推し始めた当初は当然好きだった。
推しが推しになって間もないころの自分の日記を読み返すと、そこには「今日はこの写真にときめいた」と推しの写真が貼り付けてある。
今、その写真をみてもときめかない。SNSで散々回されている写真だ。
推しを推していると精神が疲弊するけれど、推しがいない人生を考えられない。
供給が嬉しくないわけではないし、自分でも心の底からはしゃいでいるような気もするのに、SNSを閉じた途端に「疲れた」と思う。つかれる。
SNSは疲れるけれど、SNSのおかげで推しを推し続けていられると思うこともある。
元々飽き性だから自分ひとりだったらもっと早くに推しに飽きていたはず。
きっと今の推しも、この人を好きになる前にゆるく好きだった何人かの有名人の中の一人と同じようにすぐに飽きていた。
推しがどういう人だとか、何を好きだとか、誰と仲が良いだとか、会いにいったときの記憶だとか、もしそれらの全てがなくなってしまったらと思うと辛いし、やっぱり推しを好きでいて良かったと思う。
今だって推しに会いに行くと好きだって思う。でも家で一人で推しのことを考えてもときめかないし、考えるのが面倒だ。
どうすれば好きになった当初の気持ちを取り戻せるんだろう。