はてなキーワード: 連帯してとは
言ってる意味がまったくわからない。増田だしこんなので勝ち負け競うわけじゃないんだから少し落ち着けよ。
アメリカが背後にいる⇒自前の軍隊が弱くてもOK⇒徴兵すると弱くなっちゃうけど国民統合のために徴兵制を維持しておこう
と解釈できるな。そういうことを言いたいのか。
国民意識の意味が横滑りしてる。賢明に全体最適を目指して行動する能力のことじゃない。「全羅道の朴」「済州島の李」ではなく「韓国人の金」だっていう自己規定のことだよ。出身地や身分によらず国への帰属がウチ/ソトの境界をつくっている状態。労働者が全国的に連帯してストしてるなら、むしろ国民意識はあるというべき。
■!ママからチョコを貰っている著作権資本帝国主義の手先有村悠を粉砕せよ!
大衆的大連帯の爆発でママからチョコを貰っているはてな皇帝有村悠粉砕へ!
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がツイッターにおいて喧伝した「著作権資本帝国主義」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
だいたいありむーは昔、「バレンタインデーはママからチョコを貰う」と自慢していたではないか。
いまさらママと仲が悪いというのは欺瞞である。
著作権資本帝国の犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
以下のはてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20090306
y_arim メタブクマの翼 id:BigHopeClasic 勝手にしてください。おれはもう疲れた。オタクは最初からブルジョワ民主主義と共犯関係にある、体制に飼いならされた犬なんです。悪いけどもうこれ以上、自己矛盾に耐えられない。おれは犬として生きる
lisagasu 政治>芸術が左翼とするなら、私は有村さんを左翼と感じたこと一度もない。芸術至上主義を自称する高橋直樹さんの100倍芸術至上主義者に見える/あ、でも「主義者」は違うかも
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がはてブにおいて喧伝した「ブルジョワ帝国主義肯定」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した階級搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
はてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
大衆的大連帯の爆発でママからチョコを貰っているはてな皇帝有村悠粉砕へ!
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がツイッターにおいて喧伝した「著作権資本帝国主義」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
だいたいありむーは昔、「バレンタインデーはママからチョコを貰う」と自慢していたではないか。
いまさらママと仲が悪いというのは欺瞞である。
著作権資本帝国の犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
以下のはてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
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y_arim メタブクマの翼 id:BigHopeClasic 勝手にしてください。おれはもう疲れた。オタクは最初からブルジョワ民主主義と共犯関係にある、体制に飼いならされた犬なんです。悪いけどもうこれ以上、自己矛盾に耐えられない。おれは犬として生きる
lisagasu 政治>芸術が左翼とするなら、私は有村さんを左翼と感じたこと一度もない。芸術至上主義を自称する高橋直樹さんの100倍芸術至上主義者に見える/あ、でも「主義者」は違うかも
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がはてブにおいて喧伝した「ブルジョワ帝国主義肯定」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した階級搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
はてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がはてブにおいて喧伝した「ブルジョワ帝国主義肯定」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
以下のはてブを通じて腐臭ふんぷんたる資本の犬宣言を行っているのだ。
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lisagasu 政治>芸術が左翼とするなら、私は有村さんを左翼と感じたこと一度もない。芸術至上主義を自称する高橋直樹さんの100倍芸術至上主義者に見える/あ、でも「主義者」は違うかも
搾取され続けてきたすべての学友・人民の諸君! 今まさに諸君ははてな皇帝有村悠の反動宣言に
直面していることを革命的に認識しなければならない。その攻撃とは何か? いうまでもなく、
有村がはてブにおいて喧伝した「ブルジョワ帝国主義肯定」であり、
すなわち、有村権力は不景気の到来による心身の寒さにつけこんで「帝国主義」成立を煽りたて、
「犬宣言」成立をテコ入れに労働者・学生・人民への収奪を肯定せんとしているのだ。
それが端的に現れているのがブルジョワ帝国主義肯定であり、新月お茶の会と称する反動プチブル集会であり、学閥である。
犬宣言を端緒とする三大有村搾取=ブルジョワ帝国主義、新月お茶の会、学閥こそ、
死の苦悶にあえぐブルジョワ帝国主義が見出した階級搾取の維持であり、矛盾の爆発点である。
故にこそ、はてな皇帝有村悠はブルジョワ帝国主義が「民主主義」として定着しているかのようなデタラメな前提をでっち上げ、
現行の制度をより良いものに作り変えるべく子無税の必要を訴えているのではないの?
