はてなキーワード: 表音文字とは
http://anond.hatelabo.jp/20091129184546
これでも納得できない人は、次のあべ・やすしさんの記事(さっきリンクしたのとは別の記事です)、ぜひ参考にしてください。
●読みやすさって、なんだろう - hituziのブログじゃがー
私のブログをいつも読んでくださっている方が、どれほどかな書きに慣れてきたのかは聞いてみないとわかりません。もしかしたら、大きな負担を感じながら読んでくださっているのかもしれず、そうだとしたら心苦しく思います。
私はかな書きで書かれている何人かの人のブログなどをいくつか巡回して読んでおりますけど、漢字が使われていないことへの抵抗は今や全く感じなくなりました。むしろ、漢字の多い文章よりも、かな書きで分かち書きされた文章のほうが、読むときの負担は軽いようにすら感じます。私個人の経験からは、漢字かな混じり文が読めるなら、かな書きの文章にもすぐ慣れることができると思います。
もっとも、その「慣れる」ための手間がわずらわしいという人もいるのでしょうし、私自身「なんで俺のほうがお前に合わせて慣れなきゃいけないんだよ」という意味のことを言われたこともあります。そういう人に言うべき言葉を私は持ち合わせておりませんし、無理に 「慣れてくれ」と求めるつもりもありません。
漢字を使いたい人は漢字を使って文章を書けば良いし、かな書きの文章がかな書きであるという理由だけで読みたくないのであれば、読まなければ良いでしょう。どういう表記で文章を書こうが、あるいはどういう表記で書かれた文章を嫌おうが、その人の自由です*7。
ただ、「日本語はこう書かなければならない」とか 「まともな日本語はこういうものだ」とかくだらない権威(ほんっっっっとにくだらないと思います)を笠に着て、しかもそのことに無自覚なまま、人の言葉や表現に評価を下すのは、やめてほしいと思います。
*1:「話されている」という表現は多少語弊があるかもしれません。当然、日本手話も含めて「日本で話されている様々な言語」といっています。
*2:私は仕事上の付き合いで、日本語の読み書きに困難を抱える人と出会うことが割と頻繁にあります。その人たちの中には、日本語で話したり聞いたりすることはできるけれど、読み書きとなると大きな困難を抱えている人が少なからずいます。無論、漢字だけがハードルになっているわけではありませんが、かなやローマ字など、表音文字で文章を書き表すことがもっと一般的になれば、そのハードルが格段に低くなるのは確かです。
*3:そう考えると、かな書きの文章に対してよくつけられる「みんなよく読めるな」というコメントもなかなか味わい深く思えてきます。
*4:なお、私はかな書きよりもローマ字表記のほうがいくつかの理由で望ましいと考えてはおります。
*5:『あなたの年齢当てます』朝倉久志 訳。なお、引用は山崎浩一『危険な文章講座』(ちくま新書)からの又引きです。
*6:石川准「本を読む権利はみんなにある」(上野千鶴子他編『ケアという思想』岩波書店、2008年)
*7:私は上にリンクした 5.の記事で書いた通り、漢字かな混じり表記を「標準」として押しつける「国語教育」ごと廃止すべきだと主張していますが、一人一人の書き手が漢字を使うことを禁止すべきだとは考えていません。
http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368
なぜかというと、このままで行けば、ありとあらゆる面で日本は中国に負けることはまちがいない。あちらのほうが人口多いし、それは仕方ないんだけど、そのあと「成熟国」としてこの先どうまともに生きて、1億もいるぜいたくに慣れた人口(この先減るにしても)を養っていくかと考えると、やっぱり「ブランド維持」が必要。
それに同じ言語を話す人が一億以下だと養えなくなるならドイツもイタリアも北欧諸国やベネルクス諸国も養えなくなってるはずだろうに。これらの国がまともに生きれてないとか思ってるんだろうか?というかブランド維持→簡素化というのはおかしい。誰でも話せるように一般化したらブランドじゃなくなるだろうに。
そのためにすべきことはいろいろあるんだけど、「対中国語」という言語コンペティター戦略で考えると、日本語は「かな」を持っているだけで大幅に有利だから、「日本語できる非日本人」を増やすことが、中国語よりもやりやすいという点が生かせないか、と考えるわけだ。
この人は漢字廃止して表音文字だけの韓国語が外国にほとんど広まってない事はどう思ってるんだろうかね。そもそも知らないとか?
