はてなキーワード: 寡作とは
梅田発言問題で揺れているはてな(はてブ)界だけど、肝心なことがなされていないので僕が立ち上がるしかない。
物事を見るときに重要なのは、その発言で誰が得をしたかということである。これを常に忘れないでほしい。
今回の梅田発言問題で一番得したのは誰か?それは明らかに「水村美苗」という作家だ。
梅田氏によると、水村美苗という作家は寡作な作家のようである。しかし、出す作品の濃度は非常に高く発表する作品全てが賞
を取っているそうだ。数多くはない文学賞という枠組みの中で受賞し続けるのは並大抵のことでない。
ただ、数多くはないがゆえに近頃は水村美苗に文学賞を取らせるべきではないという出版業界有力筋からの声も上がっていると聞く。
ここから導かれる帰結とは何か?
「賞を取らなければいけないというプレッシャーから、水村美苗(あるいはその関係者)サイドから梅田氏に話題づくりのための
なんらかの働きかけをしたのではないか?」
ということである。たしかに話題となった作品にはなんらかの箔をつけたいというのは人の心情である。ネット業界で知らぬものは
いない梅田氏が書評という形で水村の作品を絶賛すれば、必ず(内容が内容だけに)話題となり、
本は売れ、かつ連続受賞の可能性が広がる。
今回の騒動の発端はこうした思惑を持った水村サイドからの働きによるものであることが推測される。
しかし、水村サイドの思惑は半ば当たり、半ば外れた。梅田氏による書評はネット界隈を賑わせ本の認知度は高まったのだが、
「日本語が亡びるとき」というタイトルのため、感情的な反発が強く、本を読むこと自体への拒否反応を起こしてしまったのだ。
これに一番慌てたのが梅田望夫である。本の売上の促進=話題づくりという梅田の思惑は外れ、あろうことに、作品ないし水村
に対するネガティブなイメージを与え、本を手に取ること自体恥ずかしいという状況が生まれそうになったのである。
このままでは、水村サイドとの約束が履行されない。焦った梅田が出した結論というのが、今回の「バカ」発言であった。
つまり、読もうとしないものをバカ呼びすることで、梅田への反発から本を手に取らせるという古典的策略である。
この効果がどれほど期待できるかはさておき、梅田をそこまで追い詰めたものはなんだろうか?梅田の義理堅さ、仕事を一つ一つ
真剣に行うという美質だけでは説明がつくまい。やはり、上げられる理由としては梅田の経済的困窮ではないか?
梅田は2000年7月、シリコンバレーにベンチャー・キャピタル、パシフィカファンド設立したのだが、今回の金融危機でこの
ファンドの運営がうまくいっていない、多大な損失があったのではないだろうか?梅田の文筆業からの収入は全盛期には程遠く、
取締役としてはてなから得る収入もそれほど多くはないだろう。今回の水村サイドからの宣伝の働きかけは梅田にとって
新しいビジネスチャンスだったに違いない。だからこそ、はてなの取締役としての地位を投げ出すに等しいような発言も
可能だったのに違いない。今回の騒動はそうした視点から見る必要があるだろう。物事の裏をみることこそ重要である。
はてな民は自分が踊らされている可能性について考えるべきである。
いわゆるインターネッツ好きが大好きな陰謀説。やっぱ、これを書かないとネットの騒動としてはすっきりしないよね。
梅田望夫氏、水村美苗氏本当にすいませんでした。「本格小説」見てみたいなと思ってずっと見なかったので今回の作品も
含めて買おうと思います。(こう書けば何でも許されると思っているあたりがネットの悪いところだけど)
http://anond.hatelabo.jp/20070802135104
まあサラリーマンじゃないけど。
