はてなキーワード: 古代エジプトとは
『モンスター社員続出で右往左往する現場 「自己チュークラゲ」ゆとり世代を戦力化するコツ』
http://president.jp.reuters.com/article/2009/10/24/BA8D7BF0-BA29-11DE-A839-21F13E99CD51.php?rpc=110
ゆとりゆとりと嬉しそうに新入世代をあげつらう記事の書き手が何歳(いくつ)か知らねえが
「近頃の若者は……」と紀元前の古代エジプトの時代からいわれ続け、そんなステレオタイプの若者批判論をいさめた「いまどきの若い者はとはばかるべきことは申すまじく候」という山本56の言葉も残っている。それにしても、企業の現場では首をかしげたくなるケースが続出しているようなのだ。
最近の若い者はなっとらん、けしからんとはよく年長者が言う。いつの時代も言う。古代エジプトの時代でもそう記されているほどである。
いつの時代も言われ続けることは大切な真理や知恵を含んでいる。
従って、若者はいつの時代もけしからん。
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最近の若い者はなっとらん、けしからんとはよく年長者が言う。いつの時代も言う。古代エジプトの時代でもそう記されているほどである。この事実をもって「いつの時代も言われることだからたいした意味はない」と結論するのは一つの解釈に過ぎない。「いつの時代も言われることだから真実を含有している」と考えることも可能だ。その場合、人類は有史以来堕落し続けている。
だがそう考えるのも極端すぎるので、結論としては、「いつの時代もジェネレーションギャップが存在する」と言う当たり前ことになるだろう。
http://www.flickr.com/search/?q=Three+wise+monkeys&m=text
3匹の猿というモチーフ自体は古代エジプトにも見られるもので、シルクロードを経由して中国から伝わったものだという見解がある。
また、『論語』の一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿動」(礼にあらざるものを視るなかれ、聴くなかれ、おこなうなかれ)があり、中国ではこんにちでも、妊娠中の女性は胎教の観点から「目は悪色を視ず、耳は淫声を聴かず、口は敖言を出さず」という戒めを受ける。朝鮮半島においても、結婚前の女性は「見ても見ぬふり、聞いても聞こえないふりをして、言いたくても言うな」と教育される。
インドのマハトマ・ガンディーは常に三匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、教科書などに「ガンディーの3猿」が掲載されている。またアメリカ合衆国では教会の日曜学校などで、三猿を用い、猥褻なものを見たり、性的な噂を聴いたり、嘘や卑猥なことを言わないよう諭すことがある。
景気対策と称して公共事業が拡大されることが批判されてきたのは、その中に多くの無駄な公共事業=社会活動や経済活動に寄与するインフラにならないが含まれていたからと解釈してきました。北海道の原野の高速道路とか。
確かに、役に立たない仕事に人を駆りだして賃金を出すんなら、単に拘束を条件に賃金を出しているだけなわけで、それはもう失業者に生活保護を支給してるのと意味的に全然変わらない、と言えるし。(もちろん、勤労意欲の維持とか技術の維持とか産業の維持とかの意味がある文は全然違うけど。でももっと短期的な問題である景気とは関係ない)
その意味で、古代エジプトのピラミッド建設は農閑期の農民のための公共事業だったのだという説には疑問を持っていた。北海道の高速道路以上の役立たず建造物じゃないの。
ところが、だ。
今回の金融危機のことで1929年の大恐慌のことを調べてみると、意外なことが言われているのね。
米国が大恐慌後の不況から立ち直った最大の要因は、有名なニューディール政策そのものよりも太平洋戦争開戦による大戦特需の方であったらしいということ。戦争ですよ。ピラミッド建設をはるかに超える無駄な公共事業ですよ。インフラへの寄与はゼロどころか巨大なマイナス。もちろん財政にも巨大なマイナス。しかも、勝ったからって大した権益が手に入るわけでもない対日戦。
朝鮮戦争で日本が特需に湧いたのはわかります。日本にとっては公共事業じゃなくて単なる輸出増加だったわけだし。
大戦特需で米国が不況から立ち直ったというのが本当なら、やっぱりバラマキ公共事業が景気対策になるというのは正しいのか? それとも戦争は公共支出の経済効果とかではなく国民を団結させるとかそういう心理的な作用を持つから別枠で考えるべきなのか?
