はてなキーワード: ジョージ・オーウェルとは
ただ、西洋文明が、文明開闢以来、文明の中心地の移動を繰り返した来たのに比して、
(メソポタミア・エジプト→ペルシャ→ギリシャ→マケドニア→ローマ→フランス→イギリス→アメリカ)
中華文明は、開闢以来、文明の中心地が基本的に変わっていないという、底力は侮れん。
西洋文明が、ほとんどの中心地の移動に先立ち、壊滅に近い破局を経験している一方で、
個人主義重視に転換することで発展していったわけだが、
中華文明は、なんだかんだ言いながらも、末端の個人はずっとコントロールし続けてきた。
ジョージ・オーウェルが「1984年」で予見した社会が、まさに具現化されているのは恐ろしい。
西洋文明による大航海時代が始まる前は、中華文明が世界の最先端を走っていた歴史的事実は否定できない。
大航海時代到来というきっかけを持って、中華文明は遅れを取ったわけだが、
近い将来にでも、この序列が再度逆転してしまうとしたら恐ろしい。
破局を経験せず、個人をコントロールし続けてきた文明が世界を制覇する日が来るのか。
想像すると暗澹たる気持ちになる。
心理描写が綿密で分かりやすかった作品といえば
ジェイン・オースティン「高慢と偏見」とか
E・M・フォースター「眺めの良い部屋」とかが思い浮かぶかな。
なんていうか小市民的であんまり壮大じゃないけど。女性で好きな人が多いような気がする。
ブロンテ姉妹の「嵐が丘」「ジェーン・エア」も面白かった。
「嵐が丘」は割とシュールだけど「ジェーン・エア」はストレート。
三島由紀夫「豊饒の海」シリーズも「春の雪」「奔馬」までは普通に楽しめるんじゃないかな。
三島由紀夫は他にも勧められる作品がたくさんありそうな気がするけど未読……。
J・アーヴィングの「サイダー・ハウス・ルール」とかも面白かった。小説らしい小説が好きな人にはアーヴィング面白いと思う。
あと、まっとうな小説から少し離れるけど、ジョージ・オーウェルの「1984年」の心理描写はパねえと思う。(笑)
とっくの昔に旬は過ぎて廃れたはずだったので、増田でこっそりと。
※
想像してみて下さい。
24時間365日、数十メートルの誤差範囲でどこに居るのかリアルタイムで監視されて、
どこで何を幾らで購入したのか監視されて、
何時何分にどの交通機関を使って移動したのか監視されて
何時何分から何分何秒間、オンライン上で誰と話していたのか監視された世界。
どう思いますか? そんな世界ですごしてみたいと思いますか? それとも最悪な世界ですか?
まるでジョージ・オーウェルの「1984年」の世界ですか?
この世界は、実は
「お財布携帯&携帯SuicaにしたFOMAの電源を入れて持ち歩いている」
風景を言い替えてみただけです。
携帯を持たない人が少数派の今、大多数の人は既に監視された世界ですごしています。
携帯電話が当り前になったという事を認めていることは、監視社会を受け入れている事となんら変わりありません。自動車電話やショルダーフォン、ポケベルからざっと20年で、人々は監視社会を難なく受け入れるようになりました。
想像してみて下さい。
例えば、ニコニコメガネで道行く人を見ると、その人が着ている服のブランド名と値段が即座にポップアップ表示され、クレジットカードと連動して、その人が履いている靴のデザインで自分サイズのをオンラインで購入する風景。
無差別美人コンテストも行われていて、その人が100点満点で何点か点数付け、相手も同様に点数をつけてアップロード。リアルタイムで順位もフィードバック、なんて風景。
道行く人が、周りからどう思われているかをタグが付いた状態で見られる風景。
…これから5年後か10年後か分かりませんが、そんな世界を難なく受け入れる時代が、本当に来ないと思いますか? 実際の1984年ではまだ自動車電話しかなかったのに、それから24年後の現在は大多数の人が発信機を持たされていても何ら不快に感じない、監視社会を受け入れている時代なのに。
※
『イジメの構造があったなら、対象者がイジメではないと考えていても、それはイジメである』
例えば、
「その気ではない妻に対して夫が性交渉を行ったら、夫婦だとしても強姦罪が適用される」
「マゾが合意したSM行為は傷害罪が適用されない」(傷害まで。死んでしまった場合は合意の上でも罪になる)
といった事例には、既に判例があります。それで、
「イジメの構造があったなら、対象者がイジメではないと考えていても、それはイジメである」
という人たちは
「夫婦という構造があるから、妻が強姦だと考えていても、それは強姦ではない」
「傷害の構造が成立しているので、マゾが合意していても、それは傷害」
と本気で考えているのでしょうか?
