はてなキーワード: 「少年」とは
「ええと……どこか世界の涯(はて)の海岸みたいなところをとぼとぼ歩いてたんだ。そしたら、手紙の入った空ビンが流れついて……」
灰色の砂が積った浜辺で、僕は独りで暮らしていた。
灰色なのは浜辺の砂だけではない。海も空も灰色に濁っていた。白と黒の濃淡以外の色彩を持つものはその光景においては皆無だった。もしかするとこの僕自身も例外ではなかったのかもしれない。その時はそんなことは考えなかったけど、もし自分を海の水を鏡に見立てて映し出すことが出来れば、そこに僕はひとりの老成した少年(そう、その頃僕は紛れもなく「少年」だった!)の姿を見出すことが出来ただろう。髪の毛は黒くぱさついて、肌はやたらと白くぶよぶよ膨らみ、白目の中に輝きを失った瞳が黒く点となって存在しているような、そんな少年の姿を。
海辺には常に何かが流れ着いていた。例えば古いレコード。水を吸って死体みたいに重くなった猫のぬいぐるみ。壁に掛けるような大きな時計。判読不可能なくらいに文字がぐじゃぐじゃに滲んでしまった日記(それが日記であるというのも結局は表紙にそう掘り込まれているというくらいの根拠で判断したから、もしかしたら違うかもしれない)。それは全て僕に宛てて流されたものであるようにさえ思われた。でもそんな酔狂なことをやる人間はいない。死んだ人間や、或いは生きている人間が戯れに流したものが自分のところにまで届いた。それくらいの意味しか持たないのだということを、色々考えても結論として自分に納得させざるを得なかった。
僕の方から浜辺の外へ向けて何かを送信することを試みたこともある。壜の中にたった一言、「お前なんか大嫌いだ」と書いて海へ流したことがある。もしかすると――あのポリスの曲みたいに――誰もが結局は「お前なんか嫌いだ」というメッセージを流していて、或る日海はそうした宛てもなく心情を吐き出したメッセージで溢れかえってしまう日が来るのかもしれない...あの海のことを考えると、そういうことを考えることもある。
僕も本当なら自分を理解する人間に向けてメッセージを送りたかった。だけど自分の周囲には僕のメッセージの伝わる人間はいなかった。それどころが、僕がメッセージなるものをもっているということ自体が奇異なことのように思われているようだった。僕以外の人間から僕に宛てられて届くメッセージは痛いほど僕に対して伝わってきた――「お前なんか大嫌いだ」と。だから僕はそうした場所から旅立ち、浜辺へと辿り着いた。郵便の届く保証のない家でじっとしているより、浜辺で永遠に打ち寄せる波とそれに合わせて崩れていく砂を見ている方が好きだったからだ。
そんなわけで、僕はその時期をラジオと猫だけを傍らに過ごしていた。チューナーの狂ったラジオからは色々な電波が流れてきた。帰る星を見失った、 1000光年離れた場所に存在する宇宙飛行士の嘆きと叫びや――そんなものがどうして「その時」届いたのか考えると奇妙な気持ちになる。1000年という時を越えてたったひとりの受信者である僕のところへ届いたということなのだろうか――或いは遠い国の様々なニュースだった。
ラジオが壊れてからは、海岸に時々落ちている貝殻をラジオ代わりに耳にあてて、耳をすましてそこで呟かれている言葉を聞き取ろうとした。遠い国で建設された塔が太陽よりも高みに達したというニュース。人類が或る日滅亡したというニュース。失われた大統領の心臓が発見されたというニュース。月齢が4.7に達した日に彼方へと旅立つ船が航行するというニュース。僕の前世は「アフリカ」という場所で茂っていた一本の葦だったというニュース。その更に前世はドイツの三文詩人が綴り、そして破棄してしまった言葉のひとかけらだったというニュース。そういったニュースを僕は楽しく聴いていた。流れている内容が本当なのか、それとも嘘とデタラメなのかはどうでもよかった。ただ誰かの言葉が聞こえるということ、それだけが僕にとって重要だった。
海辺で戯れに魚を吊り上げたことがある。釣れたのは全身を鱗に覆われた、さながらトカゲのような緑色で固い皮膚を持ち四本の足と二つの乳房と三つの翼を持つ魚だった。頚動脈を切断するべく包丁を突き立てようとしてその魚と目が合った。その目は悲しそうに潤んでいた。魚ではなく、人間の眼のように見えた。「わたしはせっかくあなたの孤独を癒してあげられるのに」とその眼は語っているように見えた。結局その魚は足を切断して三枚に下ろして皮をむいて食べてしまったのだけど、えぐみの残る後味を噛み締めながらその瞳の持つ意味についてしばらく考えてみたことがあった――もっとも一晩眠った次の日になると忘れてしまったのだけど。
その頃の儀式めいた習慣のひとつとして、眠りにつく前に僕はピストルを右のこめかみに当てた。そして冷たい金属が肌に触れる感触を確かめながら、今度こそこめかみを打ち抜こうとした。サリンジャーの短編に登場する青年が最後にやったように。しかし出来なかった。何故だったのかは分からない。死ぬに値するほどの何かを信じることが僕には出来ていなかったからなのかもしれない。それが僕にはひどく辛いことのように感じられた。
「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない。」死んだ祖母はいつもそう言っていた。
それは1991年のことだった。
確かに、「どうしてこれを打ち切るかなー」と言いたくなった事は、私にも過去に何度もありました。
そのたびに編集部への恨み言を、ブログや2chにこぼした夜も数知れず。
しかし、それを理不尽だという思いは、もうしなくなっていたりします。今はただ、作品の終了を悲しむだけです。
そもそも「週刊少年ジャンプ」なんですよ。少年。
編集部から見た「少年」ってのは、要するに小学校低学年から中学校に入るか入らないか、そこら辺なんです。
「うんこー!」とか叫ぶだけで爆笑するような精神構造の年代なんです。
そういう層に向けた媒体であるという前提で、打ち切りが惜しまれた数々の作品を読み直して見てください。
まるでお子様ランチの中にキャビアが紛れ込んでいるような違和感を感じませんか?
