える場合、特に重要になってくるのは、
第二の役割の「専門知識を基にした情報の普及・教育」という点である。
つまりある事柄における専門家とそれ以外の人々を橋渡しする役割である。
彼らは美術における専門家であると同時に美術自体の実践者、生産者でもある。
それぞれの職業や専門分野、あるいは生活を行っており、
それゆえ、生活時間のほぼ全てを美術にあてている専門家(つまり美術家・芸術家)
しかしながら、専門家(この場合は美術家)が生産したモノや情報の持つ
価値を享受する為にはある程度の専門知識を必要とする。
その際に必要となるのが両者の中間に位置する「学芸員」である。
しかしながら、その専門知識を持って、美術の専門知識を持たない人間に対して、
本来の情報を分析・咀嚼して、専門家でなくとも理解できる(その価値を享受できる)
「非・美術専門家」達はその気になれば(能動的意思を持てば)、
自ら専門書や、インターネットを使用して専門知識を得ることも可能であるが、
能動的意思の有無や、時間的制約からそれを完全に実行するのは難しい。
そこで学芸員(中間的位置づけのシステム)を間に挟む事により、
より効率的に、より短時間で対象の情報を得、理解し、その情報やモノの価値を享受する事が可能になるのだ。
必要とされている事ではないだろうか。
従来の考え方とはまったく別のシステムに変わっていくであろう。
(あるいは変わるべきである)
つまり従来の広告システムとは、販売主体が多大な広告(販促)費用を計上し、
【デメリット】
この従来の「広告」という考え方自体を
わざわざ広告という費用やマーケティングを考える必要はなくなるのではないか?
つまり、ユーザーが求める情報を完全にフラットに、効率よく提供・共有するシステムがあれば、
企業はいかに価値のある製品をつくるか?という本来の役割だけに集中できるのではないだろうか?
大航海時代くらいに遡って文句いってください。
つか、金融工学ったって基本は変わってないのよ。
むしろ、罪はネットに代表される情報化社会の方にあると思うよ。
仕組みの問題というよりは、むしろ速度の問題が大きい。
金融恐慌なんて昔からあったけど、今は加速し過ぎて分けわかんない状態。
今まではトロッコでゴトゴト走ってたのが新幹線で突っ走るようになったら
そりゃコケたらえらいことになるっつー話で。
金融なんて既にインフラに近くて、恩恵によくしてない人間なんていないよ。
具体的に言うと、国債の発行止まったらみんな死ぬよ。死にたくなけりゃ加速するしかないし、
そのオスとしての幸福なありようというのは、人類に普遍的なものというより、農耕牧畜民族にしか通用しないと思うが。狩猟採集漁労民族や工業社会や情報化社会にとっては整合的じゃない。
もちろん工業社会や情報化社会と言えども農耕牧畜民族の文化を残すものだが、それに従っていては工業社会や情報化社会が維持できない、という類の文化はかなりはっきりと淘汰される(逆に言えば、そういう変化のない地方では古い文化は残るし、それはそれでそういうものだ)。性差別もその一種だと俺は思っているが。
人類の基本的なスタイルは狩猟採集漁労民族だ。狩猟採集漁労民族は性別による分業はある(なぜそうなのかはよう知らん)。だが男女での権力の差はないと言われる。
生物的に決定されていると言うのなら、それに準拠した方がいいことになるが、これが今の情報化社会においてナンセンスなのはあなたにも分かるだろう。
生物として同じでも環境が異なると生活はかなり可塑性のあるものだよ。そして文化は環境を人工的に作り替えていくもので、さらに可塑性があるものだ。
ついでに、農耕牧畜民族についても、重労働である鋤による耕作ができるのは概ね男で、男が富を量産できるというのは、今や耕運機の発達であんまり意味のあるものではなくなってきている(全くないとは思わないが)。
最近おもしろい傾向がある。インターネットに明るい者ほどインターネットの問題点を認識し、逆に初心者や盲目的信仰者ほどインターネットのすばらしさを謳歌する。
それがもっとも顕著にあらわれているのが、言わずと知れた匿名掲示板2chである。開設当初は不文律というものも出来ておらず、確かに問題点は多々あった。だが、現在ほどひどい状況ではない。なぜならば、当時の主なユーザー層は非常に限定されており、時代背景を考えても比較的専門性の高い知識をもった者のみ書き込むことが出来たからだ。
最近wikipediaを読んで知ったが、2ch創設者のひろゆき氏は2009年にこういった言葉を残したらしい。
00年代前半期には、偏差値とインターネット利用者が比例する構図があったが、PCが安価になり始めた00年代中期頃から、一部の議論好きな人間を除いて馬鹿ばかりになってしまった。
この一文は長年ネット文化に言及している人物らしい、的確な指摘が簡潔になされている。
