わがままとは、とても無責任なものであるという持論がある。
相手に自分の理想である「そうであってほしい姿」を強要するような傲慢なもの、いわば呪い的なものであると考えているためだ。
ただ、最近あった諸々の人間関係を経て、
「わがままとは無責任なものであれど、確実に悪と言い切れるものではない。」
そう感じるようになってきたのである。
その機会は限定されるとは思う。例えば「俺は幸せになる資格なぞ無いんだ」と嘆いている人に、(これは当然相手の置かれている立ち位置や意見を最大限尊重した上での) 様々な諭しを経て、「お前は幸せになっていいんだよ。いや、なってくれ!」と、その人の救いになるようなわがままを言う事を、私は悪と一概に言い切れない。
私が性善説を信奉しているからこそ言えた話なのかもしれないが、そのように感じたここ数日であった。
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