「本質は‥」と言う人の気持ち悪さを言語化出来たのでシェアしておきます。
多分自分は、その「得体の知れない気持ち悪さ」から、本質という単語をほぼ使えていないんだと思います。
この単語を使っている大半の人は
「根拠のない体育会系的な話をもとに、マウントを取るために利用している便利な言葉」
として使っている感じがしました。要はデータに基いてない根拠としての利用です。
もちろん経験則はありますが、それはときには根拠をズラす可能性はおおいにあると思います。
データや根拠のある事例を元に話をして、「なので本質的には」と根拠からの推論を述べるマクラとして使うのはいいのかなと思います。
しかし、よく使われているのは残念ながら「思い込み」か「その人1人の経験則」が多いかと思われます。