はてなキーワード: アジアンカンフージェネレーションとは
俺は時代サーファー。
新時代に備えて調子ぶっこくぜ。
(≧∀≦)ノフレ───ッ!自分。
なんでもかんでも糞やばくね?
甘い蜜柑がいいよね。酸っぱいのはどうもだめだわ。
昔は好きだったんだけどね。スッパイの。
いつのまにやら嫌いになってた。俺もオトナになったんだなぁ。
梅干とか好きだったなぁ。昔は。
昔話をするような年頃になったんだねぇ。
大声で叫べばロックンロールなんだろう?
そんなクソみたいな話なら沢山だよ
それがなんなのかなんてどうだっていいから
目の前の景色を全部塗り替えるのさ!!
そう、ぬりかえろ、歴史をぬりかえろ。
ぬーべーになれ。邪気眼を発揮しろ。
どうしてそんなに命令口調なの?
誰も話さないから?くだらねぇって。つまんねぇって。
彼らの世代のロックバンドが時代を変える。
時代を越えていけ。新しい時代にいけ。
結局何が大事かって、つまんねぇって、くそったれだって、
オレオレ詐欺。やっぱりね。楽しいことは持続していかないとね。
反応が楽しみでやってるって所も確かにあるんだけどね。
全く、いらないものが多すぎる。一定期間頑張ってりゃそれでいいでしょ。
夢みてOKそれでOK ああ 月日は矢のように過ぎて
思い出だけ綺麗になるそれだけじゃ寂しいのさ。
それでいい、それでいいんだ。
とにかく文章を書いてないと落ち着かないくらい、文章中毒になりたい。
もう、うるさいくらいに。喋りまくる猿のように。
なんでもいいから書きこんでやる。思ったこと全部書きこんでやる。
なるほどこれは手ごわいな・・なんでもいいんだよ。要するに。
毎日がエブリデイなんだよ。面白いwwwwwwwwwww世界が面白いwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そんなことを呟けば、彼は帰ってきてくれるのだろうか。
意味不明でもいい、書き続けるんだ。(≧∀≦)ノフレ───ッ!俺。
応援者ならひとりだけいる。俺自身だ。
地震だぁあああああああああああああああああ
どうでもいいけどカプチーノを飲ませてくれよ。
水筒を飲ませてくれよ。俺は酒も煙草もやらねーんだよ、畜生め。
くっだらねぇって、飽きんなって、それでもいいからぶっ飛ばせって。
目の前の景色を全部塗り替えりゃいいんだろ、簡単な話じゃないか。
時代の流動を感じていけ。
元気を発揮していけ。
俺は俺だ。悲しみを越えて。
ダッシュアンドダッシュ。 スクラップアンドスクラップ。
さっきついだ麦茶をドブに捨てるよ。
札束燃やして寒さを凌ぐよ。
そんなリッチマンなことは僕にはできないよ。
僕はただポリスマン●ック。
●に入る文字はもちろん「ま」だよ。
ほんとだってば!!!
だってヴぁ!!
うーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まんぼ!!
古い?知るかよ、いってこいよ、地の果てまで。
どうでもいいから吹きとばせよ。
なんでもないようなことが~幸せだったと思う~んじゃないのかよ。
どっか一つ輝く色を探すんだよ。
宛のない旅だよ。つまんねー話だな。
つまんねぇって、くっだらねぇって、そんなの分かってるよ。
なんでもいいから吹き飛ばすのよ。分かってる振りをするのよ。
一人で稼ぎまくるのよ。お金死ぬほどあって退屈するくらいに。
もう、なんでもかんでもオール( `д´)b オッケー!な感じですね。
何を喋ってもいい感じですね。浮かれて浮かれて。
アメンボじゃないんだから。
もう、僕ったら怒りんぼ。
フレーズ一つでも気に入ってもらえたら最高。
どうでもいいけどねずみーまうすに挨拶してこいよ。
分かってんのかよ!!知ってんのかよ!!
人を殺して苦しくないのかよ!!むしろ楽しいな・・・
ブッ転がす!!天皇ぶっ愛す!!
