他にも書いてる奴を増田で見かけたが、探そうにもヘッダにある検索フォームは「愚衆」では検索でヒットしないし、カテゴリーやキーワードにも登録されてない(し、いちいちページをめくるのは面倒だし)。増田は辞書に登録されている言葉しか自動リンクしない。
文章を書くときは辞書を引こう。日本語こそ辞書を引きながら書かなきゃ。
↑自動キーワードリンク、便利なようで不便だ。
「愚衆」で引くとやたらブログ(しかもはてな系)がヒットする。誤用からそれとなく意味が付加されて既成事実になっていくんだろうね。
一部のリテラシーの低いブロガー達に言いたい。「お前ら、ちゃんと調べてから書け!!」
それでもジャーゴンを使いたいのなら、まず定義してから書け。
トラックバック先が問題にしているブックマークページでのタグ付けやコメントに対して、「記事に書かれていないことをステレオタイプで補って、感情的な判断をするべきではない」と言いたい。
こういうのが、「衆愚」の例だと思う。タグ付けや、コメントの内容でそれぞれのブックマーカーのリテラシーや常識がわかる。
ポイントは、
少なくとも以上の点を吟味せずに、脊椎反射的に「これはひどい」とか「ありえない」といったタグ付けをする人は愚か者と呼ばれても仕方ない。「死ねばいいのに」というような言葉を気軽に使うべきではない。[被告が裁判に勝つ][原告が裁判に勝つ]のようなタグ付けをして欲しい。
(1) 「数の論理」への不満
「衆愚」を自分の好みや目的に合わない記事のはてブトップページでの羅列と考えるのなら、不満の矛先は、
に向けられる。これは数の論理(「数が多いものは価値が高く、数が少ないものは価値が低い」というステレオタイプ)への不満である。この問題を解決する方法は、自分の好みや目的に合う記事を表示する専用のページをつくることである。
(2) 自己を中心とした場合に生じる「質の悪さ」への不満
「衆愚」を任意の記事に寄せられたコメント群それぞれの質の悪さ、またはコメント群を通じて感じる多数の類似した意見のまとまりから受ける質の悪さと考えるのなら、不満の矛先は、
に向けられる。これはつきつめれば個人の好き嫌いの問題である。この問題を解決する方法は、それぞれの意見を分類・整理し、自分が一体何に腹を立てているのかを探すことである。
多くのおろかもの(広辞苑第五版)