2019-06-03

愛憎一体

そういうもんなの?とあまりピンと来ていなかったが、昨日はじめてわかった

かに愛と憎は表裏一体、執着そのものなのだと実感した

会社倒産し、未完のまま終わったノベルゲームがあった。そのゲーム外注への給料未払いなどの問題を抱えていた。

シナリオライターは、「いつか続編の構想だったものを話すかもしれない」と言って、生死不明になった。

私はそれをずっと待っていた。年をとって、あれが美しい思い出になった頃に、わかればいいと。

先日、別の会社から、そのゲームの続編が出ることが発表された。以前の会社問題解決していたのかもしれない、だがそれをユーザーには何一つ語らなかった。

こういう形で続編が欲しかったわけじゃない!出るとするならそれは、全ての問題が片付いた後にしてほしかった!

憎らしかった。感情がぐちゃぐちゃになって、何を話していいのかわからなくなった。

それが発売された後のことを考えた。忌々しかった。見るのも嫌だった。叩き潰したいほど。でもきっと、目の前にあったなら、狂おしいほどプレイしたくなるに違いなかった。

無視することはどうやらできそうになかった。

これが執着か。その別々の面か。はっきりとわかった。

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