確かに良く言われる。「瑣末なところは人に任せて、もっと大きなチームを率いて、大きなデザインをやってみないか」ってね。
でもそういうのって、別に俺じゃなくても出来る人いるでしょ、って思っちゃう。
漫画家でも、スタジオにしてアシスタントたくさん使ってヒット作を量産する人もいれば
人それぞれだね。
ただ、もう業界で長くメシ喰ってて色んな現場を見てるけど、末端の作業には末端の作業のプロがいるんだよ。
誰がやっても同じなんてコンポーネント、ほとんど無いよ。そう思ってるとしたら、妥協してるだけ。
「中学生にもできる」って、出来るか出来ないかで言えば気の利いた中学生なら出来るかもしれないけれど、プロとしての仕事が出来るとは思わないなあ。
(俺は中学生の時からバイト料もらってハードの設計やったりソフト書いたりしてたけど、あれは教育のために「やらせてもらってた」んだって後で悟ったよ)
私が本にのめり込むきっかけとなったのは、小学二年生の時に親から買い与えられた江戸川乱歩だった。題名は覚えていないのだが、怪人二十面相シリーズのどれかだったと思う。それまで童話やゲームブックしか読んでいなかった私は、たちまちその"はじめての小説"に夢中になった。何度も読み返し、本屋に行くたびにシリーズをねだり、次々と読破していった。読書欲、を感じた最初の瞬間だった。初めて自分のおこづかいで買った小説は「三角館の恐怖」で、この本に関しては購入した店も、そのシチュエーションも、はっきりと覚えている。あの頃は今よりももっと、本は輝いていて、私にとって尽きぬ宝の山のようだった。
やがて江戸川乱歩の子ども向けに出ているシリーズを制覇した私は、買い間違えたことをきっかけに、よく似た装丁のアルセーヌ・ルパンシリーズにも手を出した。「奇巌城」「813の謎」……ルパンの冒険と謎に胸をおどらせることの幸せだったこと。読み終わった私は、今度は祖父母に世界文学全集をねだった。この頃にはもう、両親よりも祖父母にねだる方が勝率が高いことを、私は理解していた。手に入れた全集は分厚く、何冊も連なり、私はそれをむさぼるように読んだ。私はそこにある本を読まずにとっておくことや、ゆっくりと何回にも分けて読む、ということの出来ない人間だった。覚えたての読書の味は熱病のように私をとりこにしていて、憑かれたように全集に没頭した。「海底二万マイル」「秘密の花園」「小公女」「黄金虫」……めくるめく世界は、まだまだ幼かった私の前にどこまでも広がっていた。
そうして、三年生になる頃には親はもうあまり本を買ってくれなくなった。その代わりに、図書室があるじゃないか、と私に言った。図書室に入り浸ることを覚えたのはこの頃だったと思う。毎日、給食を終えるなり図書室に駆け込んだ。読書に熱中するあまり、本棚の影で授業が始まっていることにも気づかず本を読み耽ったのが、私が始めて授業をさぼった思い出だ。その調子で図書室を開拓し、私は年間で20枚以上の図書カードを消費し、登下校の最中も歩きながら本を読んでいることで先生に怒られ、一年と少しが過ぎる頃には図書室の本は大体読んだと豪語するまでに至った。
それでもまだ読む本を貪欲に求めた私は、父親に面白い本を尋ねた。本の世界はあまりにも広く私の前に広がっていて、私はまだ、指針がなくては進むべき方向が分らなかった。父は私に「ロビンソンクルーソー」を勧め、それを私が気に入ったとみるや、次々に本を教えてくれた。これは後に私が入り浸ることになる図書館のものだったが、この時の私はまだ図書館を知らなかった。「二年間の休暇」「トムソーヤの冒険」「月面旅行」「地底探検」、冒険もの、漂流モノにはまったのがこの頃だった。
