はてなキーワード: 部落とは
五歳になるうちの娘が自分の左足の親指と人差し指の間に注射器の針を刺して薬物を注入していたので私がそれは何だと尋ねたら一言「シャブ」と答えた。私は思わず窓の外のベランダに行って宙を仰いだところ、隣の家の七歳になる息子が敷布団に乗って空を飛んでいた。
「空を飛べるなんて凄いじゃないか」と私は言った。
「ふざけんなクソ親父ぶっ殺すぞ」とその子は言った。
部屋に戻ると娘はすっかりぶっ飛んでいて誰もいない空間に笑いながら話しかけていた。確かに私はリストラされて失業保険で暮らしている身だ。しかしここまで自分や人様の子供に舐められていていいのか。私は猛然と部屋の片隅に置かれていた金属バットを手に取りさっきのガキにヤキを入れるべくベランダに飛び出した。空を飛んだことはないが七歳に出来ることなら三十三歳になる私にだって出来ないことはないだろう。
「このクソガキがぁ!!」
と言ってベランダから飛び出そうとしたらその七歳のクソガキは相変わらず浮いている布団の上で大量に発生したカラスに取り巻かれて半泣きになっていた。私はこの一件を都知事に報告すべく電報を打つ用意をした。
電報を打ち終わり再びベランダへと飛び出す。するとクソガキを取り巻いていたカラスの内の一羽がこちら目掛けて飛んできたので私は思わず手にしていた金属バットで暇な時に新宿のバッティングセンターで右バッターボックスで時速70kmの球を打つようにジャストミートしてしまった。飛んでいったカラスがクソガキを直撃したので布団からガキが落ちていく。他のカラスは動揺してどこかへ飛んでいってしまった。布団だけがふわふわと浮いていたがやがてそれもまた落ちていく。すると空中に羽衣を纏った金髪の女神が登場した。
「あなたが落とした子供はこの白人の可愛らしい女の子ですか?」
するとその女神の背後からさっきのカラスが飛んでくる。復讐のつもりだったのかもしれないが女神が眼前に現れたせいでそのまま女神を直撃してしまった。どうやら嘴が女神の肛門に刺さったらしく目の前で悶え始める。するとドアホンが鳴った。玄関に出る。
「電報は確かに受け取ったよ」
それは都知事だった。対応の早さにも驚いたがもっと驚いたのは下半身が丸裸だったことだ。
「おっと失礼。急ぎ過ぎたようだ。しかし戻る暇はない」
そう言い放つと手にしていた機関銃で宙を舞っていたカラスを次々と打ち落とす。女神だけを残してカラスを全部落としてしまったのは流石は都知事だ。よく見ると都知事の下半身は勃起していた。どうやら女神の痴態が影響を与えたらしい。と、そこにぶっ飛んでいた私の娘がやってきて都知事の肛門に人差し指で浣腸をした。都知事は「オマンコオマンコバンバンジー!!」と三回叫んでそのままベランダから落ちていった。その際に射精したらしく、都知事の精液を指で掬い取って匂うとそれはトリュフの匂いがした。
部落と言う言葉で自分の田舎を説明した>>1ですけど、両親は四国です。
いわゆるブラクのことは、現地人は地名で表現します。
東京育ちの私にはあまりピンとこないんですけども。
神奈川は横浜に住んでおります(東京人じゃなくてすみません)が、正直、県内各所で農業をしている親戚たちは普通に自分のいる村落を部落だ部落だうちの部落ではどうこう、と気軽に呼んでおります。
が、「なんかテレビによるとまずいらしいね」という認識はある模様。
部落といって実生活で気まずいのは関西の人なんじゃないかなあ。
「部落」というのと別に聞いたことのある被差別の人の名称の例は「かんぼ」というのがありました。差別というより嫌われていて、なぜならなにかあると地域で集団をつくりすぐに怒鳴り込む人たちだからだそうな。
農業に夢を見すぎなのでは?
