はてなキーワード: 毛糸とは
36:下平 兵:2009/10/17(土) 12:24:58 ID:l8MnNo1W0
気温が・・・℃の時、フィンランド人はどんなふうにふるまうか、そのとき他国では何が起きているか」
+5℃。イタリアでは車のエンジンがかからなくなる。フィンランド人はオープンカーでドライブする。
0℃。蒸留水が凍る。フィンランドのヴァンターヨキ川の水は、ほんの少し凝固する。
-5℃。カリフォルニアでは住民が凍死寸前。フィンランド人は庭で、夏の最後のソーセージをグリルする。
-10℃。イギリスでは暖房を使い始める。フィンランド人はシャツを長袖にする。
-20℃。オーストラリア人はマヨルカ島から逃げ出す。フィンランド人は夏至祭りをおしまいにする。秋の到来である。
-30℃。ギリシャ人は寒さで死亡。フィンランド人は、洗濯物を屋内に干し始める。
-40℃。パリは凍えてガチガチ音を立てる。フィンランド人は屋台に行列する。
-50℃。シロクマが北極から退避しはじめる。フィンランド軍は、本格的な冬の到来までサバイバル技術の訓練を延期する。
-60℃。コルヴァトゥントゥリが凍結。フィンランド人はビデオを借りて家の中で過ごすことにする。
(コルヴァトゥントゥリはフィンランド北部・ラップランドにある山でサンタクロースが住むとされる)
-70℃。サンタクロースが南方へ引っ越す。フィンランド人は、
コスケンコルヴァを屋外に保管しておけなくなり、いらいらする。フィンランド軍がサバイバルの訓練を開始。
(コスケンコルヴァはフィンランドの蒸留酒でアルコール度数が非常に高い。通常、飲む前にビンごと冷凍庫に入れて冷やす)
。フィンランドの牛は、乳しぼりに来る人間の手が冷たいと文句を言う。
94:名無しさん@十周年:2009/10/17(土) 13:23:55 ID:2OFvHedX0
103:名無しさん@十周年:2009/10
まず第一に論じておきたいのは、ニットの破壊力がどこから創出されているかという点である。これは、誤解のないように確認しておきたいが議論の余地無く、『おっぱい』から来ているに他ならない。
ニットはおっぱいを強調するからニットの存在価値があるのであって、おっぱいのおっぱいによるおっぱいのためのニットなのである。決して、「体のラインが出る」からではない。「おっぱいのラインが出る」からなのである。そこを間違ってはいけない。これは歴史を紐解けば自明の真理であるから、今回は議論を割愛する。
さて、ニットで何故おっぱいが強調されるのか、これについて考えてみよう。
ニットの素材は伸縮性に優れている。ニットがおっぱいにぴったりと密着することがうらやましいのはおいておいて、おっぱいのラインを強調し可視化するのは見逃せないニットの特徴だ。
さて、ここで、おっぱい、いや、ニットにもう少し近づいてよく見てみよう。何かお気づきになることはないだろうか。そう、ニットは生地の方向性を際立たせるのである。毛糸やその他の素材が、多くは縦方向にラインを形成して上から下におっぱいをなぞらえている。おっぱいの豊かな隆起部分では、そのラインは大きく引っ張られて彎曲し、おっぱいの形に添って神々しいばかりの曲線を描いている。
隆起に沿って彎曲を形成するラインは、まるで等高線のように視覚的に隆起を強調する。これによりおっぱいの隆起を視覚的に認識しやすく、かつ、目の錯覚も伴って存在感を否が応にも増大させるのだ。この効果によりおっぱいは水を得た魚のようにニットの下で自己主張するのである。
おわかりいただけたであろうか。
確かに毛糸買って編むより安いマフラー買った方が安上がりみたいだね
今嫁に聞いたら古い毛糸ほどいて使ってるって言われた
例が適切じゃなかったので謝罪
僕は男。今どうやって、今おつきあいしている恋人を別れようか、どうすれば一番痛みが少ないだろうかと考えている卑怯モノ。彼女に全く申し分はないんだ(まぁもう少し痩せられるといいよね、とか瑣細なことはたくさんあるけどそれは問題の本質ではない、でしょ?)。この間、毛糸を一緒に買いにいって、どうすんの?って聞いたら、僕のためにマフラーを編んでくれるんだって。感動して涙が出たけど、髪の毛が全部抜け落ちるかと思うくらいショックだった。だって、彼女が僕のことを好きなほど、僕は彼女のことを好きになれてない。
正直言って意味解らないんだけど、未だに僕を捨てた、前の恋人のこと…忘れられない訳じゃないと思う。ただその彼女といた時に感じられた、底の無い幸せ感や、無邪気な笑いとかが全く出来ない。誰も気がつかないことなんだけど、ぜんぜんだめなんだ。どうしたらいいのだろうね。
いまのはてな(含む増田)って、自称女がちんことかまんこの話を恋愛の話とか人間はとか自慰意識がとかメタとは……とかオブラートに包んでエセインテリぶってれば釣り放題の空間なんだよね。
内実はモバゲとかと変わらん。それならモバゲやって腕立て伏せする努力すればいいのにとか思う。
しかし、そういうポーズをとる期間、というのは人生の内で必要な期間なのかもしれないから、そういう意味でははてなのニーズと言うのはまだ存在しているのかもしれない。
私はもう、ちんこまんこ言うの飽きたので、現実でなんとかする事にする。そっちに労力割いたほうが費用対効果もいいし。それで、自分の願望が全的に充足するのかと言えば、それはまた違うんだろうが。
言ってみれば、毛糸の玉を前にして、あーいう編み物がいい、こういう編み物がいいんじゃないか、といいながら妄想して指で毛糸を弄ってこんがらがってしまうより、実際に編み物してみたほうがいいんじゃないか、とかそういう感じ。それはまあ人好き好きなんだろうし。
冬の夜風でかじかんだ僕の手は温かさを求めて彼女の手を手繰り寄せる。毛糸の手袋に包まれた彼女の手をなでながら、僕は白い呼吸を漏らした。彼女はじっと僕の目を見ている。僕は体中が固まってしまいそうな緊張と戦いながら彼女の手をそっと僕の頬へあてた。手袋越しに彼女の温もりが伝わってくるような気がして、思わず口元が緩んだ気がしたが、すぐに引き締めた。彼女に気付かれただろうか。いや、気付かれてはいないようだ。彼女はやさしい笑みを浮かべながら、もう一方の手も僕の頬にあてる。じわり、じわりと二人の距離が近付いていく。僕らの舞台を照らす街灯は橙の暖かな光。ちらつく雪が白いカーテンとなって二人だけの世界を作り出す。彼女の頬は真っ赤になっている。それは寒さのせいか、それとも照れているのか。きっと僕の顔も真っ赤になってるに違いない。僕自身の心臓の音がはっきりと聞こえる。僕と彼女は顔を互い違いに傾けて、目を閉じた。彼女は僕の頬を、僕は彼女の腰を持ち、互いが互いを引きよせていく。あと少し、あと少しで僕の唇は彼女に触れる。