また、今から10年前にプログラマー兼ライターである掌田津耶乃氏はこのようなコラムを書いたようだ。
「2チャンネル」という最低最悪のサイトがある。(中略) 面白いのは、彼らの多くが「自分は知性があって偉いやつなのだ」と思い込んでいるらしいこと。よくコンピュータ関係で見かけるのだけど、「知識がある」のを「知性がある」と勘違いし、「自分はすぐれている」と錯覚してしまう人は多い。知性は知識+人間性であることに気づかないのだろう。本当に知性ある人は、匿名で他人の悪口をいって喜んだりはしない。
この二人の発言を参考に、現在の2chユーザーを分析すると、質の低い人物がネットで得た知識を自らの知性と勘違いし、高圧的な書き込み繰り返している、ということになる。
これではまだ少々抽象的すぎるので具体例を出したいが、そのもっともわかりやすい例が、ニュース速報板と呼ばれる、話題をニュースに限定された2ch内の板であろう。こちらでは、一人が自分の立てたスレッドに外部ニュースサイトよりコピーした記事を貼り付け、それに対して複数のユーザーがコメントを書き込む、というのが基本的な流れである。
その場合、書き込まれるコメントというのは9割以上が批判文である。
一見、この行為自体には問題がないようにみえる。テレビの前でお父さんがニュース番組に対してブツブツと文句を言っているような微笑ましい光景である。
けれど、そこには知性というものが存在しない。
現在、このニュース速報板の大半が10代、大学生、ニート、フリーターのユーザーで占められていることは書き込まれる時間帯や内容から疑いの余地がない。例外を認めながらも、社会経験や学力の低い者たちが多い。
確かにネットによって多くの有用な知識を得ることができる。社会的地位を得る人はこれらをうまく活用している。だが、ニュース速報板のなかで無意識的にもっとも発言力が高いとされるのが、暇をもてあまし数々のスレッドにより得た雑学やネタを多く理解している者の書き込みである。
その彼らがあらゆる記事に対して斜は構えた発言をし、それを見た同様のユーザーが煽動され同様の発言を繰り返しているのだから始末に負えない。
なぜそういった発言をするのかと言えば、それは彼ら自身が優れていると錯覚しているからに過ぎない。彼らはネットの可能性を信じ、ネットこそが真実であり、ネットを自由に使いこなす自分こそが正しいと思い込んでいるのだ。斜に構えた発言をした方が、玄人っぽくみえる……というのはいったいどこの小学校の文化であろうか。これに該当する人物はもちろん全力で否定するのだろうが。
他にもこの板では二つの類似した物どうしを戦わせるという不毛な争いが“議論”という名の下で真剣に行われている。その代表格といえば、「ゲームハード×ゲームハード」「新OS×旧OS」「サッカー×野球」「文系×理系」だろうか。端から見れば、脱力するくらい低レベルな諍いであるが、これにいい大人が熱中しているというのだから感心する。
また、同様にこういった争いがある。「右翼×左翼」「信者×アンチ」。これは想像力もしくは知能の低い人物が二つの事柄までしか処理できないために起こる。どのような事象にも世界には二通りの立ち位置しか存在しないと決めつけているから、架空の敵を作り出し、特に敵対意識がなかったにもかかわらず、口角泡を飛ばしながら叩き出す。
2ch文化にあまりなじみのない人には実感が湧かないかもしれないが、実は日常的に行われている議論の9割がコレなのである。知らない人は知らないままの方がいい。怖いもので、人は幼稚な環境に身を置くと途端に幼児退行するものなのだから。
たとえ知性の感じられない議論や独自文化であろうと、限られた空間内で楽しんでいる分には私としても文句をつける気はない。けれど、暇人によって書き込まれたスレッドが暇人の運営するブログにコピーペーストされ、多くのネットユーザーに影響を与えているのはいささか看過できない。メディアリテラシーが不十分な人にとっては「2chの意見→多くの人の意見→世間の一般認識」という図式が当然のように成り立つ場合があるからだ。
もちろんこれは2chユーザーの責任ではない。彼らは時間と勘違いによる優越感をもてあまして似非批評家気分に浸っているだけなのだ。その彼らを責めるのはお門違いも甚だしい。
しかし、そういったブログがアクセス数で日本国内トップを独占している事実は、日本のネットユーザーの知的レベルが諸外国と比べて明らかに劣っていると識者に多く指摘されることと無関係ではないだろう。
発言の自由が保障されている日本で、たとえ一般人にまで悪影響を与えるブログだからと言って閉鎖させることはできない。かといって、国民全員にメディアリテラシーを期待するのも不可能だ。