個人にどう訴えても現行の制度は変わらないでしょうね。
本当に変えたいのなら、同じ主張を持つもの同士連帯して体制に働きかけていくべき事柄です。
そういう言い方をしてしまうと他の病人まで十把一絡げになってしまうのでは。
病気や虐待の記憶が、自分の最後の拠り所になっててそれがなくなったら
「かわいそう」って言ってもらえず優しくされなくなるからしがみついてんじゃないのかなー。
それだといつまでも、お慈悲で気まぐれにかわいがってもらうだけで一人前に
扱ってなんてもらえないんだけどね。
最初のうちは苦しみを全肯定してもらうのって必要だと思うよ。
恨みもつらみも全部吐き出してしまうのは必要。
でもネットでそれを得てそれで満足してちゃ治らないしなー。
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LOD&office_id=047&article_id=0000079132
(魚拓)
「謝罪しなさい!」 ベルリンに響いた ”700回要望集会” oh my news 記事入力 2006-03-16 18:14
「謝罪しなさい!アヤマレ!エントシュルリグング!」
「賠償しなさい!ホショウシロ! エントスェデーグング!」
「日本軍慰安婦問題解決のための要望デモ」が 700回を迎え、15日(現地時間)、 ドイツベルリン動物園近郊のブライトシャイド広場で、日本の謝罪と賠償を促す合同デモが開かれた。
在独韓国女性会、在独平和女性会、世界韓民族女性ネットワーク、ベルリン日本女性会の主催で開かれた今回の行事には、雪が溶けていない肌寒い気候にもかかわらず、ベルリン居住の同胞をはじめ、日本人、ドイツ人など80人余りが集まって、日本軍性奴隷被害者に対する日本の積極的対応を要求した。
今回の行事の共同司会を担当した在独平和女性会のハン・チョンノ代表、ベルリン日本女性会のキオ米代表は、「過去14年間の要望デモにもかかわらず、日本政府は黙殺無返答に一貫している。」と批判し、性奴隷被害者問題解決のための活動に積極的に参加することを訴えた。
特に二つの代表は、「被害女性たちは日本政府から今まで一度も正式な謝罪を受けたと感じていないし、日本側の真の謝罪とそれに沿う当然な補償がなければならない。」と主張した。
開催場所で会ったドイツ人クラウスさんは、「韓国人妻と結婚して韓国をよく訪問しているうちに、この問題に関心を持つようになった。私が一番残念に思うことは被害女性たちに時間があまり残っていないということだ。彼女たちが死亡する前にこの問題が解決されてほしい。」と行事に参加した所感を明らかにした。
また、過去にベルリンフムボルト大学で韓国学を講義したことがあるピヒテ前教授は、「もっと多くの韓国人、日本人が、今日のデモに参加できないのが残念だ。」と言い、問題解決のために日本軍性奴隷被害者に対する専門的研究と関心が絶対的に必要だということを強調した。
特に、今回の行事にはドイツ人だけではなく、20人余りの日本人が同参して、性奴隷被害者に対する日本政府の責任ある姿勢を積極的に促した。デモ会場で会った日本人留学生Akikoさんは、「日本軍性奴隷被害者に対する話をメディアを通じて知ったとき衝撃的だった。日本の責任逃れは到底聞き捨てられない事だと考え、私にもできる小さな事をしようと思いこの席に出席した。」と行事に参加した理由を明らかにした。
一時間ほど行事を行ったデモ隊は、日本大使館まで30分あまりかけて行進をし、デモを見守る道行く人々に関連印刷物を配布した。行進を始める直前、ベルリン居住の演劇家チョン・オクヒさんが1人パフォーマンスを広げて見せたし、ベルリン居住の同胞2世などで構成された風物は集会の間間に興味をかきたてて、肌寒い気候の中で進行されたデモに活力を吹き入れた。
「謝罪しなさい!アヤマレ!エントシュルリグング!」「賠償しなさい!ホショウシロ!エントスェデーグング!」
30分あまりの行進の末、駐独日本大使館に到着したデモ隊は、「日本の戦争犯罪に対する認定と道徳的政治的責任を要求する。韓日女性団体は日本の決断を要求する。」という内容の声明文を発表し、韓国語、ドイツ語、日本語の3ヵ国語で日本の謝罪と賠償を積極的に要求した。
デモ隊は大使館の前で1時間ほど集会を持った後、声明文を大使館側に伝達することで集会を終えた。デモを準備した四団体は、大使館側から声明文が小泉総理に伝えられるという約束を受けた状態だ。ベルリン日本女性会キオ米代表は、「この問題の解決は日本の当然の任務だ。回避してはいけない。小泉総理に私たちの意向がよく伝えられることと信じる。」と話した。ハン・チョンノ代表は、「女性として決して無視できない問題だ。これから北朝鮮の被害女性たちとも連帯して、問題解決のために努力する計画だ。」と明らかにした。
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駐独日本大使館 「部屋が狭いから一人だけ入って来なさい?」
▲駐独日本大使館
朗読した声明文を日本大使館に伝達する過程でコミカルな状況が発生した。 この行事を主催した四団体の代表らは、当初、日本大使館に直接入ってこの声明文を提出することを大使館側と約束した。しかし当初の約束と違い、大使館関係者は、「狭い部屋の関係で代表4人のうち1人だけが代表として入って来ることができる。」という理解に苦しむ返事を出した。
このような状況に接したデモ隊は、「日本大使館はあんなにも大きいのに部屋が狭いとは!話になるか。」と笑いとヤジを投げ、四団体の代表は4人全員入らなければならないという当初の約束を想起させながら、関係者に抗議した。
代表者たちの抗議に、大使館関係者は大使館内部と慌しく連絡を取り交わした後、「2人だけ入りなさい。」と言い、それでも抗議が続くと再び、「それでは4人全員入って来てよいが、1人だけ話をすることができる。」という寸劇を行った。
大使館関係者に声明文を伝達したハン・チョンノさんは、「広い部屋ではなかったが4人を受け入れるには十分な空間であり、当初一人だけ発言をすることにしていたが、4人全員一言ずつ要求事項を言って出てきた。」と伝えた。 (イ・ジヒョン記者)
匿名の臆病者なのでhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070613/1181743125を読んで思ったことを増田に書く
この記事ではまるで政治活動があったから自治活動が潰れたと言っているが、それは全くのデタラメだろう。不透明な資金の流れはどんな団体でも起こりえるし、実際に潰したのは大学当局だし、一つの自治会がダメだっただけで他の全ての自治会がダメだとレッテル貼りをするのは単なるその話を聞く学生の馬鹿さ加減が原因だ。だがしかし何故その様な政治活動を否定する為のデタラメ論理が構築されなければならなかったのだろうか?
