はてなキーワード: 表音文字とは
そうですよね。
一応自分も言語やってたけど、カタカナは表音文字といっていいと思うし、
元増田です。
「完全な表音文字じゃない」というのは趣旨がよくわからないです。「完全な」が「どんな音でも正確に表せる」という意味なら、そんな文字体系は世界のどこにいっても存在しないので。
「表意文字の派生」というのは、漢字から派生したという経緯のことを指して言っているのかなと想像しますけど、それをもって何が伝えたいのかはよくわかりません。
rとlについては、しょうがないですよね。
単にマウンティングしたいだけだろ。
カタカナは文字的には確かに表意文字だったかもしんないけど、50音という文脈でカタカナと言ってんだから、それは mora を表わす表音文字の代替と解釈するのがまともな人。
id:bottomzlifeが「カタカナは表音文字ではない」「rとlの書き分けはどうする」とか意味不明なことを言い出してますが、どう思いますか。
「ち」が音便で濁る場合は「ぢ」と表記するのが基本規則で、合成語の元の言葉を把握しやすくするものなんだよ。
カナ文字は表音文字だから音だけ表せばよいという気持ちもわからんではないが、表音文字つっても、厳密には音声を表してるんじゃなくて「音韻」を表してるんだ。
音韻を説明するのに典型的な例としては「ん」がある。 例えば「しんぶんし」はヘボン式ローマ字では "Shimbunshi" と書く。 「ん」は音声としては "m" の場合も "n" の場合もあって実際に違う音を出している。 しかし日本人はこの違いをほとんど意識することなく同じ音だと思っている。
ならば逆に、音声として同じ「じ」と「ぢ」を同じ音と認識しているかというと、出自が違う音がたまたま同じ音に発音されていると考えるのは自然なことで、統一してしまうのはちょっと乱暴な話だよね。
「生」は生物という意味もあれば、生き方という意味もある。「金」はゴールドという金属も指し示せば貨幣一般も指し示す。漢字は連想性を高め、発想力や想像力を強化する。
「停留所」ならたった3文字で「乗り物の乗降車する場所」を表現可能。表音文字なら「ていりゅうじょ」で7文字もかかる。
【可視性の大幅な向上】
漢字なしでずっとひらがなやローマ字が続く文章を読むことは苦痛である。漢字、ひらがな、カタカナの融合は可視性を大幅に高める。
【未知の概念に対する強さ】
表音文字のみで「ていりゅうじょ」と書いた場合、その単語の知識がないと音や語感、表音記号だけではさっぱり分からない。まるで暗号のようにしか見えない問題がある。
しかし、「停留所」なら「停まる」「留まる」「所」という漢字1文字1文字が持つ意味から類推が容易である。
これは新しい単語を理解する、記憶する際に大きなアドバンテージになる。
日常ではそんなに新しい概念と出会うことがないが、学問をする場合は常に新しい概念や知らない概念だらけである。
これが意味のない音の連なりばかり(外国語直輸入のまま)であれば理解や記憶が苦痛になる。
「パーソナルコンピュータ」や「ソーシャリズム」、「ニューロン」が分かりにくく覚えにくいのに対し、「電脳」や「社会主義」や「神経細胞」が理解も記憶もしやすいのは当然である。これは漢字という過去の財産から知識データベースを引っ張り援用できているということである。
これだけではまだ常識が邪魔をするので、「ハニベニ」という単語で考えてみよう。前後の文から想像するにしてもチンプンカンプンな単語だ(いま私が適当に考えたので当然だが)。
でもこれが「埴紅」ならある程度想像もつくのではないだろうか。埴輪に塗られた紅色とか、類推しやすくそう大きく間違っていない場合が多いはずだ。
(そもそも漢字には部首があるのでそれだけで大まかな属性の判断が容易だ。「さんずい」なら液体などに関連した漢字だと即わかる)。
さらに停留所のような具体的物質の場合はまだマシだが、表音記号だけだと抽象的言葉の場合の説明がこれがまた非常に困難だ。
「ソーシャリズム」を説明するために「生産手段の共有化や社会福祉制度でもって平等な社会を実現しようと言う思想、体制」と漢字のように簡単に解説しにくいからである。