自殺者もすごく多いんですよ。
両親の実家は林業と農業の兼業で、部落にも農家が多く(というか農林業か土木か公務員かの選択肢しかない)、その人々たちの生活を見ての感想だったんだけど、豊かな部落に入るのかもね。そこまで生活が困窮してる人いないっぽいし。
その部落では、減反した田んぼはもうすっかり家庭菜園(にしてはあまりにも大きいが)にされてて、おそろしいまでの自給自足の基盤となってる。漁もするし猟もする。味噌もどぶろくも自分達で作る。そして老人が異常に元気。子供より足取り軽く川にエビ取りに行っている。日が暮れたら明日の野良仕事の算段つけながらご飯食べて寝る。
・・・年金がたくさんもらえる年代はうらやましいって話かも。
http://anond.hatelabo.jp/20070322164543
うちの田舎は90年代まで土葬だったが、今は火葬に切り替えられている。理由は2つ。
・墓穴を掘る人足がいない
・墓所を開拓する人足がいない
知られていないのかもしれないが、土葬は重労働を要する。
まず、墓穴を掘るのが重労働。墓穴には2mほどの深さと、棺おけを一回り大きくした程度の広さが必要。何にしても若い世代不足のわが田舎では、十数年前にとうとう墓穴を掘る人材がいなくなってしまった。
つぎに、墓所。これは大概その部落のはずれの山の斜面にある。わが田舎では棚田のようなスペースが段々と連なり、一家系で一段を使うようになっているが、その広さには限りがある。当然、いつかは、死者を葬るためのスペースを確保するために、山を切り開かなければなくなる。これまた重労働だ。老人ばかりの土地では、その人材がいない。
火葬への移り変わりは、時代の流れと言うより、このような事情により必要に迫られたものだった。
ざっとぐぐってもソースが見つからないのだが、本当に7年後に火葬が禁止になるのだろうか?
それってかなり大きな問題なのに、なぜあまり騒ぎになってないのだろう?
火葬という手段がなくなれば、土葬にもどらざるを得ない。埋葬するスペースは?墓穴を掘る人手は?土葬の風習が薄れた地域では遺体を運ぶ手順もとまどうだろう。葬式の形、墓のありかた、すべてに影響がある。地上デジタルどころじゃない騒ぎになってもおかしくない。
つーかソースが見つからないから担がれたかな?
非常に常識的な事ですが、世の中に批判を免れるような価値観というのは一切存在しません。例えば「職業に貴賎はない」というテーゼすら批判される余地のあるものです。
批判されるべきではない価値観などは存在せず、常に批判にさらされ磨かれるからこそ、そういう価値観が普遍化もするし説得力を増すものと私は考えております。
インターネット上で議論していて気になるのは、一部の批判を認めてしまうと、全てが否定されてしまったように思う人がいること、あるいは一部分で論破できたからといって、相手の全てを論破し得たなどと勘違いしている人がいることです。
自分の側に論理的におかしなところを認め、その上でこれとこれについては認めるべきだと主張すれば、うまくいけば批判する側を味方につけることができます。自分の側に論理的におかしなところがあることに目をつぶり続ける限り批判は免れないのであって、そこを最終的につけ込まれれば、せっかく正しいところが多分に含まれていたとしても、その無責任さ故に全体を否定されてしまうことになりかねません。
事実そういう流れになってしまった。
yukiさんが被差別者の権利を主張する上でまずいなあと思っていたのは自虐癖です。簡単な例を示します。
yukiさんは簡単に「女は全て売春婦」などと口にしてしまう。ここで使われている"売春婦"と言う言葉は明らかに蔑む対象としての意味を含んだ言葉です。黒人差別、部落差別と一線をひかなければならないと言った理由はここです。
まず「女は全て売春婦」という言葉は取り下げるべきです。それから"売春婦"と言う言葉は差別的な文脈で使われるべきではないと表明すればいい。
そして、
「自分は売春婦であったことを恥ずかしいこととは思っていません」
