少年漫画から青年漫画に好みが移るみたいに、
練られたシナリオや群像劇や社会性といったものに興味を見いだして、フィクションに対する好みが変遷して来た。
でもそれを突き詰めるとゴールは現実なんじゃないか?
虚構のキャラがどんな辛い目に会っても茶番にしか見えなくなったし、
フィクションをいくら浴びても社会問題が解決する筈もなく。
労力をかけて取り組むなら現実、フィクションは回復を重視して頭使わないやつでいい
そんな風に考えるようになった
Permalink | 記事への反応(1) | 08:57
ツイートシェア
現実にはダイヤモンドカットがない 草が葉を茂らせ花を咲かせ枯れるということでしかない どっちがいいというものではない
現実を良し、フィクションを悪し、としたいのではなくて、私のフィクションとの距離の取り方が変化したという話ですね