今後、情報化社会はますます加速する。人々の暮らしが便利になっていくなか、有害な情報とどうやって付き合っていくかが当面の課題となってくる。問題提起のみにとどめる無責任な文章で恐縮だが、高度に発達した情報技術のなかで社会システムはどのように機能していくのか見守っていきたい。
噛み合わなくなってきてないよ。もう1人は別人だよ。君とは数回しかやりとりしてないよ。
否定してないなら、俺はそれを言いたいだけだから俺としてはそれで満足なんだけど、
君はいろいろそれとは関係のないことを言いたいみたいだから噛み合ってないのではないか。
忙しいから厳密さにこだわる余裕がない
というのを個人スケールで見た場合には、君の言うように、回避策をとればOKなんだから個人の能力の問題もあるということになるが、
話がかみ合わなくなってきたな。
高度情報化社会だから一つ一つ厳密に思考できないという傾向があるってことを言ってる
俺はこれについては全く否定してないよ。
今思いついた適当な例えだからつじつま合わないかもしれないけど、言ってみりゃオブジェクト指向ができるかどうかの違いって感じかな。
自分には伺い知れない情報があるんだったら、それについてはその情報を管理してるクラスの公開メソッドに従って処理するべきなのに、
俺がhttp://anond.hatelabo.jp/20091009160528のトラバ先の増田だけど、高度情報化社会だから一つ一つ厳密に思考できないという傾向があるってことを言ってるだけなんだけど。
「短絡的に判断しない」という回避策があるとかそういうことじゃなくて、今は難しい時代だという全体の傾向。
だいたい「短絡的に判断していないかどうか」も程度の問題で、より思考力があったり知識豊富な人から見れば「オマエ短絡的に判断しないと言ってるけど、十分短絡的だよ」
ってことになる。だから、回避策をとればOKという問題でもない。
それに、少ない情報と少ない思考から判断を下さないといけないこともある。その場合、偏った情報から判断を下すリスクが高いでしょ。
手にしている情報が偏っていないか疑うのが理性というものだと思うかもしれないが、全体を知らずに部分を見ただけでそれが偏ってるか判断できないことは往々にしてあるわけで。
情報量の多い現代社会特有の問題として、こういう難しさがあるということを言っているんであって、頑張れば回避できるかどうかといった話ではない。
「大日本人」に続き、「しんぼる」を公開した松本さんはやはり凄い。
おそらく、2作品とも、「笑いで天下を取った」松本さんでなければ公開すらできない映画だったんじゃないのかな。
芸人さんでいうならば、「すべり芸」のポジション。松本さんお気に入りの山崎邦正さんのポジションの映画だ。つまり、つまらなすぎる所を笑うタイプ。
TVサイズであればすべり芸の芸人さんというのは、コストもかからず、周りの演者さんも助けてくれるので、非常にお手軽に実行できる(それなりに腕はいるのだろうけど)。
しかし、映画のスケールで滑ろうと思ったらこれはなかなかできない。スケールが大きすぎて予算がつかないのが普通。人入らないと、普通に会社傾くからね。
ところが「松本人志」というビックネームとなると事は違ってくる。予算を決定するポジションや、広告を打つポジションには、かつてのTV時代の松本さんの天才ぶりを目の当たりにし、「笑って」きた世代が付いており、「あの松本なら」という事でゴーサインがでてしまうんだろうね。
考えてみると、「すべり芸」という、なんだか妙な笑いを広めたのも、もとはと言えばダウンタウンの影響が大きいのかもしれない。
この映画のスケールですべり芸をできるのは、松本さんしかいないだろう。
現に、あの大日本人でも赤字ではないというのが恐ろしい。
さらに追い風になってるのが、インターネットの普及による、情報伝達・集積のスピードとスケールだろう。昔なら一個人が「つまんなー」といっておしまいだったのが、現在では「いかにつまらなかったか」をアピールする、うまい事言った奴が優勝選手権のような風潮があるからね。
本当に、天の時(情報化社会)・地の利(芸能界での地位)・人の和(予算や意思決定を握る世代の元カリスマ)と、三拍子そろった稀有な位置にいる人なんだろう。
あとは、本当に面白い映画を作る才能さえあれば文句ないんだけど。
でも、映画を核にして話題や場を作れたり、金銭的にあまりけが人の出ないすべり芸として成立するところが、やはり時代に愛されてる人なんでしょうなあ。
うざいのはわかるが、はてなキーワードにwikipediaっぽい融通の利かない考え方を持ってくるのもどうかと思うな。
そもそも、はてなキーワードはwikipediaを目指してるわけでも後追いでも似たウェブサービスでもないわけで、辞書としての有効性は最初から疑問符が付いててこれからもそんな感じなんじゃないの?
