本当はもう投了したいけれど、偶然にもまだ生きる手を見つけてしまったから、投了せずに打ちつづけている。
この手が生きるのか死ぬのか、それがわかるのは来年で、もしこの手で生き延びられなかったら、あとはもう負けが読めている。
負けるとわかっている碁をさし続けることに果たして意味はあるのか。
ない。そして黒の生きる道ももうない。負けた。
でも、佐為なら、きっとこの死にかけの黒を生かすだろう。たとえば佐為が、今の自分のように打っているとする。私は考える。生きる道はあるのかどうか・・。
私は思う。もう生きる道はない。と。
でも、そう思って佐為の顔を見ると・・
私はいつも佐為と打っている光景を思い浮かべ、そこにいる佐為の口元にはいつも笑みがたたえられていることを思い出す。
今だって、きっと佐為はにこっと笑うんだ。そして扇子で盤面を指すだろうー・・
ーその時、私ははっとした。
見つけたのだ、人生を生かす新たな道を
…こうはなってくれないのがおそらく人生だ。
私も多分遅かれ早かれその運命を辿る。
ところでみんな、佐為って知ってる?
ヒカルの碁!
ヒカルの碁好きだった