表音記号だけだと「タイセイ」とはなんぞや? 「フクシ」とは? 知らない言葉だ、とまた解説が必要になってしまう(知らない難しい単語が現れると類推もできないのでまたそこでつまづく)。
漢字だと「社会主義」と言うだけでも社会に関する約束事の考え方なんだなとある程度、理解できる。
しかし表音記号の場合、子供でも知っているような簡単でなるべく具体的、物質的で同音異義語の少ない言葉でないと、複数回の解説が必要になってしまうのだ。
具体例として言うと、「みんなでたべものや、せいひんをうみだし、みんなのもちものにするかんがえかた、みんなでこまったひとを、たすけあうやりかた」といった、幼稚な表現が必要になってきてしまう。そしてもちろん、これでは社会主義を上手く表現できたとは言い難い。
文字種が多いから日本語ダメというが、文字種によって文法的な役割が大体推測できるので読むのが速くなるという利点がある。例えばカタカナならほとんど名詞だと推測できる。
さらに日本語は単語についている助詞によって語の役割が決まる(そのため語順は比較的自由になる)ため、タグである助詞を見つけるのがとても大切になる。かな漢字混じり文によって漢字やカタカナの間に助詞が浮び上がって見えるために助詞を見つけやすくなっている。
またfMRIで脳を観察してみると、表音文字と表意文字では処理する領域が分かれており、これらを併用することにって効率的に脳を使えている可能性がある。
一方で、音声に関していえば、日本語は音素が少ないので単位時間当たりの情報量は減る。結果として同音異義語が多くなり文脈を読む必要がある。
まとめると、日本語のかな漢字混じり文は視認性、情報密度に優れており、速く読むことができる。しかし話し言葉でいえば欧米の言語の方が情報密度が高く短時間で意味を伝えられる。
マジレスすっと、日本語と英語の言語構造が違いすぎて特に音が根本的にショボショボなのが日本語なので超厳しいよ。
英語(やその他ラテン系、ゲルマン系言語)の音の豊富さと比べると、日本語は飛車角落ちどころか香車と桂馬も落としてるくらいの貧弱さだよ。
表音文字の日本語の感覚からすると英語の規則性もへったくれもあったもんじゃないスペルと音の対応も厳しいしね。
あとそれゆえに英語教師の英語力が低すぎてお話にならないレベルなので、あんなのに長時間教わっても英語できるようになんてなるわけないよ。
英語でProgressって書いてても,単語を知らないとなんの意味かわからないけど,日本語(漢字)で進捗って書いてあったら,読めなくてもなんとなく意味がわかる.これは英語が表音文字で,日本語が表意文字であるからだと,一般教養の授業で習った.たしかにそうだと思う.
話は飛ぶが,デザインに関して,アイコンにするか文字にするかみたいな話がある.アイコンはスタイリッシュでITに強い人には使いやすいけど,そうでない人には文字のほうがよかったりする.うアイコンだけのUIはもちろんかっこよく見えるけど,デザインによっては,何のボタンかわかりにくいことが多い.全てを絵にするのは難しい.
そこで漢字をアイコンみたいに使ったら,日本流のデザインでかっこいいんじゃないかと思う.
今日,車のワイパーの動く間隔を決めるダイアルに"INT"と書いてあって,これなんて意味だろうって考えてたら,Intermittentだって気づいた.わかりにくいなぁと思いながら,これをアイコンにするのも難しいなって思う.これ"緩"とか"急"って書いてたらわかりやすいんじゃないか.この例は良くないかもだけど.少なくとも文字にするなら英語は音を表すのだから,英語を使うのは理にかなっていない.車とか海外で共通の部品が使われるものはともかく,日本をターゲットにするなら,文字は意味を表す日本語(とりわけ漢字)にした方がわかりやすい気がする.
追記
ブコメありがとうございます.間違い訂正・例えを編集しました.
尤もだ。
一応は英語の表記法にも規則は存在してフォニックスと呼ばれてる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
ってたった 75% かよ。
そりゃ小一時間問い詰めたくもなるわ。
まずお前に聞くが善悪ってなんだ?音楽に畏敬を感じたことはあるか?