その作品は「少年」が楽しめる内容だと思いますか?
楽しみにしていた作品が唐突かつ不自然に終了して、色々と言いたいことはあることと思います。
しかし掲載を継続しろという事は、すなわち「少年ジャンプ」でなくなってしまえ、と言うのと同じなんです。
編集部は最初から、そういう人達に読んでもらおうという意志はないのです。
「じゃあ読まねーよ!」という反応大歓迎なんです。
なぜ彼らが女を勝ち組としてみるかっていうと、それは逆で、初めから「勝ち組の女」しか「女」として認識していないんだよね。ある意味一番酷い仕打ちだと思うのだが。そりゃ勝ち組の女だけを女としてみりゃ勝ち組しかおらんわ。当たり前の流れ。彼らの指摘する「女」はいつだって、美人で男からはチヤホヤされて驕りまくってもらえて残業しなくてすんでしかもイケメン金持ちと結婚できるって女。そんな女がどれだけいると思ってるんだ?それなんて叶姉妹?ってレベル。男のイケメン率よりはるかに少ない。テレビで芸能人の女しか見てないからそう言う認識になるのだろうか?現実の女を見ればそんな認識になる事は絶対有り得ない。現実を見てもそう思うなら、既に現実ですら「勝ち組女」以外目に入っていないという事だ。キモいと言われる以前に存在無視。まだキモいと言って認識してもらっている方が幸せだろう。
少年漫画で、「女キャラは美人ばかりだけど男はブサイクも出る。(男にとって)差別だ」と言っている人がいたけどそれは寧ろ逆で、男キャラはブサイクでも存在価値を認めてもらってるけど、女キャラは美人しかそもそも漫画の中に出場さえ許してもらっていない、認識されていないという事なんだよな。まあそれは「少年」漫画だから仕方ないんだけど。
女なんて寧ろ苦労する事ばかりで全くもって男に比べて勝ち組なんかじゃないのに、その上勝ち組だ優遇だなんていわれると、ただでさえ負け組なのに更にこれ以上負け組的な措置がなされるんじゃないかとそればかりが心配だよ。ネット上で騒いでる程度なら無視してりゃすむけどさ。本当に、女が勝ち組って何を見て言ってるんだろう。結婚すりゃ、仕事した上で、育児も家事も、男女平等とかいっても結局女がするハメになる。かといって結婚しなけりゃ女の賃金は平等なんつってもまだまだ基本的に男より低くワーキングプア化する。こんな女のどこが勝ち組だと?専業主婦なんて最早裕福な家庭の贅沢品。大体専業主婦になったって離婚した時悲惨なものだ。それまで働いてなかった奴が離婚してどうできる?いつきられるか怖くて夫にすがるような生き方なんてそもそもそれ自体負け組だ。子供が生まれりゃ結局専業主婦なんて一日中働きっぱなし。会社と違って休みは無い。それだけ苦労しても時にはニートと同じ扱い。誰かから感謝されることもない。ほとんど奴隷。専業主夫になりたいなんて簡単に言ってる男は、その辺りを真剣に考えた事があるのだろうか?オシャレで若い男性料理研究家が、ちょこちょこっと料理を作る、そんな感覚で物を言ってるんじゃないのか。専業主婦なんてとてもなろうとは思えない。そんな機会はよっぽど恵まれないとそもそもないだろうが、機会があったとしてもなりたくはない。