そもそもカタカナや謙譲語を知らない外国人を増やしたら、どういう風に日本の経済成長につながるのかさっぱりわからん。それまでの文書を簡易日本語に置き換えたり新言語を強制するコストのほうが大きいんじゃないかと思う。
おおー。ありがとう。レスしてないけどほかの人もありがとーみんな読んでるよー。
誤認識ねー英語はよくやる。つか英語って単語は分解すればある程度意味があったりするから、意味がある部分を何となく輪郭で覚えてるかなぁ。
たとえば-ableとかってあるじゃん。あれ見ると「あぁ何かができるんだなこいつ」とか思ってみる。たぶん-ableでも-doleでも-alobでも-albeでも俺には違いがわからんのだけど、書かない限りは問題がないわけでさ。っていうか俺漢字とか輪郭からかくもんな。なんかぼんやりとした輪郭で見てるっぽい。間違えると輪郭が違うからわかる。言葉の意味は何つーか映像?みたいな感じかな。写真というか、イメージというか、ポンチ絵というか。なんなんだろ。みんなそうだと思ってたけど違うのかぁ。と考えると表音文字の差異を認識できてないのかなぁ。そういうもんだと思ってたんだけどなぁ。
他の人はちょう頭がいいかもしくはちょうがんばっておぼえてるんでねーの?なぁ、そうなんでしょ?どうなんだろうなー。
いかにコミュニケーションをとるかってのはその通りだよね。だれがどこで気に入ってくれるかはわからんけど、一生懸命やることだけはいつでもできるからうまくいかなくてもいろいろ頑張ろうと思うよ。
追記:
あぁあと俺英語の勉強の一番最初にフォニックスとか言うやつをやったけどあれのおかげで知らない単語でも一応読めるようになったよ。アルファベット読み分けられないひとはゆっくり一文字ずつフォニックスの規則に従って読んで行けば自分で読めるようになる。あれいいね。なんで全然広まってないのかちょうなぞ。とか言いながらフォニックスがググってヒットするまで何度もググった俺涙目。
あー、そういうのあるんだ。
そこまでひどくないけどなんとなくわかるわw
俺の場合、表音文字の識別が面倒くさいんだよね。
単語を覚えなきゃいけないときは誤認しやすいグループとして大雑把に覚えて、
グループ内の個別の単語の識別子を別途記憶するから2度手間過ぎる。
元増田は表音文字の差異を認識するのが困難なのかもしれないのかなぁ。
(視覚的な記号は識別できても音列としては認識してない可能性があるかも)
生き物の脳の認識方法なんて個体によって異なるんだから
自分の得手不得手を理解した上で
「如何にコミュニケーションをとるか」を考えるのが得策だと思う。
などとタイトルをつけてはいますが、どんなことが起こっているのかを説明するつもりはさらさらありません。あしからず。以下のお題に投稿するには余りに長くなったので、勝手ですがこちらを借りました。
上のようなお題がハイク内で立てられ、ちょっと盛り上がったので、以下、全力で釣られてみます。
既にいくつか指摘のあるとおり、表意文字としての漢字を日本語から引き算して表音文字としてのひらがな/カタカナへ統一することは、朝鮮半島でのハングル使用が少なくない同音異義語を産出し混乱を招いている現況と同様の事態を引き起こすだろうマイナスの側面がある。
漢字の使用によって抑圧される弱者として日本語を母語としない外国人を想定するのなら、その弱者の補助ツールとして各種翻訳サービスを挙げることができようが、ひらがな/カタカナのみで表記された文章の翻訳は、日本語において多量に存在する、しかし漢字による表記で区別可能な同音異義語を、前後の文脈から判断して行わなければならなくなる事態を引き起こす。現在の提供されている無償の翻訳サービスですらまともなものではないのに、余計に使えないものになるだろう。
弱者として視覚障害者を想定するのであれば、視覚障害者と晴眼者の差異、視覚障害者の能力が障害と見做される由縁は、「読む」ことと「聞く」ことにおける「読む」ことの利便性に他ならない。ここで、書記言語から口語言語の優位性を説くのであれば、文字を拒否するという極端な姿勢もあり得ようが、一方では、漢字の使用をやめたところで、「読む」ことと「聞く」ことの差異が縮まるというものではないことも容易にわかる。漢字の不使用に「わかちがき」の使用を追加したところで事態は変わらない。ところで、書記言語から口語言語の優位性が説かれるときに、今度は聴覚障害者や構音障害者が抑圧されているかのようにみえるのは、一体どういうことだろうか。
あるいは、単に漢字の読みがわからない、また付随して意味がわからない者を弱者として想定するならば、キッズgooなどの検索先ページへの仮名振り機能は強力なツールとして既に存在しているし、オンライン辞書ツールなどの使用による「学習の啓蒙」がなされて穏当、かつ然るべきではないか。
また、補助ツールを用いずに弱者への配慮をhtml/xmlで記述されたページ内で完結させることを考えるならば(大体、html/xmlで記述されたページがメディア=媒介なのだが)、例えばhtml/xmlはruby関連タグを備えているが、投稿においてタグを使用できないはてなハイクの仕様が抑圧的だという見方もあり得よう。しかしながら、これは視点を変えれば、タグを使用することができない弱者への配慮でもあることは付記しておくべきだろう。
