黛灰は「黛灰っぽい存在が現れてもそれは黛灰ではない」と言っていたけれど、つまりそれは「黛灰っぽい存在が人々の前に現れる」将来が待っていると言う意味だと思うのよな
それは狭くとも現在のVtube界隈をウォッチしている人が目にすることができる範囲が最低範囲であろうと予測できる
黛灰はやりたいことがあると言って辞めた、そしてそれは人々の前に現れることであり、現れる最低限の範囲がVtube界隈以上ということ
黛灰は児童養護施設育ちであり子供を中心とした福祉へ興味があり、実際に1000万円ものお金を児童養護施設へ寄付したことすらある
黛灰っぽい人が政界に現れたら応援したいなぁ、誰よりも子供の味方で居てくれるだろうし
ツイートシェア