いくらか冗長な文章であるので、時間のない人は、やったかに代わる言い回しの部分まで読み飛ばしてほしい。やったかの意味が曖昧になり久しい。本来のやったかはやったかという意味だった。近年ではやったかはやってないに変わりつつある。この流れが進みやったかが消滅してしまうと私たちはやったかの意味の言葉を失うことになる。この事態を避けるためにはやったかが完全にやってないに変わる前に、やったかに代わるフレーズを考えだす必要がある、やったかが消滅してからでは遅い。その意味でやったかに代わる言い回しを考える。ひとつはやったのではないかであるが、やったのではないかはやったかに比べて確信がうすくやったかのような高揚感は表現しきれていない。確信を生むには反語がいいかもしれない。単純にやったことがあり得ようかとしてしまうとやっていないになってしまうので、やっていないなんていうことがあり得ようか、はどうだろうか。いや、ないということでやったかになる。
我が名はやったか!東の果てよりこの地へ来た!