まもなくの受験のために、初詣で神頼みをした学生も多いだろう。
まあ、神頼み自体が悪いこととは思わないが、受験生が初詣で神頼みするのは不合理だと思う。
端的に言うと、初詣では遅すぎる。
だって神頼みは、その回数が多い方が効果は高いと考えるのが自然だろう。
ならば、初詣で神頼みをしたところで、初詣以前から神頼みをしている人間には勝てないではないか。
だから、神頼みをするのであれば、受験よりずっと以前から長期的に続ける必要がある。
受験直前に神頼みをしたところで、受験の成績に負け確定の要素をわざわざ追加しに行っているようなものだ。
神頼みは、受験生自身が成績で劣っていると感じるから、そうするのだろう。
すなわち、神頼みは成績に下駄を履かせるためのものだと思うが、初詣だけでは低い下駄しか得られない。
罪悪感のない息抜き
この時期にニヤつきながら落ちる滑る言い合ってる人ほど高学歴な印象
いちおう高学歴には入るので、さきに落ちといた。
近代資本主義社会のもとでは、 回数よりもお賽銭の総額で決まると感がられている。
学校や塾がやすみで、中長期の休暇だから。神頼みをしやすい。
塾は大晦日も正月も開いてるだろ。