2020-12-04

増田差別議論

増田差別問題の話になるといっつも差別はあるない、自分はしてるしてない、構造差別がある等の話になる。

なるんだけど、結局のところ

差別が無いという人も、自分はしてないという人も、その欺瞞を指摘するも、

差別解決にはなんにも寄与してないんだよな、と思ってしまう。

 

差別なんてない、差別はあるけど自分ではない、差別はあって自分はわかってるのでわかってない人を指摘する。

理解階層こそ違えど、自分自身は差別とは関係ないって言いたいだけじゃないのか。

より穴のない奇麗ごとを言う知識社会性があるだけで、本質的には何も変わらないのではないのか。

 

私は差別の解消・解決のために何もしていません。

日々の周りの問題だけで手一杯ですと言い訳をしながら。

実質的差別容認であるが、だからこそ心は思想知識は理性はそうではないのだと主張する。

主張したところで、良くなるのは己の気分だけなのに。

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