わからなくなりました。
報連相は洗脳カルトのマインドコントロール手法だった - 地下生活者の手遊び
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080830/1220032774
とうとうここまで来ました。下位の職務階層から上位の職務階層への情報伝達、連携各部署との情報共有、特殊知識資源保持者からの助言、などはおそらく古代エジプトでピラミッドつくっている頃からあっただろう。「あそこに石を持ってきました」「石を滑らせるコロが足りなくなってきたから作ってくれ」「そろそろ休みが欲しいのですが明日は雨でしょうか」とかね。それらをそれぞれ「報告」「連絡」「相談」と呼び、三つの熟語の先頭の文字をつなげれば「ホウレンソウ」だ、というのは、あれだ、あれと同じだな。子供向けの防犯標語「いかのおすし」。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091209572660.html
●いか いかない(知らない人についていかない)
●の のらない(知らない人の車に乗らない)
●お おおきな声で呼ぶ
●す すぐ逃げる
●し しらせる(何かあったらすぐ知らせる)
「ホウレンソウ」も標語としての出来はともかくとして、覚えやすそうだからどっかの財界人が提案したのをいろんなところが真似して使った、という中に統一教会もあった、だから「ホウレンソウ」は「洗脳カルトのマインドコントロール手法だった」、というのか。統一教会がするめ売ってたらおちおちするめも食えなくなるな。おいおいこれは「古い箒を燃やしていたから魔女」という感じで、愉快な中世的風景だな。黒猫を飼っていたら魔女、点字を使っていたらナポレオン軍のスパイ、アストンマーチンに乗っていたらMI6、いくらでも応用が利くよ。
統一協会のツールであることに由来するからという理由だけで「ホーレンソウ」がダメだと断ずるつもりはにゃーです。エントリでもそのあたりは注意して書いたつもりですにゃ。
こんな追記をしたって、無茶は無茶だろ。統一教会が使っていたからだけではなく、「個人の主体的な判断を失わせるから」「ホーレンソウ」、組織内情報共有はダメですか。そんな突飛な警鐘を鳴らすなら、コミュニケーションを行う人間関係は主体的な判断に影響を及ぼす可能性がどれもいくらかはある以上(ていうかコミュニケーションはそういうもんだろ)、それをカルトと呼ぶなら全部カルトっぽくなる危険性はあるだろ。
それでもって、徒党を組んでひとりを「脳の失敗」「あたまがわるい」「半ば本気で死んでくれ」とか吊るし上げる「はてサリンチ」は、オープンだからまだしも陽気でむしろ爽快なカルトですな。「十字砲火の的になるぞ」とかいうのもいるしな、オウムの武闘派みたいなもんだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://rage.cocolog-nifty.com/log/2008/08/les_mirroirs_0f91.html
苺が食べられなかった猫ちゃんがニャンニャン泣いているのかな?(笑)
歴史的には身体尺、つまり体の一部を使うとかが多いらしい。長さの単位が決まってなくても大きさは表したいから「指3つ分」とか「30歩」とか「歩いて2日」とかになるのは必然だろうね。
以下、主要な長さの定義や起源をwikipediaから抜粋。メートル策定時の「半周期が1秒になる振り子の紐の長さ」がいい感じ。
現在は1/299,792,458秒に光が真空中を伝わる距離。
1960年の第11回国際度量衡総会において、「クリプトン86原子の準位2p10と5d5の間の遷移に対応する光の真空中における波長の1,650,763.73倍に等しい長さ」という新しい定義が採択された。
1983年の第17回国際度量衡総会において、光速度を基準とする現在の定義が採用された。
以下の3つの案が検討され第1案が採択された。
これらはほぼ同じ長さであるが、その元となったのは、ヨーロッパ各地で使われていた、キュビットの2倍のダブルキュビットに由来する単位であった。
肘から中指の先までの間の長さに由来する身体尺である。
紀元前6000年ごろの古代メソポタミアで生まれたとされている。
紀元前2750年ごろ古代エジプトのサッカラで、キュビットであると考えられる長さの標準(523.5〜524mm)が用いられていたことがはっきりしている。
0.9144メートル。
キュビットの2倍のダブルキュビットが元になっているものと考えられる。しかし、ヤードの起源とされる説は多数ある。
1/3ヤード。
足(かかとから指先)の大きさに由来する身体尺であるとされている。
1/12フィート。
これとは別に、イングランド王エドワード2世が、大麦の穂の中央から取った3粒を縦に並べた長さを1インチとしたというような説もある。
1,760ヤード。
マイル(mile)という単語は、ラテン語のmille(千)に由来する。古代ローマには、2歩(片方の足を踏み出してから次に同じ足を踏み出すまで)分の長さに相当する"passus"という単位があった。これの1,000倍の"mille passus"がマイルの由来とされている。
3マイル
元々は、人や馬が1時間に歩くことができる距離として定義されていた。
元々の定義は、「地球の大円上における1分(角度)の長さ」であった。
現在は、国際海里(正確に1852メートル)が世界中で使われている。
10/33メートル。
元々は手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺とする身体尺であった。この長さはおおむね18cmくらいであり、現在の尺の6割くらいの長さである。
後の時代に一定の長さを1尺とする公定尺を定めるようになった。しかし、公定尺は時代を下るにつれて長くなっていた。
大工が使用していた尺は長い間たってもほとんど変化しなかった。これが曲尺である。1歩(単位)の半分を曲尺の1尺とした。
歩幅2歩(片方の足を踏み出してから次に同じ足を踏み出すまで)を「1歩」とする身体尺であった。
後に尺と関連づけられて、8尺または6尺の長さとされるようになった。
1/10尺。
当初の寸は親指の幅を指す身体尺であったと考えられている。
周代に尺の10分の1とされるようになった。
漢代には黍一粒の幅を1分と定め、10分を1寸とした。
6尺。
中国において一般的な建物の柱と柱の間隔を指す長さの単位として生まれたものである。
60間。
丁とも書く。
条里制においては6尺を1歩として60歩を1町としていた。
太閤検地の際に6尺3寸を1間とする60間となる。
後に6尺を1間とする60間となった。
里は元々は古代中国の周代における長さの単位であった。6町四方の面積を表していた里が、後に6町を表す長さの単位となった。
日本にもこの ころに里が伝えられ、律令制では5町をもって1里としていた。
律令制崩壊後は時代や地域によって様々な里が使われるようになったが、おおむね5町から6町の間であった。
ただ、「里」は長い距離であるので、直接計測するのは困難である。そこで、1里歩くのにかかる大体の時間から、その時間に歩いた距離を1里と呼ぶようになった。人が歩く速度は地形や道路の状態によって変わるので、様々な長さの里(36町里、40町里、48町里など)が存在することになる。