はてなキーワード: シグルイとは
やたらとマッパになったりモツがまき散らされたりする描写ばかりが印象的なこの作品ですが、特定の状況に陥ったキャラクターの目に瞳(黒目)が描き込まれない事こそが注視すべき演出のように感じられるわけです。
最初にはっきりと「白目表現」が登場するのは、第一巻第一話で伊良子清玄が「無明逆流れ」の構えを初めて読者に見せるシーンですが、これはページの片隅の小さなコマに過ぎません。その次は第三話で、巨大な木刀「かじき」で肩慣らしを終えた牛股権左右衛門が伊良子清玄と立ち会うシーン。これも、伊良子の白目よりは大きいものの、目の部分だけを描いた横長のコマです。なので、最初に登場するもっとも印象的な白目表現はおそらく次の第四話、岩本虎眼初登場シーンでしょう。ページの6割以上を割いた大ゴマ、顔のドアップ。殆どボケ老人に近い(口から舌がだらしなくはみ出ている)のに、伊良子の額にくっついた小豆を、伊良子の顔に傷一つ付けずに正確に十字に切り刻む。そのインパクトは絶大。
この白目表現こそ、その登場人物が「死狂(シグル)ってる」状態を示す演出なのではないかと俺は思うわけです。最新刊である12巻63話では、主人公である藤木源之助の瞳が描かれているコマは一つもありません。それどころか、目そのものが描かれていないシーンが大半で。白目表現ですらわずか2コマ。同伴する婚約者の三重もほぼ同様で、瞳が描かれているのは最後の1コマだけ。次の第64話も、伊良子の愛人「いく」を目の前にして突如刀を抜いた藤木(当然目の部分は空白のまま)に対して、「よ よせっ」「たのむ・・・」と引き下がるよう呼びかける月岡雪之介(この時は瞳あり)が、それが無駄だと認識して「嗚呼・・・」と心のなかで叫び、刀を抜くシーン。この時の月岡も白目。
また作品中には、通常は描き込まれている瞳が丸いスクリーントーンのみという、白目状態の一歩手前のような演出も存在します。それが顕著なのが前述に続く第65話。
月岡の登場するコマと目の表現をなぞっていくと、
つまりここで白目状態になっている時点で、既に月岡は藤木を殺害する覚悟を決めていると読めるのではないでしょうか。それは、その後両者一瞬の攻防が展開され、月岡が刃を向けた状態で藤木に上段を打ち込もうとする事からも分かります。
そして藤木がそれを脇差しの「なかご」で食い止めるシーンでようやく月岡の瞳が復活。それから藤木が月岡の脇差しを抜き取って首に押しつけるまで、藤木は最初からずーっと白目のまま。こういった「瞳(目)の有無」という何気ない演出が、実は作者何らかの規則性を与えられているのかも知れないと思うと、この作品の楽しみ方に深みが出てくるように感じられます。主人公藤木のライバル伊良子が盲目だったり、原作のサブタイトルが「無明逆流れ」だったりする事から得られた着想でしょうか。
テレビ局は地上波衛星関わらず自主規制の規定を設けてるわけだが、このレーティングをもっと明確にしなければいけない。
何故かと言えば、ラベリング差別で表現の自由を脅かす連中から保護するため。そもそも社会倫理を守る以外にこいつらから文句言われないために自主規制してんだから。
面倒事を避けるためには(そんな目的で自主規制してるんじゃないだろうが)曖昧な規定じゃ意味がないし、何より今より強い大義名分が出来る。
Nice boat.だって元々レーティングしていれば起きなかったはずだ。もし同じことが起きてたならレーティングの意味が無い。
アメリカはテレビに機械を組み込んでゾーニングできるようにしてるが、日本だってデジタル放送で実装したし、その移行まで4年もないわけだ。せっかくそんな機能があるのに適当な使い方をするのは勿体無さすぎるだろう。
そこらへんちゃんとすれば、あとは親の監督責任にすることができる。テレビに暗証番号かけりゃいいだけなんだから。
現実的にテレビのゾーニングを考えるとするならば、第三者機関が必要になる。
そこで起きるのが大人の事情やら行き過ぎた規制なわけだが、前者は議論するとして後者は多少レーティングが厳しくなった所で特に問題は無いはずだ。
AVとかで必要以上(ていうか元々いらねえ)にモザイクが大きくなるのは問題だが、微妙な位置にいるVシネがR15になろうとR18になろうと大した問題じゃない。分類だけなら意外と大丈夫なんだ。
例え予想だにしない新たな問題が生まれたとしても、なあなあで済ませて今回みたいなわけのわからない事故が起きるよりよっぽどマシなんじゃないか。
ていうか武士道で殺し合いするシグルイがR15で、人間の体を線路でゴリゴリすりおろすバッカーノが全年齢とかおかしくないか。スクイズとか屁に見えてくるわ。
フットワークの軽い有料局と色々と面倒な地上波民放を比べるのはさすがに酷かもしれんが、日本の自主規制文化はアホすぎる。
いつまで経ってもこういう話が出てこないのは、自分の首を絞めるとでも思っているからか。逆だろ逆。
利害の一致という見方もあるなと思った。あとオタクの因業の深さについて考えさせられた。世間がそれほど気にしていないことを深刻に気にしてしまう辺りとか。これは卑屈っていうよりも自意識過剰なんだよな。
シグルイも皇国もいいよね。皇国小説版も読んでみよう。「オタクに生まれるのだ!」はハートに響いた。そうだよな、なろうとしてなれるもんじゃないよな。なりたくないって言われるかもしれないけど!