それどころか、ruby関連タグはxml1.1でようやく認められるに至ったのであり、この点でいえば現状のhtml/xmlが抑圧的であるという判断すらあり得よう。引き算の態度を貫徹するのであれば、漢字を拒否する前に、はてなハイクでの、いや、ネット上の書き込みを拒否する態度というのも、ひとつ考えられよう。あるいは、html/xmlにおける扱いについて問題の多い日本語の使用をやめて、問題の少ないラテン系言語の使用に踏み切るという態度もあり得よう。
話は変わるが、歩道に敷かれている視覚障害者用の点字ブロックがいかに妥協の産物であるか、病院等の公共施設で採用されるユニバーサル・デザインがいかに試行錯誤の、過渡の形象であるか、ということに目をやるのが良い。そこに横たわる根幹的問題のひとつは、弱者とまた別の弱者の利害不一致である。漢字の排除が同音異義語の混乱を招くという形式は、弱者とまた別の弱者の差異を捨象するという形式と相同的なのである。これは、弱者とまた別の弱者の双方に潜在する、共通する性質を汲み取り問題解決へ向かわんとする繊細な作業――それは、不十分とは言え、点字ブロックやユニバーサル・デザインを産み出す過程で行われている作業である――とは全く相反した暴力的行為に他ならない。ユニバーサル・デザインが足し算の思考であるとは、確かに足し算の部分も引き算の部分もあるだろう。しかし、足し算と引き算しかできない小学一年生であれば、最小公倍数と最大公約数の思考の部分についてわからないのも無理はない。
さらに、より根本的には、スピヴァクが古典『サバルタンは語ることができるか』で指摘したのは、サティー(寡婦殉死)の実行者を被抑圧者としてカテゴライズすることだったが、スピヴァクはそれを決して否定したり退けたりなどしていない。外部の視点を持ちこんで、ある彼/彼女を被抑圧者として規定すること、これこそが抑圧以外の何物でもないが、しかしこの規定によって被抑圧者を被抑圧者と認識し、被抑圧者たる彼/彼女に語りかけることが、彼/彼女の身になって考えることができる。抑圧なしのユートピアなど幻想である。抑圧なしのユートピアがお好みならば、まずもって「私」という拭い切れない自己同一性を捨て去ってみればよい。想像はできる。「お前」と同定されることのない、「私」を「私」と呼ぶことのできない、抑圧なしのユートピアがそこに拡がっているだろう。まさに、「サバルタンは語ることができない」。かつてフーコーが打ち出した『魂は身体の牢獄である』
という、一見したところトリッキーなテーゼに込められていたかもしれない苛立たしさには、同意するに吝かではない。この種の原初的抑圧の暴力性には敏感であるべきだし、しかし、しばし躊躇いながらも、この暴力から笑いを産み出す昇華の方法を探るべきなのである。この昇華は幻想ではない。理不尽に突き付けられた、尽きることのない、終わりのない、仕事だからだ。
僕が何を言いたいのかというと、お題ができたら全力で釣られて、あーでもないこーでもないと盛り上がり、次第に飽きては、パロディ化して派生した別のお題で盛り上がり――そんな楽しいところがはてなハイクです。
――落ち込むこともあるけれど、私は元気です
――
そうだね。よく考えると
そう言う意味ではイスラムは聖書は共有するけどローマ文化はあまり共有しないから
若干距離がある
特に法律語とか技術語の多くが日本から中国に輸入したものだから
ビジネス的にはとても取っつきやすい
文法は全然違うけど
どちらも文法があって無いような言語だしw
日常会話程度なら漢字を知らなくてもOKだし
英語でも綴りを覚えるのに一苦労するわけだし
そんな簡単な話じゃないとは思うな
また知ったかでわけのわからんことを。
おそらくだけれども、一神教文化圏=キリスト教文化圏という解釈をすると分かりやすいと思うんだ。
そして、ここ何百年かの間、世界の覇権を持っていた国がキリスト教文化圏であるということが、キリスト教文化圏の言葉の基礎語彙を世界の人々が知っている理由なのだよ。
えーと、あなたスペイン語とポルトガル語の何を知ってる?「タバコ」と「カステラ」と「タンゴ」と、そういった類の言葉しか知らないんじゃないの?なんでもかんでもキリスト教に結びつけて思考停止するのやめやめい。
もっと言うと、古代ローマが覇権を握ったから、アルファベットが全ヨーロッパで通じるようになったというわけ。
そして、神道文化圏の言葉=日本語が特殊である、他国の人の学習が難しいというのは、日本が世界の覇権を握れなかった、アジアでも維持し続けられなかったというのが原因なのだよ。
またわけのわからんことを。たかだか52文字(大文字・小文字は字形が違うから別に数えた)を覚えるのなんてたいして時間かからんだろう。表音文字ってのは覚えるのは簡単なんだよ。ためしにあなたハングル覚えようとしてみな。棒読みでいいなら、本気でやれば三日でできるよ。
それに、ベトナム語とかインドネシア語とかトルコ語とかハンガリー語とかフィンランド語みたいに、印欧語圏でなくてもローマ字採用している言語は沢山あるわけだが、それも学習が容易になるってのかい?たぶん韓国語の方が絶対簡単だと思うよ。あなたが日本語ネイティブだとすれば。
それに、逆に日本や中国が世界を征服してたら、世界中どこでも漢字を読めるってのかい?そういうことはないだろ。何千文字もある文字を覚えるのは「カステラ」とか「タバコ」なんて言葉を覚えるのと同じようにはいかんだろうにさ。