はてなキーワード: 純愛とは
よし、あんま関係ないけど便乗して書いてみよう。
俺は好きな人が出来たことがない。
いや、正確には好きな人が出来たと自覚したことがない。一人の人だけを好きになったという事がない。女子Aと結構仲良くなって一緒に出かけたりしたら、その日はずっとAの事ばっか考えてる。でも次の日になって女子Bと多く話したりしたら今度は女子Bの事ばっか考えるようになる。その上、夢に中学時代の同級生Cが出てきたりすると起きてからはずっとCのことばっ(以下略)
AでもBでもCでも、ある人の事を考えてるときは「あぁ、この人の事好きなんだなぁ」と自覚している。でもそれは違う人の事を考え始めるまでしか保たない。
こんなんだから、俺の経験上での「人を好きになる」ということは本当の意味での「人を好きになる」と同じなのか分からない。自分がこんな情けないヤツだから、明らかに相手からアプローチかけてきているけど気づいてないふりをして友人のままでいた事もある。
純愛って、どうすればできるんだろう。
1. ブランドにこだわらないでください
別にすっごいエロくて普通のゲームが作れないようなブランドを選ばなくてはエロゲーってわけではありません。
keyだろうと、型月だろうと非エロについてくる方はいるんです。
2. 斜め上に行かないでください
別に他人と同じことを恥じる必要はありません。
むしろ無駄な自己主張しない方がまともだと思いますよ。
3. 足元見てください
CGが綺麗でも、中学生が好きそうなセカイ系ジュブナイルだと、素性がしれます。
むしろ話はロリ百合メイドでいいので足元に気を使ってみてください。
4. ユーザーに影響されすぎないでください
え、そもそもブログも見ないって?!
では、アイドルマスターの伊織様の純愛でも参考にしてください。
アイマスならばやってることでしょう。
※人物、団体等の設定はゲームに準拠していませんが、発生した出来事は現実に準拠しています。
私立世良学園に通う翼ちゃんは、実は隠れエロゲーマー。18歳になっていないのに(なってても高校生じゃダメだけど)Kanonとか知ってる悪い子です。
ある日、翼ちゃんの実態を知っちゃった新山くん(彼はヘビーなエロゲーマーだったのです!)は、彼女に話しかけました。「ねえ、翼ってアレやってるんだろ?」新山くん、ちょっと嬉しげです。翼ちゃんはちょっと困惑しましたが、今までコソーリとプレイしていて鬱憤が溜まっていましたので、嬉しくなってにこりと笑いました。それから、二人は長く話を始めたのです。うぐぅの何が良いだの、あうーがどうだの、もし周りに子連れゲッソーがいたなら、たぶん「見ちゃダメです」とか言われたことでしょう。もしかしたら、不思議ちゃんだと思われたかもしれません。二人の会話は、それは摩訶不思議で、神学者の論議にも似た雰囲気は、まるでピンクの後光が差しているかと思われるほどです。
そんなこんなで仲良く歓談していた二人ですが、新山くんがエロゲの核心、つまり"最中"或いは"行為"についての話題を口にしたとき、突然、翼ちゃんは目をつり上げて、口を尖らせて不機嫌そうになってしまいました。こうなった翼ちゃんは、何だか猫口っぽくていぢめてオーラをぷんぷん醸し出してしまって、むしろ普段よりも威厳が無くなってしまうのですが、翼ちゃんはそんなことには全く気付いていないのです。でも、新山くんは優しい子ですから、翼ちゃんを虐めたりなんかしません。それよりも、翼ちゃんを怒らせてしまったらしいことを気にかけて、焦ってしまいました。そんな新山くんを見て翼ちゃんもちょっと反省して、俯いて「ボクに……そういう話はしないで」と言いました。翼ちゃんに嫌われたくない新山くんは0.5秒で了承して、再び二人は仲良く話し合いました。
何故このようなことになってしまったのか? エロゲプレイヤーであるにもかかわらず、何故翼ちゃんは猥談に嫌悪感を示したのか?
