はてなキーワード: 功利主義とは
http://anond.hatelabo.jp/20080924231639
http://anond.hatelabo.jp/20080925111611
「普遍的な人権」なんかなくたって、たとえば犯罪への刑罰は応報や再教育、社会福祉は広義の保険や功利主義
といったベースで考えられなくもないから、仮にホームレスを徒党を組んで排除暴行するような社会であっても、
現代社会が根底から揺らぐという事は多分ない、極論を言えばね。
「誰もが人権を持っている」という現代社会の公準の根底にあるのは、少なくとも日本国憲法においては
個人の尊重という原則。だからたとえば、気に食わない奴を見下して人格攻撃の限りを繰り広げるという態度から、、
それって要するに「男は氏ね」と言っているも同然の差別思想だと思うし、
今どれだけ一般性を持っているかはちょい疑わしいかな。それに20世紀前半のような時代でも、
骨折した子供と火傷塗れの男性がいたとし、普通なら男性の方を助けろと考えると思うはずだしね。
仮にそうでないとしたら、功利主義の暴走ならぬ倫理主義の暴走と言い切っていいんじゃないかと。
でまあ、言いたいのはそういう事じゃなくて、元記事の考えは全体主義ならぬリベラリズムの超基本、
無知のヴェールのアイデアを素人なりに拝借したものだということ。老若男女その他、他人はもちろん
自分の属性すら全くわからない状況で、どういった選択肢を選ぶかという話で、だからあなたの言う
ところの「一般的な」差別的価値観というのはノイズが多すぎて排除される。
そこでは格差原理っていう「格差は最も弱い人の効用を最大限に保つ目的でのみ容認される」という
ルールが導出されるんだけど、問題はトリアージにおいてその「最も弱い人」が誰なのか、だよね。
不謹慎な話になると思うんで気になれば以降の文章はシャットアウトした方が、精神衛生上良いかもしれない。
もし治療資源を注ぎ込んでも助からない黒いタグ、カテゴリー0の患者だとすれば、どのような治療戦略に
おいても死亡という結果に終わり、効用は不変=常に最大だからトリアージを選ぶ事は許容されるだろう。
次に実質的に死んでいる人はカウントせず、助かる可能性はあるが緊急の治療を必要とする赤いタグ、
カテゴリーIの患者とするならば、トリアージによって最も手厚く治療資源を分配される事になるから、
やはり許容範囲となるはず。黄色や緑のタグの患者は検討するまでもないね。
というわけで、「ひとりがひとりのために」の個人主義的、自由主義的、リベラルな条件でも、
「かわいそう」vs「しかたない」の争いといったところですかね。
どちらもそこで留まっていては思考停止と呼ぶべきでしょうね。
なぜ「かわいそう」なのか、本当に「しかたない」のか、突き詰めて考えると、
で、ざっと見た感じなんだが、くすくす笑えるような状況だな。
男のほうはがちがちの頭でっかちで功利主義。A->B,B->C,∴A->C、なんか文句あるかってタイプ。
女のほうは(男の主張を鵜呑みにすれば)何不自由なく育てられた娘さん。
つーか、俺は増田が「この女は俺と同じ価値観で最後まで通す」と思っているほうが不思議だ。男だってバリバリの功利主義、なんてやつは少数派なのに。それまで何不自由無しに暮らしていたやつがやおら勉強し始めたほうがこの世のなぞだろう。元の状態に戻っただけジャン。
女のかわいい言い訳じゃねぇか。嫌になったらすねてみるんだよ。つらくなったら誰かのせいにしてみるんだよ。「うんうんそうだね」とか言ってナデナデしてチュッチュしてやれよ。
増田はがちがちに努力したんだろう。しかし、その全能感バリバリの増田が作るイメージとは違う、生身の女をみてうろたえてるだけじゃないのか?何不自由無く育ったお嬢さんってのは、激励してより高みを見させようなんてするもんじゃないぞ。落ち葉でもみながらしゃれたカフェで軽い文学論や映画評を交わしてみたり、あるいは甘い言葉でとろとろに蕩かして耳の後ろをくすぐってやるべき存在だ。
あと、スイーツ(笑)の使い方が微妙に違っている。スイーツ(笑)ってのはお前みたいに勉強バリバリしてリア充へ爆走している奴が使う言葉じゃない。
http://anond.hatelabo.jp/20071215115743
なるほど。
犯罪マイナス罰則 の価が正か負かを予測不可能にする方が、むしろ昨今増えてきている「功利主義的犯罪(つまり犯罪マイナス罰則>0という予見の下に行われる犯罪)」を防止する役に立つということか。
たとえば裁判所は有罪・無罪のみ決定する、と。犯罪ごとにルーレット盤を用意し、確率は低いながら「大当たり・大はずれ」とか入れておくと面白いかもしれんな。
ただし、あらゆる犯罪が功利主義的見地から行われるわけではないので、ごく一部の『こいつのこの犯罪は功利主義的見地から行われた疑いが強い』みたいなケースで、その場合のみ量刑はルーレットで決定するとかいう判決を有りにする。
ジェレミー・ベンサムなんかは、人間は功利主義的な存在だと考えて、何もしなければ人間は自分の利益のために他人の財産や生命を奪いかねないと考えた。
そこで社会の秩序を守るため、他人の生命財産を侵害するような行為を犯罪として罰則を設ければいいと考えた。そうすることによって、「犯罪マイナス罰則<0」となるので、人間が功利主義的に振舞うならば犯罪は防げるはず。
この前提となるのは罰則が事前に公表されていること(罪刑法定主義)。ことを起こした後で「言ってなかったけど、それ罰則あるから」となると、社会は混乱してしまう。
しかし、最近の日本の犯罪考えると「犯罪マイナス罰則>0」だから犯罪を犯す人も多そうだね。行き場を失った老人の犯罪とか。刑務所が福祉施設化してるなんて話も聞く。
あるいは、自分の人生に価値が感じられなくなった奴が、自分で自分の人生をズタズタにしようと犯罪を犯しているような気がする。この場合は「犯罪マイナス罰則<0」なんだけど、自分の人生を破壊するためだから、むしろ望むところなんだろうな。
ちょっと言い訳だけど、じつは一応ググってはみたんだけど、
門外漢の自分には、どこから考え始めていいかわからなかったんです。
造詣の深い、危篤な人がどこから始めればいいかヒントをくれるんじゃ
ないかと思って、あえて丸投げしてしまいました。
(ついでに言うと、田舎に住んでて、生命倫理とかやや特殊なニーズの
本が手に入りにくいんです。Amazonとかでも買えるけど、その手の
本は高額で、自分の財布の中身を思うと、注文するにはかなりの
勇気がいるので、やはり読むべき本の示唆などももらえたらと思いました。)
幸い、ヒントをくれた人がいたので、「医功利主義」「胎児・新生児」
「応用倫理」とかで手始めにググってみます。