2021-04-29

ここ数日五輪開催の可否について色々書いてるんだけど、ふと数日前言われたことを思い出した。

一応自分としては開いてもらった方が立場的に助かる(五輪関係者でもなければスポーツやってないけど)ので、できるんだったらやってもらったほうがいいというスタンスなんですね。五輪が開ければ毎日開催してるルミネとかそういうのも対策込みで開ける見込みが出るから

で、そういう話をツイッター引用リプして話したら引用で返事が返ってきて「言い分はわかるが、自分も含めて大多数は文化のために死ねと言われるのは納得いかない」といただきました。

もらって直後は「いたし方ないなあ」と議論平行線になりそうなのでとどめておいたんです。

しかし今、自分普段から見ているマジョリティと思しき人たちの様子を思い出すと「文化のために死ねっていうのかというのは、まあそうだよ」と思ってるんだなあと感じた。

直接手を下すほど暇ではないけども、ずっと抑圧と蹂躙を繰り返してきたマジョリティが数減るんだったら多少心労はなくなるもんな…と思って、だからマイノリティでも変な立ち回りしてるんだとさみしくなった

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