と表明してはじめて、黒人差別、部落差別と同等の基準で発言することが可能になります。
あるいは、
「人はいかなる理由であれ差別されてはいけない」
という文脈で用いるのなら、自らをことさら「売春婦」と強調する必要などどこにもないでしょう。
意地悪な質問だとわかっているのに、あえてそれをぶつけてきたうえ、差別的だと怒れば被害妄想が強いと嘲笑う。自由に発言している、発言を制限されていないから差別ではないと屁理屈。ぺんぺん、これでわたしが黙ったら、あなたはきっと言うのでしょう。論破されて黙ったのであって、差別ではないと。
仮に論破されたとしてはそれは一部分であり「人はいかなる理由であれ差別されてはいけない」というテーゼまで否定はされないでしょう。但し、時として自分の非は一切認めないという頑固さを徹底的につけ込まれると言うことは、覚えておいてもらいたいものです。無駄なプライドが仇になっている好例ですね。
ちなみに言及するのならちゃんと引用元を明示しましょう。
*minx* [macska dot org in exile] - 売春者への蔑視発言をめぐる議論(3)
あとインターネット歴も長いのですからblockquoteの使い方ぐらい覚えてください。引用と主張の区別がわかりにくいと言われても文句はいえませんよ。相手に理解して欲しいのならそれぐらいの努力はしてもらいたいものです。
身近な人が売春婦であったとして、どんな不都合が考えられるだろう。
不都合だから差別されるのかというと、どうだろうか。
たしかに、障害者や女性への差別というのは不都合性から来るものだったりする。障害者の出来る仕事は限られているし、女性は子供を胎内に宿すために仕事が出来ない期間があったりする。これらは不都合と言えば不都合で、ひょっとしたらそれが差別の原因なのかも知れない。
が、黒人はどうだろう。部落出身者はどうだろう。肌が黒くて何か不都合なのか。むしろ日光に当たっても皮膚ガンになりにくく好都合ではないか。
ではなぜ差別されるのかというと、そこには異質性というものがあるのではないだろうか。
人間は、自分と異質なものに対して普通の反応を返すことが難しい。好き、嫌いという感情は異質なものに対して、それが自分にとってプラスなのか、マイナスなのかを無意識に判断することで発生する。ゆえに、自分、あるいは自分と同質なものに対してはあまり感情を動かされない((自分が嫌いとか同族嫌悪みたいな話については、いずれ稿を改める))。
まだあるけど、時間がないw
なんか「ミクロな物語」とか「小さな物語」ってのがキーワードなのかな。
上の方は具体的に書かれてない?からいまいちレッテル貼りだとか「まともな」社会人化、原理レベルでは??政策レベルでは??っていう言葉の意味しているところがわかんないなー。アホですー。
解同って初めて聞いた、部落開放同盟?の略みたいですね。それの利権化っていうのはなんかこの前ニュースに出てきてた奈良の職員が??って話だとかのことを言っているのだろうかな、と思った。
なるほど、多分ズレて話すと思うけど、とりあえず内包的?否定表現は嫌いだから少し嫌悪感を感じるのはまあどこにいっても人間ってそういうものだから、として。→
そういった低賃金の若年者等の将来的な下層層は昔の部落のようなものと同じで新たなレッテル貼りってことで。
そして現状、また将来の社会構造化での類似層の扱いをどうするかって話、ですね(なのかな)。
その問題は、そんなお金どうするんやとかの話などでもあって。
結局のところは今ある社会構造をいろいろ変えていって様様な現行の諸問題に適応させる政策をどうにかしなきゃいけないしそれを自覚的自発的にそれぞれ(国とか、個人・家族とか)が取り組もうとしなければ早晩一気に暴落が来る、と。
まあ見当外れのテキトーな日記なので、(自分は間違っていても馬鹿でもあんまかまわないで発言叱咤教授受けたいって人で)、こんな日記読むという寛大な人は大目にみて読んでください苦笑
あい。