五年生になって、私には新しい友人が一人増えた。彼の影響を受けて、私は今度はSFの世界にのめりこむことになった。タイムマシンものよりも、謎のウイルスの話、宇宙人よりも、突然変異体が暴れまわる話が好きだった私を、彼が笑っていたことを覚えている。最も印象に残っているのは植物が突然人を襲い始める話で、何故か最後の部分だけ落丁していて読むことができなかった。そのせいで今でも覚えている。
六年生になってようやく、私は図書館という広大で未知の宝の山に足を踏み入れた。ここで赤川次郎にのめり込み、やっと私は、"作者で本を選ぶ"という指針を手に入れた。今までSFであればSFを、無人島ものであれば無人島ものを、とジャンルで開拓していたことに比べて、作者、という指針は非常に分り易かった。何より図書館は作者ごとに整理されていて、端から読んでいくのにちょうどよかった。私は弟の分のカードも使い、12冊借りては読み、翌日また12冊借りては……ということを夏休み中繰り返した。たまに別の作家の本に手を出し、それが面白ければその作者の別の本も…というように"あ"から順に私はじりじりと侵攻していった。
あの頃むさぼる様によんだ赤川次郎の面白さを、今ではもう理解することができない。けれど棚ひとつを埋めつくす赤川次郎の著作を眺めながら、少なくともここに棚ひとつ分の読む本がある、と奮い立った胸の高鳴りはしっかりと覚えている。赤川次郎や森村誠一や筒井康隆といった、あたるとデカイ作家は、あの頃の私には本当に偉大な存在だった。その分、寡作な作家は私の包囲網からはすっかりと抜け落ちていた。
穴を埋めてくれたのは、母だった。母は私に恩田陸をすすめ、若竹七海をすすめ、服部まゆみをすすめた。それらの少しマイナーで著作の少ない作家の作品は私を魅了し、私は父より母を頼りにするようになった。母は次に、綾辻行人や西澤保彦をすすめ、有栖川有栖を見切っていた私に、江神先輩シリーズを読ませて改心させることに成功した。いわゆる推理小説にはまったのがこの時期、中学二年から三年にかけてだったと思う。
母からは面白い作家だけでなく、"賞で選ぶ"という新しい指針も教えられた。母のお気に入りはメフィスト賞と日本ファンタジーノベル大賞で、私が講談社ノベルの新刊を全てチェックする、という蜜月の日々を一時期過ごしたのは、このせいだった。
中学を卒業する頃には私はいっぱしの読書家になっていた。最早教えを請わずとも、本屋を回り、タイトルを眺め、新たに開拓することができるようになっていた。けれど、書くスピードの方が確実に遅く、読む本はいずれ尽きるのではないか、という思いが頭に時折浮かぶようになったのもこの頃だった。
そんな思いを裏切って、高専に進学した私は新しい世界を知った。ライトノベルというその手付かずの場は、まだまだ広く私の前に残っていたのだ。コバルト,電撃,スニーカー,ビーンズ,ホワイトハート,デュアル,富士見……毎日学校帰りに本屋で一冊読破する、という本屋に迷惑な習慣を身につけたのはこの時で、毎月いっぱい買ってるのだからいいではないか、と自分の中で言い訳していたような気がする。当時バイト代は半分近く本代に消え、年間30万に届こうという勢いだった。今思えばあれが最後の、輝かしい読書の思い出だ。銀河英雄伝説を一気読みして泣いたことも、グインサーガを一週間で既刊読破し、読む時間と巻数が反比例していることを嘆いたことも、銀の海金の大地を捜し求めて古本屋を回ったことも、本当に懐かしく幸せだったと思う。
今ではもう、好きな作家の新刊と一部の賞の受賞作品をチェックするだけで、何も新たに開拓しなくなった。開拓する余地も、なくなってしまったように感じる。今でも本は変わらず楽しく、面白いもののままだ。それでも全てをかけてのめりこむような読書はできなくなってしまった。
まだ海外作品と古典が残っている、そう思うこともあるけれど。それに手を出すのは隠居生活に入ってからになりそうだ。