本当に尊敬できる人に出会うと「恐れ入りました!」と全身で頭をさげる気持ちになる。分かる?
自分の全てを捧げる気持ちになる。それが畏敬。・・・ってところまではおk?
じゃあ音楽に畏敬を感じるってどういうことなんだ?まず音楽ってなんなんだ?
表現って何で、なぜ単なる音が表現力をもつんだ?なぜ人から人へと伝わるんだ?
それはね、音楽は表音文字を並べた詩のようなものだと言えば伝わるだろうか?
ところどころみると意味のある文字列があるように見えてそれには意味なんてない。単なる偶然の産物かお前の思い込みだ。
本当の意味はもっと別のところにある。それが畏敬、なんだ。本当にいい音楽はとにかく凄い。凄いとしか言えないくらい凄い。
そのことが分かる人間は、人に共鳴したり、大自然に感動したりする素質がすぐれている。
これはほとんど生まれつきの素質かもしれない。
誰だって人生に一度は魂を打ち抜かれるような音楽体験をしたことはあるだろう?
でも、それを頻繁にとなると難しい。分かるな?
素質のある人は、音楽ならなんでもすき、すぐに感動する、という人が多い。
べつに貧乏舌じゃない。共鳴力が卓越しているのだから、さも当然のことだ。
それだけでなく、本当にいい音楽がどれかの区別もつく。審美眼がある。そこが一般人との違いだ。
表音文字列に見いだされる意味ありげな文字列なんてありふれていて凄くもなんともない。
うーん、英語には詳しくないからわからないけどpale-onto-logy で pale=paleo+母音 時の修飾で 旧~ の意味らしいから
paleontology = pale(旧)-onto-logy(学問) だから 旧○学問までは推測できるっぽい。
わからんけど、ラテン語に詳しければpaleonto=古生物の成り立ちでontoが生物関係ってのが出てくるんじゃね?
それを組み合わせてできる”単語”については、同じような歴史的経緯で組みあがって派生してるから、慣れている人には
語は無理だけど 混合の”単語”なら推測可能というのは同じだと思うよ。
推測できないのはあくまでも、文字だからねぇ。
言いたいことはわかるけど、体温計という 組み合わせの単語を選んだのは違ってると思うと。
さすがに、Bodyを推測するのは難しい。
英語学習の方が敷居が低いと思う。
本気で言ってる?特に、韓国語の方が中国語より難しいと思っているあたり、それだけはあり得ない。
そもそもハングルというのは表音文字であって、音韻記号の組み合わせで表音節文字を作るという極めて合理的な構造になっており、ラテン文字よりもずっと合理的だ。こんなに簡単に覚えられる文字はないぞ。実際、俺は一度大韓航空を使ってヨーロッパに行ったとき、関空から仁川までの機内でハングルを覚えてしまい、トランジット中に有効に活用した。ましてここでは「韓国語が世界共通語」と仮定しているから、その場合は現実世界でラテン文字がありふれているのと同じ水準でハングルは世界中にありふれているはずで、「文字が読めない」という敷居は問題にもならない。
中国語は確かに簡単ではない。しかし、中国人にとって日本語の方が、たとえばアラビア語よりずっと簡単なことは明らかであり、逆もまた真だ。そして、日本や中国から見て、英語よりもアラビア語の方が学習に有利である点は全くない。
君は何か勘違いしていると思うが、英語という言語は世界共通語としては非常に不利な特質を兼ね備えている。まず語彙体系が、ゲルマン祖語の他にギリシャ語・ラテン語(フランス語経由含む)・アラビア語など過去の先進文化圏の影響を強く受けており、最低限のことを言い表すのに必要な語彙が非常に多い(このことは日本語でも同じ)。次に、発音体系が極めて特殊である(スペイン語やイタリア語の発音体系が日本語と近いのは偶然ではない。日本語の五十音+αで近似できる発音体系は世界に広くみられるものである)。正直なところ俺は無敵艦隊が敗れたことをかなり恨んでいる。世界共通語がスペイン語であれば、英語よりも余程楽だったはずなのだ。文法こそ単純だが、ロマンス語と比べれば誤差の範囲である。日本人から見て、英語以上に難しい言語を探す方が難しいのではないか。ロマンス語を一つでも学んでみれば、英語より圧倒的に簡単なことに感激するはずだ。