エロゲーマーが猥談を嫌う場面にしばしば出くわしたことのある人であれば知っているように、エロゲーの目的は必ずしもエロではない。であるにもかかわらず、エロゲーにおいてエロは最も重要なようその一つである。何故か? それは、エロゲ(特に純愛系)の展開を見れば明らかである。
つまり、エロゲにおいてエロは一種のフラグとして機能している、といえる。ファーランド的にいえばう゛ぁにてぃキッス(りりむキッス風に読むこと)がこれにあたるだろう。中学校の噂なんかでよくある、体育館の裏の山の奥地の何処かにある泉の渕に立つトネリコの大木の下で告白するとメリアイ様が恋を成就させてくれる、といったものでもいい。先の例でも明らかなとおり、承までで築き上げた世界を異化することが目的となるので、実際にはエロである必要は実は全く無いのだけれど、一般的な人間が可能な愛情的表現の最上級に位置するものとして考えれば、エロの持つ効用は絶大である。もちろん、狂ったものでいいなら鬼哭街の瑞麗みたいにフュージョンしてみてもいいし、プリハのアーニャみたいに更に一段隠しフラグを置いておくのもいいけれども、凝りすぎたり殺りすぎたりする恐れがあるので、なかなか難しい。最初から狂った世界観の沙耶なんかでは、逆に抱擁によってこれを達成していることは印象的である。虚淵天才。
エロがこうした役割を帯びるに至った理由は明らかではないが、このような理由でエロゲをやっている者にとって、エロゲは必ずしも卑猥なものではなくなるし、濡れ場であってもそうした意味を持たない。それはザムザに林檎がブッ刺さったのと同じように物語上の事件である。ただ、性的興奮によるベクトルであるというに過ぎない。デスノートの読者がみんな死ね死ね死んじまえー言ってるわけでないのと同じ理由で、エロゲと卑猥とは結びつくものではない。
ところで、処女信仰もまたここから説明可能なものである。生物学的にもちゃんと説明がつくのだけれど、そんな生々しいものは置いておいて、純愛ゲーマーに処女信者が多い理由を考察する。先に述べたようにエロはフラグとして機能する。それが意味するのは「絶対的な愛」である。エロ以前の漠然とした愛は、エロ以後では確たるものに変化する。従って前座が長く印象的であれば、エロ以後に得られる満足感は増大する。ただし、こうした役割をエロが担うためには、ヒロインは貞淑でなければならない。ぺけぴーにあっては異化の役割を担うことが出来ない。異化は非日常、特別でなければならないのだから、以前にもヤったことがあるのでは威力半減であるし、序盤にいきなりヤってしまうのでも威力半減なのである。エロ以前と以後とで世界が変容しないし、エロは単に連続した好感度曲線がある一定値を超えた証としての意味をしか持たない。それではダメなのだ。エロ以前の相対的な好感度が、エロ以後には、以前のものとは断続的な、ある種の特別性を帯びていなければダメなのだ。従って、貞淑な娘を好むのは、征服欲ではなくてむしろ異化役割に負うところが大きいといえる。猥談を嫌うのは、こうしたエロの特別性が愚弄され、辱められ、涜されて、どこにでもある、陸続きの日常に貶められるように感じるからであろう。こうした主張が殆ど現実における未経験者からしかなされ得ないのも、ここに理由があるのだ。即ち、エロの連続性に対し経験的に無知か、或いはそのように意識していなければならない。
追記:2007/03/10JST00:30
「姦淫してはならない」のは「窃盗がいけない」ぐらいの意味でしかないと思う。
今の常識とは違うよ。
女性は男性にとって財産なんだから、男性は他人の財産を盗んではいけない。
女性は財産かつ脳みそがついているので、それ自身が進んで盗まれないようにするために「盗まれてはいけないよ」と言い含めておく。
多分そういう単純なことなんだよ。殺人がいけないほどの禁忌ではない。
近親相姦の禁止だって、女性が財物であることから来ているんだよ。決して遺伝子がどうとかというのが第一の理由ではない。
実際問題近親相姦を禁止していながら、義理の(文化上の)近親相姦は禁止するけど実質の遺伝上の近親相姦が禁止されていない文化が存在したはずだ。文化人類学の授業で習った。何の本に詳細が載ってたかは忘れた。