いわゆる自治会潰しの時代、1997年前後に早稲田大学に通っていた学生は、学校側の自治会潰しをそれほど問題視していなかったように記憶している。自治会の大半が某新左翼のフロント団体みたいなものだ、というのはほとんどの学生にとっては常識で(っていうか、さっきまで自治会のビラ配ってた人が、『解放』の号外をサークル机に置いたりする姿見れば普通にそう思うよ)、統一教会系のオルグサークルと同じくらい「うかつに近寄らないほうがいい」組織だと思われていた。
とはいえ、そういう「出自」を除いたところでも、学生はあんまり彼らに同情的ではなかった。それには二つの問題点があったからだと思う。
まずひとつは彼らが上記エントリのいう「世界」のために戦ってはいたが、われわれ=学生のためにはほとんど戦ってくれないように見えたことだ。彼らは毎週キャンパス内で集会を開き、アメリカの帝国主義的なイラクへの介入・制裁を弾劾し、それに追随して侵略戦争に加担しようとしている日本政府を批判していた。そして、年に何度かは、北海道(浜大樹)や九州(どこだったっけ?)の自衛隊演習場に出かけては、平和的労働者や他大の自治会と連帯して反戦平和のためのアピールを繰り返していた。しかしわれわれのためには?彼らがわれわれのためにしてくれたこといえば学費値上げに対する抗議くらいだった。その抗議も割りと教条的なもので、「学費値上げ絶対反対!」というような、学校側に交渉の余地を残したものではない、交渉の要求というよりある種の決意表明のように見えた。たぶん学生のニーズは、混雑する駐輪場の拡大・整理とか、トイレの改修とか、部室を持たないサークルが利用できるような有料ロッカーの設置とか、あるいは氷河期真っ只中の就職戦線に挑む学生のへのより一層のサポートなどにあった(ように僕には見えた)のに。活動のバランスが車の両輪くらいのものなら、まだそれでも納得のしようはあったかもしれない。しかし、ほとんど一輪車で「世界」のみにコミットしていくような団体に、われわれが「学生自治」をあまり感じなかったのは、無理のない帰結に思えて仕方ない。
もうひとつは、権力に対する「自ら(手前)の権利を守ろうとする」自治会が、それ自体ひとつの権力になって、より弱い主体である学生からごくわずからながら、しかし明らかに搾取していたことだ。早稲田大学の本部キャンパスと文学部キャンパスを主会場とする大学学園祭は(文連≒自治会なのは公然の秘密だった)、どういうわけだか入場に有料のパンフレットが必要で、その収益がどこに行ったものだか外部からはわからないようになっていた(あと、出展・出店に当たってなんか学園祭と関係ないことに同意する必要があったとかなかったとか聞く)。理工学部で行われていた、主催団体がまったく別の「理工展」は、そういう入場システムをとっていなかった。学生の割と多くが、文化祭参加と引き換えに、過分の見返りを求められていると感じていたように思う。(旧学生会館に部屋があったサークルにいなかったので、はっきりとは知らないが、学生会館の中でなにやらはばをきかせていたという話も聞いた)。個人的な話で恐縮だが、僕が友人と酒を飲んでいるときに、設立当初はさておいて、大学も自治会も、対価と引き換えにサービスを提供することが主たる目的の、同じような存在ではないかなどいう話になったこともある。
だからなんだ、といわれると困るのだけれど、こういう「感じ」に対して、「啓蒙」という態度や、「馬鹿さ加減」という言葉で立ち向かってしまうところに、政治活動の衰退の一因があるように感じてしまい、何か書かずにはいられなくなった、というお話。