話し合い、というのが俺は苦手だ。
"新たな知見を得たい"という場合に行われるのは話し合いではない、教えを乞う場合だけだ。お互いに新たな知見を得られることは基本的になく、自分か相手はすでに知っていてどちらかが迎合するだけだ。
話し合いの目的というのは、つまり"相手の考えを変えてやろう"という言葉の戦争だ。この戦争の至るところは、"相手の考えが変わらなくても封殺できれば良い"である。
一度、この増田で"鶏が先か卵が先か"について論じたことがある。俺の持論は「この"卵"とは"鶏卵"の事であり、鶏が生まれなくとも鶏が産んだ卵を鶏卵と呼ぶのだから"鶏"が先だ」であり、確信を持っている。
俺の考えは今でも変わらない。にも関わらず、しかし論争には負けた。
反論を思いつかなかったのだ。どう言われどう思いつかなかったのかは覚えていない。
俺はこの"話し合い"という戦争で勝ったことがない。封殺されたことは幾度もある。
時には権力で従わされたこともあった。これは反論を思いつかずに従わされるよりずっと良い。サラリーマンが上司に従うのは当たり前だからだ。
話し合いをしても、とかく、相手の考えも自分の考えも変えられない。ただ従わされる。
だから俺は話し合いは苦手だ。できる限りしたくない。
🐈️「ニャんだ負けたイヌか」
お題が「卵」なのに勝手に「鶏卵」って条件つけるから負けたんじゃね?
そうそう、そういう反論もあったような気がする なんにせよそこをやり直す気はない、また負けるだけ