いると思うけど。
読み返して「やっぱいいこと書くなあ私」とか思ってる奴も確実にいるよね。
「この文章のリズムとか最高じゃん」って自己陶酔してる奴も確実にいるよね。
この短い文章でも、僕もなかなかいいことを書くじゃないか、ってこれを書いている増田だって思っている。
こういうナルシッシズムを克服しないかぎり、いろんな人に刺さる文章は書けないと思うのだが、頻繁にブクマ付けられてるアルファ増田よ、おまえはどうやってその自己愛を克服したのか。
人に刺さる文章を書けるようになるまで自己愛を薄める方法があるのか。
暇があったら教えて欲しい。
ナルシッシズムを克服しなくても刺さる文章書ける、って言うのもあるとは思う。書ける人はそうなんだろう。
けど自分はこれで満足だぞ、ってなってる文章が他人には受け付けられてない状態では、ナルシッシズムをいったん脇に置いて、他人の望む文章を書かねばならぬとも思うのだ。
ある文章技法があって、自分では「これは俺の美意識に合わない」というふうになるような場合でも、他人にはそっちの方がより刺さりやすくなるのなら、そっちを選択すべきである、と。
めっちゃ時間かけて推敲して投稿した増田が0ブクマで IQ3くらいになってるときにふと思いついた「フルチンアーマー」って8文字の増田がホッテントリ入りしたので私は考えるのをやめ...
同じアクセスされないなら自分のブログやノートにアップしとけば良かったって後悔するよな
分かる 推敲に推敲を重ねたとっておきのやつが0ブクマなのに 20代の女子とどうやって仲良くなればいいのっていう 下心丸出しのエントリーが袋叩きにあって700越えとか もう頭おかしく...
ヒトはパッション、すなわち、情熱に感動するんだよ。 推敲に推敲を重ねた文章は、確かに分かりやすく、丁寧で美しいが、ほとばしるポトスが失われている。
борщだぞ
めっちゃ時間かけて推敲した増田が叩かれまくるよりは無視の方が全然マシだと感じている
anond:20200805210852 私は自分大好き人間ではないが、自分の書く文章は結構好きだ。文章がうまいというわけじゃない、ただただ、お気持ちを長文で書ける、言葉を充填できるということに...
この記事好きだぜ!生き生きしたパワーがあるわ。これからも誰の薬にも毒にもならなそうな長文お気持ち書いていこうやんって気分にさせられる。
完璧とは思わないが、自分が言いたい主張を言わない者なんているのだろうか。 必ずや自らの信ずる概念を記すだろうし、出力された文は誰よりも正当性があるとその時感じることだろ...
マハーポーシャを再開してください。 anond:20200805210852
人に刺さる文章にブクマがつくんじゃない。 人を釣れる文章にブクマがつく。それだけだ。 その技術はべつに格好良くもなんともないぞ。
自己陶酔だとは思うけど時々自分の書いた日記を読んで「あ、滅茶苦茶面白い事書いているな」と自己満足に浸る事がある 自分が書いているんだから自分の好きそうな内容になっている...
ナルシストだけど普通に1000user越え何本か持ってるぞ。 逆になんで自己愛が強い=ブクマ伸びない だと思い込んでるのか