いったい何を以て「英語学習の方が敷居が低いと思う」と言えるのか、さっぱりわからない。
以前、id:michikaifu さんの
国家生き残り戦略としての日本語リストラ http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368
という記事が話題になり、それなりのブクマ数を集めたようである。今更ではあるが、言語学的視点からこの記事について言及してみたいと思う。
元記事では
> 人種が入り混じってしかもアジア人人口が多いカリフォルニアでも、中国系以外の人が中国語を習うのはなかなか大変。
> いきなり漢字しかない上、母音が多く発音も難しい。日本語は世界で一番難しいのだ!と息巻く人もいるだろうが、
> 日本語は母音が5つしかなくて発音がスペイン語やイタリア語と似ているし、表音文字があるので、入り口の敷居は必ずしも高くない。
と述べられている。
「日本語は母音が5つしかなく」「表音文字があるので」とあるが、実はこれは意外と厄介なのである。外国人が日本語を見たとき、驚く点の一つに、「ひらがなの種類が多い」という事項が挙げられる。確かに、日本語には「母音が5つしかなく」、「表音文字がある」が、その表音文字であるひらがなは、母音の少なさとは対照的に母音と子音の組み合わせで全て文字が違い、それが約50もある。
また、多くの日本人は「ひらがなは必ず母音と子音の組み合わせになっていて発音が簡単」だと思うかもしれないが、外国人の視点からするとこれは必ずしも正しくない。
これを読んでいる日本人のみなさん、次の単語をそれぞれ音読してみて欲しい。
それぞれひらがな4文字から構成される単語だが、2文字目の「ん」の発音は3語で全て違う。
「しんぶん」では、「ん」を発音する際、くちびるを閉じ、「むー」に近い発音をする必要がある。「しんがん」の場合は、口を開け、舌を上顎から少し離し、音が鼻に抜けるような感じで、次の「が」に続くように発音する(このときの「んが」という発音は鼻濁音と呼ばれる。国語の授業で習った記憶のある方もいるだろう)。「しんせん」の場合は、口を開け、舌を上顎にくっつけるような感じで、鼻に抜けない「ん」を発音する。
今ひとつ実感出来ない向きには、それぞれの「ん」の発音を無理やり入れ替えて音読してみるとよりわかりやすいだろう。例えば、「しんぶん」の2文字目の「ん」を発音する際、なるべく口を閉じないように「ん」を発音しながら、次の「ぶん」につなげてみて欲しい。相当、口の動かし方に無理があることがわかるだろう。
「しんぶん」の2文字目に対応するローマ字は "m"、「しんがん」の2文字目に対応するローマ字は "ng"、「しんせん」の2文字目に対応するローマ字は "n" である。
日本人はこれらを全て区別せずに「ん」というひらがな一文字で扱う。しかし、逆にこれらの発音を全て区別して扱う言語を母語とする人からすると、このような違いは習得時の障壁になる。音声で聞くと違う音に聞こえるのに、ひらがなにすると同じ文字になってしまい、混乱が生じるのである。(例として、英語では "n"/"ng", "m" は表記上区別されるし、中国語では "m", "n", "ng" 全て区別して扱われる)
日本語以外の語を母語とする人がよく戸惑うのが促音、すなはち「っ」という文字の存在である。
促音はとにかくわかりにくい(参考に wikipedia:促音 の項目を見てみても、何が書いてあるかさっぱりである)。例えば、英語には促音という概念に相当する音素がない。日本語話者の方々、英語話者に「っ」という発音を説明することを考えてみて欲しい。 「バック」"back", 「キック」"kick" の "a" "i" に続く音と説明すればいいと思う方もいるかもしれない。しかし、英語では "back" を「べぁく」と発音しようが「べぁーーっく」としようが構わない。"kick" も同様である。「きぃく」、「きっく」、「きぃーっく」、どう発音しようが "kick" は "kick" である。
続く。かもしれない。