スピ系ではまさに「殺される人は殺されるために生まれてきた」という考え方になる
その時その瞬間、殺す役割を持った人と、その人に殺される役割を持った人との縁が成る、というだけのこと
その後に悲しむ遺族は、その悲しみを人生において存分に味わうために今まで生きてきたということになる
だからと言って、「そのためだけに生きてきた」ということではなく、あくまで人生において恙なく成立した縁の一つという扱い
さらにその先にその悲しみを抱えて強く生きていくのであれば、それは魂が望んだ通りのことだし、その悲しみに潰されるのであれば、それもまた魂が望んだ通りのシナリオを味わっていることになる
さらに言えば、「人生に意味なんかない」という考え方も正しくて、そのように思うということは、そのように思うようにして生まれてきたから、ということになる
人生に意味がないと思う人の人生は、まさにその通り意味などなにもないし、人生に意味があると思う人の人生は、たしかに意味があるものとして生まれてきたわけだ
ある日、考え方が180°変わったのであれば、それはその時その瞬間にそうなること、その瞬間それ自体を魂が経験することが生まれてきた理由の一つなのだ
それに関わることになった人や物も、その時その瞬間、その人のためだけにそれに関わることこそが、その人や物が生まれてきた理由の一つなのだ
この考え方に嫌悪感を抱いたなら、それは正しい反応でなんの問題もないし、逆に感銘を受けたのなら、それは正しい反応でなんの問題もない
俺がこうして増田を書いてるのも、そのために生まれてきたからで、この増田を今この瞬間に読んでるお前も、そのために生まれてきたのだから、ここにこうして縁が成ったのだ