自分は隠れてるっていうよりも敢えて自分から言わないだけで、訊かれたら話すっていうパターンの半隠れオタ。会社なんかではバレてない(と思う)けれどこういう決定的な時にそれなりに濃い人から好かれることが多い。身内バレ覚悟で書くと今回の場合は営業(自分)と客(相手)で、お互いプライベートな情報は全く無かったのでお互いオタクだと知った時は非常に驚いた。隠れオタクと付き合いたい隠れオタクはTPOを弁えて徹底的に使い分けていれば、自分と似た人が寄って来るかもしれない。
さて、結果を伝えると返信は来た。ついさっき来た。昨夜のメールなど全く意に介していない様子でorzした。
しかしこれから昨夜教えた自分のサイトを見るらしい。地雷は早めに踏んでもらったほうがいいとの判断からもう腹を据えて自分を開示することにした。付き合うかどうかはまだ分からないがどんな結果であれ、本気で当たれば手に入れたものが本物かどうか分かるような気がする。
まだ震えているけれど、覚悟完了。
あの子はパソコンを持っていない。携帯電話は持っているようだし古い機種でもないようなのでインターネットを見る環境はあるようだ。でも、もっぱら友達や同校の学生のHP閲覧をするにとどまっているようでもある。そうでなくても他に見るようなサイトといったら若々しい感じの小説のある場所とか性格判断や占いのできる場所ぐらいなものだろう。インターネットの深部までを覗き込んではいないはずだ。2ch発の顔文字を使うことはあっても2chを見ることはしていないだろうし、「キモス」とメールや日記で口走ることはあっても雑誌で知ったので使ってみたぐらいの認識だろう。いかがわしいを通り越した変態漫画や頭がおちゃめな人が作った動画なんか知るはずもないし、朝鮮と聞けばニンジン、アメリカと聞けばハリウッド、韓国と聞けばキムチと返ってくるぐらいにはまともで余計ににごっていない目の持ち主だろう。朝は納豆を食べ、学校では昨日見たTVや家で読んだ雑誌や本を肴に友人と談笑し、夜にはお笑い番組を見ながら家族と笑いあったり、部屋に戻ったら友達とメールしながらバストアップ体操、帰宅前に友達と買ったお菓子をつまみながら少し勉強して、音楽を聴きながら眠る。そんな感じのさわやか生活を送っているような妄想を抱けてしまうぐらいに、僕の中ではあの子は澄んでいる。好きなアニメと聞かれればハルヒでなくとなりのトトロ、好きな漫画と聞かれればDMCでもぱにぽにでもジョジョでもあずまんがでもシグルイでもなくはちクロ、好きなTVを聞かれればお笑い番組をこれでもかとばかりに挙げられる。実際にどう答えるかは知らないけれど、こんな感じだろう。汚れなきステレオタイプ。それでいて一本筋の通った頑健な意志でもって、勉強、部活、生徒会と学校生活の大体をきっちりこなす。僕の中でのあの子はもう神格化されてきている。汚れのないあの子に、パソコンを持っていないというだけで汚れていないように思えるあの子に、どうしても憧れてしまう。あの子はただ単にインターネットの浅瀬しか見ていないだけであるというのに、そこに美しさや清純さを見出してしまうのだ。まあそんなこんなで僕はあの子が好きだ。あの子は、僕のようなやたらどうでもいい文章を読んだりやたら下らない動画を見たりやたらいやらしいサイトを巡ったりしている奴を好きにはならないだろう。ネット、見てなきゃよかったなと思ってしまう。悪いのは、ネットに飲まれてしまう弱い僕なのだけどさ。