※文化によって、上記記述における男と女の役割が入れ替わります。家なり共同体を維持するメインになる方が、そうでない方を財物として扱います。
だからさ、姦淫がいけないのなんて現代じゃちゃんちゃらおかしいんだと思う。だってどっちの性にとっても相手の性は財物じゃないじゃん。
性病の防止だけ気をつけてればいいんじゃないかな。
(でもわたしは純愛一筋、一人の人を心に決める派ですけど)
http://anond.hatelabo.jp/20070118193602
いやなんかね。弁当じじいが
男が、どうしても、僕ちゃん=子供=正しい世界はどこどこ、というメタモードと、やりたい=やりたい=性欲というモードがあって、実際のところ男なんてそこがうまく切り替えられないというか、切り替えられる一群の男たちに、ああはなれねー、ああなるのはやだ、と思っている。
つってて。
ああ。ソレだ。って(アルファブロガーにもろに影響されるおれかっこわるい!)。
おれはメタモードで「やってやれよ」って思ってて、同じくメタモードで純愛指向の人と議論してたわけ。
あとさ。痴漢被害読んでて「あ、おれも」ってなって。
あとあと。palさんの
悪いですが、僕は、自分の裸をみて勃起する危険性のある男とは友達になれません。一緒に寝てたら、夜中のベッドに入り込んで、体中さわりまくるような男も論外です。危険すぎるからです。
ってのもあって。考えた。
ちょっと背景説明。
おれ結構痴漢に遭うのさ。最近はないけど10代後半は酷かった。半年に1回くらいの頻度で遭う。一番ショックを受けたのが、地域の図書館で受験勉強してたときのやつ。息抜きに新聞読んでたら、50代くらいのハゲのじいさんが話しかけてくるわけ。で、おれも爺ちゃん婆ちゃんっこだから、老人と話すのは好きで世間話がはじまって。ちょっとしたらピロティーの自販機でジュースおごってもらえることに。2人でジュース飲みながらまた世間話。なんかその時点でベンチ横並びで、よく考えるとおかしかったんだけどね。ほいでおっさんの発案で天気良いから外の公園散歩ついでに一服しよう(館内禁煙)ってなって。まあ断る理由も無い。ちょっと歩いて、木陰のあずまやで
「一服しよか」
「へえご馳走になります」
っつってタバコ喫ってもやっぱりなぜか横並び。そのうち手とか握ってきて。そのうち膝とか触ってきて。
とか。その時点ではまだおれは信じたかったんですよ。それがモーションだとは思いたくないわけですよ。ジュースとタバコおごってもらったし善い人そうに見えたし。いま考えると巧いな、と感心しますよ。でも終いにゃ内腿に手が伸びてきて。まあさすがに恐怖。ちょうど喫い終わったし、すぱ!と立ち上がってまた歩き出して、この時点ではまだ五分五分で信じてたけど、公衆便所が見えてきて
「ぼくトイレ行きたいな。きみもいっしょにどう?」
と言われた瞬間に「友達がもぐもぐ」とか言いつつ早足で戦線離脱振り返ったら走ったら食われる襲われる!
でもいまゲイの友達はいてる。
うん。で、だ。
おれは「やってやれよ」とか書いた死んだ方が良いアレな人なんだけど、その友人に
「 や ら な い か 」
て言われたらたしかに断る。
「何言うてんねん縁切るぞw」
っつって。切らないけど。切りたくないけど。切らせないけど。
でもこれってつまりおれが例の男女の友情を維持したい糞女で、ゲイの友人がお兄ちゃん扱いされた彼ってこと? こと?
おれの中の僕ちゃん=メタモードは「やってやれよ」が今でも正しいと思ってる。でもおれの性欲=ベタモードはそれを拒否して「やりたくないやつとはやれねーよ」って囁いてる。じゃあこれについて語る資格はないな、と。ていうかおれはおれのために語るべきでないし語りたくないな、と。そんなことよりその友人と飽きるまでは関係してたいな、と。
なぜか弁当じじいの構図とは逆方向ですが、アンビヴァレントは抱え込むべし、というのはいっしょ、ということでひとつ。
いま増田の存在意義が判った! だって自分のブログじゃこんな自分語りに陥る話題なんか恥ずかしくてあつかえねーもの!(いまさらかよ