個人的な不快感を示すのはご自由にどうぞ。それが一般的だと推し進めて強要するのは御免蒙ります。
※
『無題』
http://www.asahi.com/business/update/0423/OSK200804230044.html
この記事って朝日新聞が初出なのね。
日本電産の永守重信社長は23日、記者会見で「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない」と持論を展開。10年間で売上高が6倍超という成長の原動力が社員の「ハードワーク」にあることを強調した。
ん?
「休みたいならやめればいい」なんていってなくね?
まあ、ハードワークをプッシュしているのはよくわかるけど、タイトルのようなことを言った訳じゃない。朝日新聞の記者が勝手に作っただけ。まさにアサヒった、ねつ造した。
もし言っているというならこの記者会見の全文のソースを提示してほしい。言っていたら信用する。
これに対して2ちゃんねるでは「また朝日か」というおなじみの書き込みであふれると思ったら、
「休みたいなら辞めろ」発言は言語道断! 日本労働組合総連合会の会長、日本電産社長を批判
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51181739.html
「朝日新聞が書いた『休みたいなら辞めろ』発言などしてない!」・・日本電産社長が反論
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51182360.html
を読んでもらえれば分かる通り、朝日新聞を全面支持。
誰も発言の信頼性に疑問を抱かず、批判しまくり。
中国や左寄りの発言でねつ造したときには「また朝日か」というくせにwwwwww
つまりは、別に2ちゃんねるの一部のユーザー(このくくりが正しい訳じゃないのは分かるけど)は「ねつ造が悪い」とかいう正義感にかられて「アサヒる」という造語を生み出した訳じゃなくて、自分が信じる主義主張に即しているか即していないかだけでしか判断してないってことになる。即していればねつ造しようが何しようがおk、グッジョブということになる。
そしてこのニュース。
http://www.j-cast.com/2008/04/28019573.html
「書き方は悪かったと反省しておりますが、私は幼児を0.5と数えたわけではありません」
とも釈明した。「証拠」としてブログの「コピー」を示したが、その部分が書き換えられていたため、「反省してない」としてネットユーザーのあいだで騒動がさらに拡大した。
つーか、ソースすらねつ造してバッシングの対象にしているしwwwww
ちゃねらーって自分が正義だと思っていれば何したってありだと思っているんですかね。
こういう事件が起こるたびにジョージ・オーウェルの「動物農場」という小説で(読んでいることを前提に話を進めるから知らない人は500円払って買って)、人間を農場から追い出したブタの指導者を支持して「四本脚はよい、二本脚は悪い」と言っていた羊たちが、ブタが独裁者となり、ついには人間のように二本足で歩き出すようになると「四本脚はよい、二本脚はもっとよい」と転向したことを思い出すんですよ。2ちゃんねらーもこの弱い羊と何ら変わらない、強いものの提灯を持っているだけにすぎなかったりするってことがわかる。マジで2ちゃんねらーは「動物農場」読んだ方がいいよ。
上記二つの事件に何かしらの問題性があることは認めるけど、事実をねじ曲げてまでバッシングすることは別問題。それを言っていたことを忘れてバッシングする側に回ろうとするなら、賢い為政者がその気になればどんな社会だって作れそうだよね。ナチズムも太平洋戦争も国民の圧倒的な支持によって成り立っていたものだし。なかなか賢い国民って生まれてこないんだな。
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本当に自由に意見を言える場がなくなってきた。
とか、それなりの措置を取ればいいんじゃないの?そもそも、コメント欄が開いてなきゃ、炎上もしようがないんだし。
そういえば「自由と人権の国」イギリスでも、昔から『スピーカーズ・コーナー』っていう言論場所があるんだけど、そこで論説をするのはすぐ聴衆からヤジが飛んできたりで、けっこう大変らしい。もちろん、中には大成した人も居て、その中にはレーニンやマルクス、ジョージ・オーウェルといった面々が居たそうで。もともと言論というか、「第三者の聞いている場所で意見を表明する」ってのは、そういう事なのよ。
で、日本の場合、「やっかみ」というややこしい感情が絡んでくるせいで、言論に対する「感情を廃した議論」ってのはなかなか成立しにくい。『朝生』などは田原総一朗が船頭となって話を裁いている面があるからなんとかなってるんであって、そういった「司会・仕切り屋」が居ない場所では、聴衆がエキサイトしたり話題がループしたりで、どうしてもまとまりが付かなくなるきらいはある。