2022-06-04

わたしたち個人名がなければ私たちは私達であったのかもしれない

遠い昔に言葉が生まれときか、その少し前に名前が生まれた。

そのときにはじめて個人というものが生まれたのかもしれない。

少しピンと来ないかもしれないがある集落存在していたとして、

その集落に別の集落の人が訪れたときにお前たちの集落名前は何だ?

と問われて答えたときにはじめてその集落という存在確立されるような感じだろうか。

あるいは幕末にお前たちの国の名前は?国歌は?と問われたとき日本という国が誕生したのと同じ感覚かもしれない。

言葉が生まれる前、集落の中で役割をこなしながら集団暮らしていた時はもう少し他者自分境界線曖昧であった可能性はある。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん