無差別殺人のニュース観ると羨ましくなることがある。いいなあ、スカッとするだろうなあ、と思うんだ。でも、たとえば包丁で刺すとして、手に刺したときの感触が残ると気持ち悪いだろうな、とか。
そこではたと思う。自分が想像する被害者たちはこれまでの人生で迷惑をかけられたゴミのことを指していて、その辺を歩いている人ではない。どうでもいい人間には価値がなく、自分を一瞬でも不快にさせたゴミに価値を見出しているんだなあと。
恨み深い自分のことだ、倫理的な意識など飛び越えて「法が許すなら」やるんだろう。残念ながら、法を遵守するくだらない生き方を叩き込まれてしまったから現代日本ではできないだけで。
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