平成のオタクは、人間という個の人格を、
体のパーツであったり、性格・性質であったり、
年齢であったり、関係性であったり、
そういった個々の要素に分解して記号化し、
その要素自体、あるいはその組み合わせに「萌え」を見つけてきた。
しかし、そのような楽しみ方はついに行政からストップがかかり、
「人格を持った多様な姿」でキャラクターを描くことが求められる。
今、昭和・平成のオタクはこのような動きに反発しているが、
おそらくこの流れは止められないんじゃないかと思う。
今後、令和のオタクは新たな表現を模索していかなければならない。
個人的には、それが少し楽しみでもある。
Permalink | 記事への反応(2) | 11:12
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著者が馬鹿だと広く知られるようになってから、改めて読むと、やはりそうかと納得する点が多いよね。
なろうやラノベの「母親」って母親とは到底思えないただの女で気持ち悪くなる