情報化社会においては、情報の「質」なんてものは全くと言って問われなくなっていて、正しい情報は間違ったごみくず情報の中からコンテクストされるってのがおおまかな考え方だと思うから、この情報も別に放っておいてよいと桃割れ。
というか、利用者として一番楽しめる辞書の在り方って、アンサイクロペディアとかニコニコ百科のそれじゃないの?
藻前がどう思うかはまあいい。なら、実行に移せば?
俺は部外者だから過去のことなんて知らないけどさ、そうやって不思議な原理に走った結果が今の閑散としたはてなキーワードなんじゃねえの。もうちょい、「利用者」のことを考えてみようぜ。
47都道府県のさらに小さな地域の利益を代表する国会議員が綱引きして、最終的につけた落としどころのほうが、より間違いが少ない
に近い。だから、あなたの言う制度は、現在までの成功を考えると良い制度だ。しかし、問題もある。その一つが
国会議員は、日本全体の利益と地元の利益が相反するとき、地元の利益を優先する方が選挙に当選しやすい(インセンティブを持つ)。
である。これらの問題を、現在の選挙制度においてなされている仮定を少々変更することで、改善できるのではないかと考えている。
である。言い換えると、国民は、「ある立候補が日本全体の利益を考え、行動してきたか?その能力があるか?」を判断するのは難しいが、「ある立候補がある狭い地域(選挙区)の利益を考え、行動してきたか?その能力があるか?」を判断することができるという仮定だ。
この仮定は、国民が直接聞く、見ることを中心に情報を得ている時代は、成り立っていた。しかし、情報化社会が進んだ現代では、国民は、「ある立候補が日本全体の利益を考え、行動してきたか?その能力があるか?」をある程度判断できるようになったと仮定できると考えている。そう考えば、地域に縛られない選挙制度に変えれば、上記の問題が改善することができる。だから、試してみるor議論する価値はあると思ってる。
ふと目についた「存在論的、郵便的」ぱらぱらとめくり、そして続けざまに「リアルのゆくえ」を読んでみました。すると、「虚しさ」を通り過ぎて、聖なるものが失われた「悲しさ」が漂ってきたのです。どうして、気鋭の哲学者との呼び声が高かった人が一オタク評論家へと落ちぶれてしまったのでしょうか。情報化社会論のあたりはまだ良かったのですが、最近は同じような内容のゲーム、アニメ評論を繰り返すばかりです。
10年前の彼は、論壇の島宇宙化を打破すると意気込んでいました。しかし今の彼は、思想地図という新たな小島に、彼の信者と共にこもってしまっているではりませんか。
論壇の全体性を回復したいのであれば、思想地図の人々は、マンガ・アニメを語るのと同様に、オタク系文化と関連のある、純文学や映画についても語らなければならないはずです。オタク系が文壇から疎外されているのには同意しますが、自分たちが他の文壇界から距離を取って、「タコツボ化」しては元も子もないように思えます。
若いうちにマスコミに持ち上げられるとろくなことにならないと言います。すっかり東は、それを身をもって示す反面教師となりはてています。彼の惨状を見ていると、ビーチ・ボーイズのアルバム、「ペット・サウンズ」にあった歌詞が思い起こされます。「美しいものが死ぬのを見ているのは、なんて悲しいんだ」一人の天才の終焉に、今はもう涙も出ません。
しかしこれから書く内容はまったく元記事とは違う内容です。
高度情報化社会と言われて久しく、テレビをつけてもインターネットを接続しても、
車の中でFMラジオをつけてもおびただしい数の情報を入手することができます。
これは田舎のコンビニに行っても大都市に行っても変わりません。
でも、そうして得られる情報は9割以上がゴミであり、あなたの人生に大きな利益をもたらすことは殆どありません。
中には重要な情報が含まれているかもしれませんが、砂金採りで金を1kg集めようとするようなもので
情報収集手段としてはコストパフォーマンスが悪すぎます。
また、メディアやインターネットを通して得た情報の使い方によっては人生を誤ってしまうこともあります。
自民党の支持者って無職のネット右翼と創価学会員ばかりなんでしょ、
民主党は反日売国奴ばかりの政党で支援者の多くは在日朝鮮人なんだぜと
リアルで言ってる人がいたら私なら即座に距離を置きます。
(2)かつては重要度の高い情報だったが消費期限が切れている情報
(3)販促広告やプロパガンダなど、世論や人々の行動を操作する目的によって意図的に流されている情報
でほぼ占められています。
(1)はそのままです。
本当に重要な情報というものは公に流れる前に握りつぶされるようにできています。
企業や団体の中で共有されている情報のうち、世間にとっても重要な情報というものは機密保持契約等で雁字搦めにされています。
世間に漏れていることは稀で、漏れているとしたら漏らした人は裁判を起こされた上に再就職不能な状態になっているでしょう。
言葉通りの意味で、生命が奪われていることもあるかもしれません。
そこまでのリスクが伴うのに重要な情報を漏らすなんて行動は誰も起こしません。
(2)は週刊ダイ○モンドとかA○RAあたりによく載っている情報のことです。
例えば「これからは中国株が来る!」という情報が載っている場合。
株価が上がりそうな銘柄は既に買いつくされ、
メディアで紹介されている銘柄を買っても儲けはスズメの涙で終わるか、損をします。
雑誌を読んだニューカマーたちは、早い段階で情報を得て銘柄を買いつくした人間たちに金を吸われるだけで終わります。
儲かる情報が不特定多数の人間に平等に分配される訳がありません。世の中は全て椅子取りゲームなのです。
(3)は、あれです。草食系男子とか、やわらか戦車とか、韓流とか。
自民党の支持率が上がらなかったら思い出したように出てくる北朝鮮拉致のニュースとか。
もういいでしょ。いまさら説明なんて。
(4)は、芸能人の誰々が不幸な半生を独白みたいな。誰々の秘密を暴露とか。
最近はインターネットでこういうことをする人も増えてきました。
津○雅彦さんとかデ○ィ夫人とか。意外にも高齢な方々のほうがメディアに敏感なようです。
でも、知ったところであなたの人生には何の関係もありませんよね。
こうした既存メディアの負の側面を列挙して、今どきインターネットを使えない奴は情報弱者だと言う人が増えてきました。
でも大して変わらない。名前と所属を明らかにした上で行動を起こしたり、
月当たりの収支バランスがおかしくなるほどの金銭を払ったりなど、
リスクを負わないで重要な情報が得られると思い込んでいる意味で。
朝まで生テレビを見てるよりかは有益な議論がなされることもあるし、
裏事情を暴露する系の情報も既存メディアより多いかもしれません。
それでも機密情報を漏らした人間は匿名であろうが必ず特定できる仕組みになっているし、
相応のペナルティが課されます。顕名だろうが実名公表してようが変わりません。
既存メディアになくてインターネットにある負の側面があります。
それは「情報の真偽がはっきりしない」ということです。
既存メディアの場合だと情報発信までフローの中で特定の企業が関与するので、
いいかげんな情報は発信できません(漏れたらまずい情報はここで握りつぶされますが)。
仮に流した場合は、情報発信に関与した特定の企業がリスクを負います。
テレビ局の収益が急激に下がったのは、いいかげんな情報を流したからです。
ざっくりしすぎな物言いですが間違ってませんよね?
インターネットだとウソ情報が流れても誰もリスクを負わないから間違ったまま情報が広まります。
ツッコミ不在のボケっぱなしです。2chを覗くとそんな場面ばかりです。
文章が長すぎな感じになってきたので結論を言うと、TV放送が始まろうがインターネットが接続されようが、
社会の本質はTV放送が始まる前と大して変わらず「当事者以外は誰も得をしない」システムなんです。
損はするかもしれません。本当だったら自分とは何の関係もない情報に首を突っ込んで人生の時間を大幅に浪費するパターンとか。
リスクを負って物事に関与する当事者にならない限りは、自分の人生にとって有意義な情報にはほとんど出会えません。
物事から離れているほど、本当なら自分に知らされるべき情報が知らされないままになる、
あるいは間違った情報を掴まされて誰かの意図どおりに踊ってしまう羽目になります。
そう考えると既存メディアに踊らされている人たちもインターネットに踊らされている人たちも<情報弱者>だと思いませんか?
つまり、本を捨てて街に出ようではなく、「回線を切って街に出よう」ってことですよ。