「まともな発言」が5割を切るなら、その人は正常ではないということ。つまり、何かの揶揄やレッテル貼りではなく、本当の意味で病気だということ。こんな人の意見は初めから議題にすら上らない。
残りの5割でどこまで正しいことを、独自の視点も交えながら語ることができるか。それが愚者と賢人の境目になる。
「この人は概ね正しいことを言っているな」と思っても、一度立ち止まって問い直して欲しい。たかだか「8割の正論」を持ち上げる必要がどこにあるのか?
止まった時計も日に2度は正しい時刻を指すように、どんな愚者もただ健康でさえあれば、5割以上は「正論」が言えるはずなんですよ。8割程度の「正論」が言える人間なんて、この世にごまんと居るんですよ。その程度の「正論」を、どうしてわざわざ褒め称えてあげなくちゃいけないんですか?
暴力的な放言で注目を集めたいだけの人間に、「でも問題提起にはなったでしょ?」という言い訳を与えるのはやめよう。「でもあんたの発言には2割の誤謬と悪意があるよ」と、ちゃんと言える人間になろう。
そうやって片方だけを評価するからいかんのでは。 正論も評価し、残りの部分も同時に評価するべきだろう。 どちらか片方に偏るから要らん諍いを起こす。