全く、ふざけた連中だぜ。つまんねぇって、くだらねぇって、
何度いっても何度行ってもくっだらねぇって、
笑えてくるくらいだよね。どうでもよすぎるよね。
なんだかんだで長いよね。楽しいよね。
楽しいことがいっぱいいっぱいでお腹も心もいっぱいいっぱいで、
空気を思いっきり吸うのさ。麻薬より素敵な脳内エンドルフィン。
さぁ、そろそろお開きだ。お開きの時間だよ。
「サブカル」と聞くと若者向けのちょっと尖った商品、作品と思う人が多いと思う。
たしかに、その認識に間違いはないだろう。ただし、十年以上前の話しならば、だ。
サブカルと聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。
みうらじゅん、吉田豪、または伊集院光……だいたいこの辺の人間は必ず挙がってくる。
しかし、ちょっと考えてみてほしい。同様の質問を五年前、十年前にしてみた場合、やはり同じ名前が出てくるのではないだろうか。
もちろん、彼らの実力は本物で、ゆえに需要が高く、キャリアも長くなっている。
だが、本当にそれだけが起因と言っていいのだろうか。
はっきりと言おう。サブカルは世代交代がなされていない。雑誌を開くと何年も同じメンバーが似たような切り口でコラムを書き、書店のサブカルコーナーに行けばいつも通りのスターディングメンバーの新刊が出迎えてくれる。
その原因はめぼしい新人が現れないだとかいったことが理由ではない。もっと内部に醜く捻れた構造が眠っているのだと、私は思う。
そもそもサブカルは主流文化に馴染めないエッヂな(悪く言えばひねくれた)人間が集まって形成されたものである。既存文化ではカテゴライズできない魅力を求めた人々が消費していたのだ。
しかし、いつしか本来既存からはみ出していたはずのそれらを、「サブカル」とパッケージングし、売り始めることになる。
そして、そのパッケージングされた商品を、個性尊重教育で「他人と変わっていなければいけない」という強迫観念にかられた人々が、「個性」を買うために手にし始めるのだ。
カルチャー誌もそれを後押しする。ロリータの作者、ナボコフは「広告はその商品を買えば、あたかも購入者が高貴な存在になれるかのように錯覚させる」と言い放ったが、彼らも「サブカル」のカタログに載っている商品のどれかを買えば、自らも個性的になれると錯覚していると思われる。
彼らの目的は自分の趣味を追求することでも、なにか新しいものを創造したりすることでも、見つけ出したりすることでもない。「自分は個性的」と安心したいだけなのである。孤立を覚悟してでも自らの感性を信じきっていた先人とは大違いだ。
さらに最悪なことにこのような人間は「クリエイター病」を併発している可能性が高い。「クリエイター病」とは、なにかモノづくりの現場に関わり、有名人と交流することこそが人生最良の道であり、クリエイター系の仕事についてない人間はすべて挫折し夢敗れた落ち武者で、毎日布団のホゾを噛みながら恨み言を呟くような悲惨で陰湿な生活を送っているに違いないと思い込むことである。
個性を金で買うようなクリエイター病羅患者が制作側に回るとどうなるか。それがいま現状起こっているような世代交代がまったく進まない世界、というわけである。
彼らのやりたいことは新しいものを見つけ出すことではないため、既存の「個性的」と烙印の押された人物に、自らのプライドを満たすために仕事を依頼することになる。その結果がどこを見ても「みうらじゅん」状態を作る。そして、サブカルは予定調和で満たされる。
みうらじゅんを使えばOK。ボンクラっぽいことを書けばOK。童貞って言えばOK。すべて約束事で構成されているくせに、あたかもエッジであるかのように気取る。
もちろん、そんなことをやっていると感性の鋭い人間は当然そっぽを向く。雑誌を買わなくなり、ネットなどを使って自分の足で本物を追い求めるようになる。それがスタジオボイス廃刊のカラクリである。
同じ人間を使って同じようなことを繰り返した結果、サブカルは特定の世代にしか相手にされていない中年文化へと成り下がった。まずはそれを認めるところから始めよう。このままじゃゲートボールや盆栽と同じになってしまう。
「私、サブカル好きなんです」と宣言し、オーケンと絡んだりしているアイドルのなんとどん臭いことか。サブカル好きと見られたいがためにサブカルとパッケージングされているオーケンの商品を買ったでしょう?
ソラニンの実写映画の主題歌を、アジアンカンフージェネレーションが担当すると聞いて「えっ!?」って思った人がいたかい? みんな「ああ、やっぱり」って思ったはずだ。本当のサブカルは、そんな予定調和から遠く離れたところにあるはずなんだよ。